五百句時代 |
|||
草枯れて夕日にさはるものもなし
|
明治28年
|
鑑賞日
2004年 7月17日 |
|
こういうさっぱりとした風景は好きである。例えば下のような絵
|
五百句時代 |
|||
雛より小さき嫁を貰ひけり
|
明治29年
|
鑑賞日
2004年 7月18日 |
|
〈雛〉は[ひいな]と読む。
年譜によると虚子の結婚は明治三十年とあるから、この句に出てくる嫁は虚子の結婚相手ではないのだろうか。もし他者の嫁だったら、「かわいらしいお嫁さんを貰ったね」という祝福の気持ちが感じられる。 |
五百句時代 |
|||
行春を尼になるとの便りあり
|
明治29年
|
鑑賞日
2004年 7月19日 |
|
本来、尼になったり僧になったりするのは喜ばしいことなのである。いわばこの世界のより本質的な部分を求める事に専心したい、という事なのであるからである。ところが一般的には「世を儚んで出家した」という言い回しがあるように、ネガティブなこととして捉えられている。世間には楽しいことが沢山あるが、それらを捨てて出家する、というイメージがある。この世的な事とあの世的な事を二つに分けて見る見方がある。 この虚子の句にもその二元的な見方が窺われる。「行春」にそれが良くでている。 白隠の「座禅和讃」は次のように始まる 衆生本来仏なり 水と氷のごとくにて 私はこのような一元的な見方が好きである。 |
五百句時代 |
|||
貧にして孝なる相撲負けにけり
|
明治29年
|
鑑賞日
2004年 7月22日 |
|
虚子の目は「貧しくて孝行者の相撲取りが負けてしまった、残念だ、もっと頑張れ」というのではない。「貧しくて孝行者の相撲取りが負けてしまった。まあ、世の中はこんなもの、美談が通じる世界ではない」という目が感じられる。私は、この虚子の目のあり方を「半悟り」の状態と名付けたい。 確かに虚子は頭の良い人である。物事を客観的に見る目を持っている。しかし、慈愛の伴わない頭の良さは「半悟り」と言わざるを得ない。 |
五百句時代 |
|||
蝶々のもの食ふ音の静かさよ
|
明治30年
|
鑑賞日
2004年 7月23日 |
|
即物的な感じ。これは「静かさ」を表現したのではない。蝶々の姿態を表現したものである。それも物としての蝶、というか、蝶が非常に即物的に描かれている。そして視覚的である。 芭蕉の「閑かさや岩に染みいる蝉の声」などは聴覚的で、聴覚から入って見事に「静かさ」を表現していると言える。虚子の場合は「静かさ」と言っても、視覚性が前面に出てくる。これはタイプの問題で、どちらが優れているという問題ではない。虚子は目から存在に分け入るタイプと私は見ている。芭蕉は聴覚から存在に分け入る。もちろんこれは大雑把な話ではある。 ちょっと気がついたことだが、「蝶々のもの食ふ音の静けさよ」としたら、より静かな感じは出るのではないかと思った。 |
五百句時代 |
|||
暁の紺朝顔や星一つ
|
明治31年
|
鑑賞日
2004年 7月24日 |
|
よく似ている句で石田波郷の「朝顔の紺の彼方の月日かな」というのがある。同じような場面を描いているが、波郷の方は「月日」という言葉に時間の把握があり、また「紺の彼方の月日」と色の対比も強調されていて厚い。波郷の心情が重ねられている。 虚子のこの句はあくまで写生という感じがある。美しいことには変わりはないが、この美しさは「朝顔」や「星」そのものの美しさだけであるので、波郷の句に比べればもの足りない感じはある。 |
五百句時代 |
|||
絵ぶみして生き残りたる女かな
|
明治31年
|
鑑賞日
2004年 7月25日 |
|
「絵ぶみ」は踏絵のことだろう。大辞林によると・・・江戸時代、キリスト教徒弾圧に際して、その信者か否かを見分けるため、キリストやマリアの像を木または金属の板に刻み、足で踏ませたこと。また、その画像。多く春先に行われ、長崎では1857年に廃止したが、幕末まで行われた所もあった。絵踏み。[季]春。・・・とある。
