表紙へ 前へ 次へ

高浜虚子を読む88〜100(五百句時代 1〜13)

88/gohyakkujidai-1

五百句時代

草枯れて夕日にさはるものもなし
明治28年
鑑賞日
2004年
7月17日
 こういうさっぱりとした風景は好きである。例えば下のような絵


 陽が入る  多羅一恵


89/gohyakkujidai-2

五百句時代

雛より小さき嫁を貰ひけり
明治29年
鑑賞日
2004年
7月18日
 〈雛〉は[ひいな]と読む。

 年譜によると虚子の結婚は明治三十年とあるから、この句に出てくる嫁は虚子の結婚相手ではないのだろうか。もし他者の嫁だったら、「かわいらしいお嫁さんを貰ったね」という祝福の気持ちが感じられる。
 もし虚子自身の結婚相手だったら、うーん、多分そういうことはないだろう。そうだったらあまりにも相手を物のように見ている風情があるからだ。だがまてよ、虚子だったら有りうるかも知れないなどとも思う。この辺りは興味があるので機会があったら調べて見たい。


90/gohyakkujidai-3

五百句時代

行春を尼になるとの便りあり
明治29年
鑑賞日
2004年
7月19日
 本来、尼になったり僧になったりするのは喜ばしいことなのである。いわばこの世界のより本質的な部分を求める事に専心したい、という事なのであるからである。ところが一般的には「世を儚んで出家した」という言い回しがあるように、ネガティブなこととして捉えられている。世間には楽しいことが沢山あるが、それらを捨てて出家する、というイメージがある。この世的な事とあの世的な事を二つに分けて見る見方がある。
 この虚子の句にもその二元的な見方が窺われる。「行春」にそれが良くでている。

 白隠の「座禅和讃」は次のように始まる

衆生本来仏なり  水と氷のごとくにて
水を離れて氷なく  衆生の外(ほか)に仏なし

 私はこのような一元的な見方が好きである。


91/gohyakkujidai-4

五百句時代

貧にして孝なる相撲負けにけり
明治29年
鑑賞日
2004年
7月22日
 虚子の目は「貧しくて孝行者の相撲取りが負けてしまった、残念だ、もっと頑張れ」というのではない。「貧しくて孝行者の相撲取りが負けてしまった。まあ、世の中はこんなもの、美談が通じる世界ではない」という目が感じられる。私は、この虚子の目のあり方を「半悟り」の状態と名付けたい。
 確かに虚子は頭の良い人である。物事を客観的に見る目を持っている。しかし、慈愛の伴わない頭の良さは「半悟り」と言わざるを得ない。

92/gohyakkujidai-5

五百句時代

蝶々のもの食ふ音の静かさよ
明治30年
鑑賞日
2004年
7月23日
 即物的な感じ。これは「静かさ」を表現したのではない。蝶々の姿態を表現したものである。それも物としての蝶、というか、蝶が非常に即物的に描かれている。そして視覚的である。
 芭蕉の「閑かさや岩に染みいる蝉の声」などは聴覚的で、聴覚から入って見事に「静かさ」を表現していると言える。虚子の場合は「静かさ」と言っても、視覚性が前面に出てくる。これはタイプの問題で、どちらが優れているという問題ではない。虚子は目から存在に分け入るタイプと私は見ている。芭蕉は聴覚から存在に分け入る。もちろんこれは大雑把な話ではある。

 ちょっと気がついたことだが、「蝶々のもの食ふ音の静けさよ」としたら、より静かな感じは出るのではないかと思った。


93/gohyakkujidai-6

五百句時代

暁の紺朝顔や星一つ
明治31年
鑑賞日
2004年
7月24日
 よく似ている句で石田波郷の「朝顔の紺の彼方の月日かな」というのがある。同じような場面を描いているが、波郷の方は「月日」という言葉に時間の把握があり、また「紺の彼方の月日」と色の対比も強調されていて厚い。波郷の心情が重ねられている。
 虚子のこの句はあくまで写生という感じがある。美しいことには変わりはないが、この美しさは「朝顔」や「星」そのものの美しさだけであるので、波郷の句に比べればもの足りない感じはある。

94/gohyakkujidai-7

五百句時代

絵ぶみして生き残りたる女かな
明治31年
鑑賞日
2004年
7月25日
 「絵ぶみ」は踏絵のことだろう。大辞林によると・・・江戸時代、キリスト教徒弾圧に際して、その信者か否かを見分けるため、キリストやマリアの像を木または金属の板に刻み、足で踏ませたこと。また、その画像。多く春先に行われ、長崎では1857年に廃止したが、幕末まで行われた所もあった。絵踏み。[季]春。・・・とある。

 いいではないか。絵踏みをして生き残ろうが、絵踏みをしないで殺されようが、その人の選択でどちらも立派なことだ。「事実をありのままに書いたことであって、その人を非難するつもりはない」と虚子は言うのだろうが、事実をありのままに書けば客観的に書いたということにはならない。事実をありのままに書いて皮肉なものを滲ませるということもあるのである。虚子には皮肉な感じの表れている句がたくさんある。このことに気付いているなら浅薄だし、気付いてないなら愚鈍である。


