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高浜虚子を読む51〜60(『五百句』51〜60)

51/gohyakku-51

『五百句』

どかと解く夏帯に句を書けとこそ
大正時代
鑑賞日
2004年
6月2日
 どこかの婦人であろうか、多分水商売関係の女性。その女性がどかと帯を解いて、そこに句を所望した、というのである。下手をすれば嫌らしい感じが出る内容だが、「どか」という言葉によってそれが回避された。「この夏帯に句を書いてみろ」という女将の挑戦に対して虚子がどう応えたかは分らないが、俳句作家のプロ根性のようなものがこの句には出ている。

52/gohyakku-52

『五百句』

月の友三人を追ふ一人かな
大正時代
鑑賞日
2004年
6月3日
 「月の友」とは月見を共にする友ということである。現代では無くなってしまったこの風流がいい。去来にも「岩鼻やここにもひとり月の客」などとあるが、虚子の時代にも月を愛でるという事は日常的にあったのだろうか。俳句趣味として「月の友」や「月の客」などを俳句の上だけで使うのは反対だが、実際に月を愛でるという日常が先ず有るということは素晴らしい。
 月見は言わば、日常の中の小さな非日常である。この非日常の行為において、さも大事な事のように、遅れてしまった一人が急いで行くというのは微笑ましいし、また良い時代であったのだと思う。

53/gohyakku-53

『五百句』

天日のうつりて暗し蝌蚪の水
大正時代
鑑賞日
2004年
6月4日
 〈うつりて〉は「映りて」ではなく「移りて」である。
 蛙はは田圃や沼などにかためて卵を産み付ける。そこで孵化した蝌蚪すなわちオタマジャクシがたくさん泳いでいる。それを眺めていると、やがて太陽が物陰に移ったのでオタマジャクシが泳いでいる水が暗くなった、というのである。
 この句の面白さは時間の経過であろう。誰でもが一度は見かけたようなオタマジャクシの水そのものを詠んだのではなく、時間の経過である。「暗し蝌蚪の水」にも心の暗さを表現したような感じはない。
 さらに言えば、時間の経過とともにある作者の在り方である。自然を観照しながらゆったりと時を過す。人間の在り方の一つの理想的な典型と言える。

54/gohyakku-54

『五百句』

棕櫚の花こぼれて掃くも五六日
大正時代
鑑賞日
2004年
6月5日
 前の句「天日のうつりて暗し蝌蚪の水」は自然観照だが、この句は自分の日常を観照していると言える。「棕櫚の花がこぼれて、それを掃いたりしていたがもう棕櫚の花も終りになってしまった。さて五六日は掃いたりしただろうか」というわけである。
 日常を観照するということは、日常を大事に生きているということである。人間、大きな事を成したがるが、日常を大切に生きてゆくという事が一番大事なことなのである。
 この句、そういう日常観照の中にさりげなく棕櫚の花の有様を表現しているのがにくい。

55/gohyakku-55

『五百句』

風鈴に大きな月のかかりけり
大正時代
鑑賞日
2004年
6月9日
 「風鈴」は夏の季語で「月」は秋の季語である。この句の場合は秋と取りたい。秋になっても取り外されないで掛けたままになっている風鈴はその存在感も薄い。そこに秋になり輝きを増してきた大きな月が掛かっているのである。この大きさや存在感の濃い薄いも含めた対比の妙。移り行く季節を感じさせるとともに、そこはかとない無常感もある。

56/gohyakku-56

『五百句』

月浴びて玉崩れをる噴井かな
大正時代
鑑賞日
2004年
6月10日
 写生の上手さ。「玉崩れをる」という表現とか、「噴井」という言葉を見つけたこととかで、誰でもが一度は見たことのある景物をまざまざと見せてくれている。対象物を的確に、思いを入れずに描写することにかけては虚子は優れている。
 この句を取るかどうかで迷ったが、この描写力に敬意を表して頂いた。ただこういう作業は現在ではビデオカメラが上手にやってくれるのでこれからの俳句では廃れていく作業であろう。「客観写生」という言葉が相応しい作品である。

57/gohyakku-57

『五百句』

ひらひらと深きが上の落葉かな
大正時代
鑑賞日
2004年
6月11日
 落葉が深く積もっている。その上にさらに落葉がひらひらと落ちている。
 この句に感じるのは自然の包容力とでも言うような柔らかさである。大きな景色ではなく、森の土そのものに焦点を絞って書いた。じっと見ていると、落葉が堆積した森の土の匂いがしてくる。また、その堆積した落葉の上にさらに現在の落葉が降っているという事で、大自然に受け止められて行く私達の有様が表されているとも言える。
 さらに勘ぐって鑑賞すれば、俳句の伝統(堆積した落葉)の上に自分は一句二句と俳句を積み重ねて行くのだ、という気持ちが虚子の心を過ったかもしれない。

58/gohyakku-58

『五百句』

北風や石を敷きたるロシア町
大正時代
鑑賞日
2004年
6月12日
 「北風や」「石を敷きたる」「ロシア町」、たったこれだけの言葉で映画のワンシーンのような映像が浮かんでくるから俳句とは不思議なものである。「北風」という季語が適切だとか、「ロシア町」という地の言い方が適切だとか、いろいろ技術的な解説はつくが、要するに全ての言葉がきっちりと構成されていて余分なものも足りないものもない。
 今日は北の街の旅情を楽しませてもらった。

59/gohyakku-59

『五百句』

白牡丹といふといへども紅ほのか
大正時代
鑑賞日
2004年
6月13日
 〈白〉は[はく]、〈紅〉は[かう]とルビあり

 白牡丹そのものに肉迫した秀句である。
 「白」や「紅」の読ませ方も上手く、白牡丹そのものの物象感が出ている。
 私には花だけを画面いっぱいに描くジョージア・オキーフの絵が思い出される。
 美しい。


ジョージア・オキーフ作<ベラドナ-ひとつ>(1939)


60/gohyakku-60

『五百句』

競べ馬一騎遊びてはじまらず
大正時代
鑑賞日
2004年
6月14日
 草競馬の一場面。競走馬が気ままにあちらこちら遊んでいてなかなかスタートラインに立たず、競馬が始められないというのである。ただそれだけの事なのだが、この一頭の馬の動きなどが目に浮かぶようで楽しい。観客や関係者も、こういう事には慣れていて特別にいらいらすることもないような雰囲気がある。一昔前ののんびりした風情である。
 一つの例外も認めないような硬直した大らかでない雰囲気はいつの時代でも余り良いものではない。現代はどうか。
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