いいではないか。絵踏みをして生き残ろうが、絵踏みをしないで殺されようが、その人の選択でどちらも立派なことだ。「事実をありのままに書いたことであって、その人を非難するつもりはない」と虚子は言うのだろうが、事実をありのままに書けば客観的に書いたということにはならない。事実をありのままに書いて皮肉なものを滲ませるということもあるのである。虚子には皮肉な感じの表れている句がたくさんある。このことに気付いているなら浅薄だし、気付いてないなら愚鈍である。 |
五百句時代 |
|||
坊主にもなりたき思ひ昼寝かな
|
明治32年
|
鑑賞日
2004年 7月26日 |
|
前書に〈高僧傳を読む〉とある。
投げやりというか、大人の生悟りというか、茶化しているというか、そんな感じである。 |
五百句時代 |
|||
三つ食へば葉三片や櫻餅
|
明治37年
|
鑑賞日
2004年 7月27日 |
|
実にまったくもってごくごく当たり前の事なのだが、何となく楽しい句である。逆に言えば、この当たり前の事をぬけぬけと書いたということが面白いのかもしれない。ただこれがいつも成功するとは限らない。多分この句の良さにはそれなりの理由があるだろう。例えば、「三つ」「三片」という言葉の連携。また「三片」「桜餅」というS音の連なりの心地良さなどである。 和菓子には視覚的な美しさとか季節を感じる風情とかがある。それらをもこの句には感じることができる。桜餅が食いたくなってきた。 |
五百句時代 |
|||
静さや花なき庭の春の雨
|
大正5年
|
鑑賞日
2004年 7月28日 |
|
あたたかーい静かさ。何もないのだが孤独という感じではない。「花なき庭」と言って逆に花があるような感じさえある。それもこれもみな「春の雨」という季語の持つ豊かさの所為だろう。 芭蕉の「閑かさや岩にしみ入る蝉の声」は季節を越えて深く深く入ってゆく静かさであるが、虚子のこの句の場合は巡る季節のある瞬間に訪れた静かさである。季節の移り変わりに身を委ねている虚子の姿勢が見える。 |
五百句時代 |
|||
初空や大悪人虚子の頭上に
|
大正7年
|
鑑賞日
2004年 7月29日 |
|
虚子の人間性を考える上で貴重な句である。複雑でありまた屈折しているように思う。
●先ずは謙虚さの表明のようにも受け取れる。「初空が広がっている、自分のような罪深い悪人もこうして生きていることができる。有難いことだ」というのである。 こういろいろ考察してくると、私自身が複雑に屈折してくる感じだ。複雑屈折である。 虚子読んで複雑骨折時鳥 空音 虚子自身もこの句に関しては躊躇があったに違いない。それがこのインパクトのある句を『五百句』に入れなかった理由ではなかろうか。 |
五百句時代 |
|||
日向ぼこの我を乱さぬ客ならば
|
大正8年
|
鑑賞日
2004年 7月30日 |
|
日向ぼっこしている自分を邪魔しない客ならば歓迎する、という意味である。ここにも虚子の性格の一端がうかがわれる。自分の領域をはっきり決めて、その中には他人を踏み込ませないという性格である。自分の分をわきまえているとも取れるし、臆病なのだとも取れる。 桑原武夫が俳句第二芸術論で俳句を攻撃した時、「俳句も第二芸術まで来ましたか」と嘯いて取りあわなかったものこの性格の由縁だと言える。自分の領域に他人を踏み込ませたくなかったのである。 |
五百句時代 |
|||
明日死ぬる命めでたし小豆粥
|
大正9年
|
鑑賞日
2004年 7月31日 |
|
「軽いなあ」という印象である。「生悟り」という感じがする。多分これは虚子が言うからで、芭蕉が言ったらまた別の感じを受けるだろう。虚子が死というものを深く実感したとは思えないからである。「多分死とはこういうものだろう」という観念的な生悟りの状態で言っているに過ぎないからである。 何故私がこんなことを言うかというと、次のような信念が私にはあるからである。 「死を深く実感した者には、生きとし生けるものに対する限りない慈しみの情がある。特に人間同胞に対しては尚更である。また、死を深く実感した者は、生きて在るということを大切にする」という信念である。「酌婦来る灯取蟲より汚きが」というような人間性に対する侮辱のような句を作る虚子、また沢山の句における如くに人間に対する皮肉な目を持った虚子が、深く死を実感したとは到底思えない。 |
表紙へ | 前へ | 次へ |