95/gohyakkujidai-8

五百句時代

坊主にもなりたき思ひ昼寝かな
明治32年
鑑賞日
2004年
7月26日
 前書に〈高僧傳を読む〉とある。

 投げやりというか、大人の生悟りというか、茶化しているというか、そんな感じである。
 虚子は良い意味でも悪い意味でも大人である。自分の分をわきまえていているという意味で、良い意味で大人である。だから逆に自分の範疇以外の事に対しては切り捨ててしまう、あるいはどうでもいいという態度をとるから、悪い意味で大人となる。
 桑原武夫が俳句を第二芸術として攻撃したときに、「俳句も第二芸術まで来ましたか」と嘯いた虚子の言葉は自分の分をわきまえた大人の言葉とも取れるし、「お前なんか相手にしない」という切り捨ての言葉とも取れる。


96/gohyakkujidai-9

五百句時代

三つ食へば葉三片や櫻餅
明治37年
鑑賞日
2004年
7月27日
 実にまったくもってごくごく当たり前の事なのだが、何となく楽しい句である。逆に言えば、この当たり前の事をぬけぬけと書いたということが面白いのかもしれない。ただこれがいつも成功するとは限らない。多分この句の良さにはそれなりの理由があるだろう。例えば、「三つ」「三片」という言葉の連携。また「三片」「桜餅」というS音の連なりの心地良さなどである。
 和菓子には視覚的な美しさとか季節を感じる風情とかがある。それらをもこの句には感じることができる。桜餅が食いたくなってきた。

97/gohyakkujidai-10

五百句時代

静さや花なき庭の春の雨
大正5年
鑑賞日
2004年
7月28日
 あたたかーい静かさ。何もないのだが孤独という感じではない。「花なき庭」と言って逆に花があるような感じさえある。それもこれもみな「春の雨」という季語の持つ豊かさの所為だろう。
 芭蕉の「閑かさや岩にしみ入る蝉の声」は季節を越えて深く深く入ってゆく静かさであるが、虚子のこの句の場合は巡る季節のある瞬間に訪れた静かさである。季節の移り変わりに身を委ねている虚子の姿勢が見える。

98/gohyakkujidai-11

五百句時代

初空や大悪人虚子の頭上に
大正7年
鑑賞日
2004年
7月29日
 虚子の人間性を考える上で貴重な句である。複雑でありまた屈折しているように思う。

 ●先ずは謙虚さの表明のようにも受け取れる。「初空が広がっている、自分のような罪深い悪人もこうして生きていることができる。有難いことだ」というのである。
 ●しかしただ「悪人」としないで「大悪人」としたところに、虚子のエゴというか自負心が隠されている。「俺は確かに悪人だが、そんじょそこらの小悪人とは違う大物である」というわけである。
 ●そしてさらに探れば、虚子の虚無的な態度が潜んでいる気がする。「世の中に真の善人など居るわけはない。みんな悪人だと言える。居るのはこの事を洞察する力量が有る人と無い人だ。そして俺にはその力量があるというわけで、だから人々の頭領たりうるのだ」という心理である。
 ●またいろいろな所で書いているが、虚子には二面性がある。自分が美しいと感じる自然に向かう時の真摯な態度と世間に目を向ける時の皮肉な態度である。こういう二面性を持った自分を悪人と感じていた可能性はある。
 ●そしてその事に開き直っている。逆に言えば、開き直らなければホトトギスという権威的な俳壇を運営することは難しかったとも言える 

 こういろいろ考察してくると、私自身が複雑に屈折してくる感じだ。複雑屈折である。

 虚子読んで複雑骨折時鳥   空音

 虚子自身もこの句に関しては躊躇があったに違いない。それがこのインパクトのある句を『五百句』に入れなかった理由ではなかろうか。


99/gohyakkujidai-12

五百句時代

日向ぼこの我を乱さぬ客ならば
大正8年
鑑賞日
2004年
7月30日
 日向ぼっこしている自分を邪魔しない客ならば歓迎する、という意味である。ここにも虚子の性格の一端がうかがわれる。自分の領域をはっきり決めて、その中には他人を踏み込ませないという性格である。自分の分をわきまえているとも取れるし、臆病なのだとも取れる。
 桑原武夫が俳句第二芸術論で俳句を攻撃した時、「俳句も第二芸術まで来ましたか」と嘯いて取りあわなかったものこの性格の由縁だと言える。自分の領域に他人を踏み込ませたくなかったのである。

100/gohyakkujidai-13

五百句時代

明日死ぬる命めでたし小豆粥
大正9年
鑑賞日
2004年
7月31日
 「軽いなあ」という印象である。「生悟り」という感じがする。多分これは虚子が言うからで、芭蕉が言ったらまた別の感じを受けるだろう。虚子が死というものを深く実感したとは思えないからである。「多分死とはこういうものだろう」という観念的な生悟りの状態で言っているに過ぎないからである。
 何故私がこんなことを言うかというと、次のような信念が私にはあるからである。
 「死を深く実感した者には、生きとし生けるものに対する限りない慈しみの情がある。特に人間同胞に対しては尚更である。また、死を深く実感した者は、生きて在るということを大切にする」という信念である。「酌婦来る灯取蟲より汚きが」というような人間性に対する侮辱のような句を作る虚子、また沢山の句における如くに人間に対する皮肉な目を持った虚子が、深く死を実感したとは到底思えない。
表紙へ 前へ 次へ
inserted by FC2 system