『五百句』 |
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秋風に草の一葉のうちふるふ
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昭和時代
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鑑賞日
2004年 6月27日 |
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やはり私は単なる写生よりは、そこに作者の真情がうかがえるような句が取りやすい。この句は、秋の風が吹いて草の葉の一つがふるえている、という写生だが、ここには「草の一葉」に自分をなぞらえた心情が読み取れる。 虚子と言えども一人の弱い人間である。この大きな大自然の中でふるえている一つの草の葉にすぎないのだ。ただ虚子の場合、それをあからさまには表現しない。あからさまに表現しないのを良しとしている。自然の事物に託して表現するのを良しとしている。自然を描写するという行為の中に自ずと自分の心情は入って来ると考えている。 だから次に取り上げる句のような「物凄い奴」が出来ることがある。 |
『五百句』 |
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流れ行く大根の葉の早さかな
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昭和時代
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鑑賞日
2004年 6月28日 |
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外界の事物にこれほど肉迫した句は古今東西ないのではなかろうか。心のニュアンスなどは一切なく、あるのはただ外側の事物だけである。しかもその事物がとてつもない迫力を持っている。吐き気を催しそうな迫力である。だからこの句に関しては「凄い」という形容がよく当てはまる。また「好き」だとか「親しみがわく」ということにはならない。最敬礼してからおもむろに離れたいという感じなのである。 絵画で一度こういう感じを持ったことがある。岸田劉生の「切り通しの写生」である。
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『五百句』 |
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石ころも露けきものの一つかな
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昭和時代
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鑑賞日
2004年 6月29日 |
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このくらいの句だと、穏やかな観照眼というか写生眼というか、小さなものを慈しんでいる感じがあって好ましい。こんな感じの墨絵でもあれば居間に掛けておきたいくらいである。 ものの芽俳句として時々話題になる高野素十の「甘草の芽のとびとびのひとならび」と、この虚子の句の決定的に違うところは「甘草の芽・・・」は観察しているのであるが、この「石ころも露・・」は観照しているところなのである。 |
『五百句』 |
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ほつかりと梢に日あり霜の朝
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昭和時代
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鑑賞日
2004年 6月30日 |
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やはり虚子の句を見ていると、日本画だという気がする。いろいろな意味でそうなのだが、絵の具の材質としてそうだなということをこの句から感じる。べたべたした油絵の具でもてらてらしたアクリル絵の具でもない日本画の顔料である。 内容としては熊谷守一の画風を思い出す。
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『五百句』 |
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春潮といへば必ず門司を思ふ
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昭和時代
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鑑賞日
2004年 7月1日 |
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門司の春潮そのものを描いているのではないのだが、門司の春潮が目に浮かんでくる。だからと言って「・・と言えば必ず・・を思ふ」を他の事柄に当てはめて書いてもそうはいかない。なぜなら既にこの句が存在しているからである。二番煎じは二番煎じの味しかしないのである。つまりこの書き方はこの句にのみ有効なのである。・・多分・・
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『五百句』 |
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炎天の空美しや高野山
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昭和時代
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鑑賞日
2004年 7月2日 |
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高野山は真言宗の総本山金剛峰寺のあるところであるが、こういう句を見ると、虚子は宗教というものに価値を於て憧れを持っていた感じはする。いや具体的に何かの宗教というよりは、「山」に象徴される、この俗世間より高い境地への漠然とした憧れと言ったほうが、この句から受ける感じは妥当かもしれない。 この頃、虚子には自然に対して向ける憧れの目と、俗世間に向ける侮りの目があった、この二元性があったと感じている。 いずれにしてもこの句は、その憧れの部分が出ている。 |
『五百句』 |
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浦安の子は裸なり蘆の花
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昭和時代
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鑑賞日
2004年 7月3日 |
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〈蘆の花〉は芒などと同属だがもっと大型である。
古き良き時代の浦安の風情を感じる。 |
『五百句』 |
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山寺の古文書も無く長閑なり
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昭和時代
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鑑賞日
2004年 7月7日 |
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山寺に、その寺を権威付けるような古文書もなく、そしてそれが却って長閑(のどか)である、というのである。この感じは分るし、私にとっても好ましい感じ方である。 権威的なものを取り去ったところにこそ真の静けさ、長閑さはあるのである。宗教の権威的な部分に対して虚子は反発する気持ちがあったに違いない。今までに鑑賞した句の中にもこの事を匂わせるものがある。〈むづかしき禅門出れば葛の花〉〈村の名も法隆寺なり麦を蒔く〉〈老僧の骨刺しに来る薮蚊かな〉などである。 権威のまやかしを見抜く目が虚子にはあったが、彼自身が俳句の世界で一つの権威になってしまったのは残念といえば残念である。多分これは追随者の責任であろう。 |
『五百句』 |
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春の浜大いなる輪が画いてある
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昭和時代
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鑑賞日
2004年 7月8日 |
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一つ前の句「燕のゆるく飛び居る何の意ぞ」とか後で出てくる「大いなるものが過ぎゆく野分かな」とかもそうであるが、虚子は大自然の奥に隠された意志を感じ取りたいという思いがあったと思われる。虚子にとって大自然はまさに神であったと断言しても良いのではないか。そうでなければ「遠山に日の当りたる枯野かな」「桐一葉日当りながら落ちにけり」などの名句が出来るはずがない。 |
『五百句』 |
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襟巻の狐の顔は別にあり
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昭和時代
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鑑賞日
2004年 7月9日 |
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皮肉屋虚子の真骨頂が出ていて面白い句である。つまり狐の襟巻きをした御婦人の顔が狐の顔だというのである。いかに高価な衣装を身に付けようが、その心は狐ぐらいのものだというのである。 こういう上品ぶっている人、偉ぶっている人に対する皮肉は気持ちが良い。虚子にはずっとこういう態度で居てもらいたかった。だが、もう少し後に出てくる「酌婦来る灯取虫より汚きが」は頂けない。虚子の人間性を疑ってしまう。 これからも虚子を読んで行くつもりだが、虚子の人間賛歌のような句にはお目にかかれないのだろうか。 |
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