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高浜虚子を読む61〜70(『五百句』61〜70)

61/gohyakku-61

『五百句』

老僧の蛇を叱りて追ひにけり
大正時代
鑑賞日
2004年
6月15日
 いかにもまだ解脱を果たしていない老僧が感情をむき出しにして蛇を追いかけている姿とも取れるし、解脱や悟りなどという構えた態度を通り越してしまった境地とも取れる。いずれにしろ、人間臭い滑稽味が出ていて面白い。虚子としては、ただ有りのままを書いたということであろう。人間とは哀しくも滑稽な生き物である。

62/gohyakku-62

『五百句』

美人絵の団扇持ちたる老師かな
大正時代
鑑賞日
2004年
6月16日
 この句も前の句(61)と同じような面白味がある。
 老いてなお色欲に捉えられている老師。あるいは、スタイルを気にせずにそれらしくカッコを付けるということからも離れた老師の姿。私としては後者を取りたい。いずれにしてもこの老師、可愛くもある。

63/gohyakku-63

『五百句』

佇めば落葉さ丶やく日向かな
大正時代
鑑賞日
2004年
6月17日
 前句、前前句(61と62)でもそうだが、虚子が人間を描くときにはどことなく皮肉が混じってくる。しかし虚子が自然を描くときにはまことに透明なある時間を感じさせてくれる。この句でもそうである。ほんの小さな時間であるが、そこには人間を慰めてくれる自然が確実に存在している。
 こういう句達を眺めていると、虚子の方法は自然描写にはまことに優れた方法であると言わざるを得ない。
 一方、人間を描くときに虚子の句が皮肉な感じをもたらすのはどういう分けだろうか。結論めいた事は言えないが、多分人間を描くには「客観写生」プラス「アルファ」が必要だということである。単なる自然的な存在と人間存在は違うという事である。
 虚子を否定しているのではない。虚子が自然を描くときには、それはもう最高の質に達しているからである。

64/gohyakku-64

『五百句』

一片の落花見送る静かな
昭和時代
鑑賞日
2004年
6月18日
 すこし前の句に「自らの老好もしや菊に立つ」というのがある。同じような雰囲気の句である。両句とも境地が薄いと思う。逆に言えば、境地を意識し過ぎて却って薄くなってしまっているのである。逆説的になるが、「自分の境地はこうである」と決めてしまうとそれはもう境地ではなくなる。今の言葉で言えばその境地は臭いものである。
 人間迷いの中で、ふと光を見ることがある。「ああこれは価値ある境地だ」と感じる。そうすると今度はその境地にしがみつくことになる。そうするとその境地はだんだん薄く臭いものになってくる。これは私自身への戒めでもあるが、虚子も時々そうなる。
 技術的な事は言ってもしょうがないのだがあえて言えば「静かな」「好もしや」が臭い。

65/gohyakku-65

『五百句』

わだつみに物の命のくらげかな
昭和時代
鑑賞日
2004年
6月19日
 くらげそのものを描いたというよりは、くらげを通して海を描いたという感じがする。広ーい海の感じが出ている。
 この句では、くらげは単なる脇役としてみたい、そうしないとくらげが可哀想である。
 くらげの秀句を二句

 そやつは水母だんだん昏(くら)くくらくなる
 水母たち白い夕日のまま沈む            中村加津彦


66/gohyakku-66

『五百句』

此方へと法の御山のみちをしへ
昭和時代
鑑賞日
2004年
6月20日
 〈法〉は[のり]、〈御〉は[み]とルビ

 「みちをしへ」はハンミョウという昆虫の事で、山道などで人が歩く前を飛んで、まるで道案内をしているように見えるので、この名前がある。
 この句、妙に明るく死後に浄土への道を歩いているような雰囲気を持っている。
 死後、「浄土」や「極楽」や「地獄」などに行くというのは嘘で、これらは全てこの世の事象なのであるが、このような信仰を持っている人がいる事も事実である。そしてこの句のようなものを見ると、そのような信仰を持つこともまた楽しからずや、と思う。


67/gohyakku-67

『五百句』

仲秋や月明かに人老いし
昭和時代
鑑賞日
2004年
6月21日
 虚子の世界の見方が出ているような句で面白いと思った。
 この句に感ずるのは、永遠なものとしての自然(月)、そして儚いものとしての人間である。この大自然と人間をはっきり分けている。二元論である。
 人間も自然の一部であると見るのが一元論である。あらゆる現象は一つのものの現れと見るのが一元論である。
 永遠不滅なものと虚子が見る自然を句にする時、虚子の句は輝く。無常で儚いものと虚子が見る人間を句にする時、虚子の句は皮肉な感じが出ることが多い。これは全てこの二元論的な世界観から来ているのではないかと私は思う。

68/gohyakku-68

『五百句』

やり羽子や油のような京言葉
昭和時代
鑑賞日
2004年
6月24日
 この辺りに並んだ句を抜き書きしてみる。

 はじまらん踊の場(には)の人ゆき丶
 朝寒の老を追ひぬく朝な\/
 東山静に羽子の舞ひ落ちぬ
 草間に光りつづける春の水
 両の掌にすくひてこぼす蝌蚪の水
 行人の落花の風を顧し
 川船のぎいとまがるやよし雀
 姉妹や麦藁籠にゆすらうめ
 新涼や佛にともし奉る

 スケッチとして上手いと思う。虚子はスケッチの達人だとも言える。上手いから鑑賞を飛ばしてしまうのも気が引けるし、そうかといって熱を込めて鑑賞する気にもならない。鑑賞者泣かせである。この辺りが芸術と技術の違いなのではなかろうか。掲出句も「油のような京言葉」というのが非常に上手い。


69/gohyakku-69

『五百句』

ふるさとの月の港をよぎるのみ
昭和時代
鑑賞日
2004年
6月25日
 たんなるスケッチではない微妙な心の動きが感じられる。
 この場面、私には作者が船に乗っていて、故郷の港を過って行くという設定に感じられる。ここには極く僅かな郷愁と、現在の自分の境遇への気持ちの良い肯定がある。「故郷は月が美しく照っている。自分の出で来た故郷は美しい。何も問題はないので自分は帰る必要もない。この美しい故郷を胸に秘めて現在の私は流れて行きます」というような感じである。

70/gohyakku-70

『五百句』

枝豆を喰えば雨月の情けあり
昭和時代
鑑賞日
2004年
6月26日
 雨が降って名月が見えない夜に枝豆を喰っているというのである。そして、それはそれでまたそれなりの風情があるというのである。確かにこれは日本情趣の一つであり、そういう日本情趣の一つを発見したということである。「日本情趣発見家」と言えそうな俳人達が今も沢山いるのではないだろうか。
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