『五百句』 |
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露の幹静に蝉の歩き居り
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大正時代
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鑑賞日
2004年 5月21日 |
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「露」であるから季節は秋である。その木の幹をのろのろと蝉が歩いている。この露の幹とこの蝉との間には妙な一体感がある。今にも蝉は露の幹に同化してしまうかのような一体感である。この蝉は死期が近いに違いないが、もはや大方は魂が抜けて木の幹になってしまっているような状態の蝉である。 |
『五百句』 |
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大空に又わき出でし小鳥かな
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大正時代
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鑑賞日
2004年 5月22日 |
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上手い、というしかない。つまり誰でもが一度は見たことのある場面をさりげなく書いて、その場面を生き生きと読者の記憶に蘇らせる力がある。止まった風景描写ではなく、この句には動きがあり、その動きが何度も何度も繰り返すのである。写生の力であろう。 |
『五百句』 |
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木曾川の今こそ光れ渡り鳥
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大正時代
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鑑賞日
2004年 5月23日 |
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若々しい句である。地名が上手いのである。たぶん「木曾川」以外にはありえない。試しに「最上川今こそ光れ渡り鳥」「淀川の今こそ光れ渡り鳥」などとやっても全然駄目である。北上川を[きたかみ]と読ませて「北上川の今こそ光れ渡り鳥」は少し良い。つまり私の思うにこのK音が、imaKosohiKareのK音と響きあっているのである。 ではK音のつく川の名前なら良いかというとそうでもない、「鴨川の今こそ光れ渡り鳥」では全く駄目である。木曾川の持つ風土感もまた大きく関係しているのである。 やはりこの「木曾川」という地名を得た事は恩寵としか言い様がない。逆に言えば、木曾川に行ったからこそこの句が出来たとも言える。 |
『五百句』 |
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蛇逃げて我を見し目の草に残る
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大正時代
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鑑賞日
2004年 5月24日 |
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一瞬何の事かと思うが、残像という事を言ったのだと合点する。これも物事を何時も客観的に注意深く見ている意識の現れである。 俳人というのはチャンスがあれば常に俳句を作ろうという意識を持っているから、そこに自然や自分を観察するもう一人の自分というものが常にいる。いや、常にいるのが理想である。こういう態度の恩恵は何も俳人に限ったことではない。この態度は覚醒した意識を持って生きて行くということであるから、万人に共通した言わば「悟り」の態度なのである。であるから逆に言えば、俳句を作るということはこの覚醒した態度を身に付ける上で大層役立つのである。俳句が悟りの文学と言われる所以でもあろう。 |
『五百句』 |
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天の川のもとに天智天皇と虚子と
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大正時代
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鑑賞日
2004年 5月25日 |
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「天の川のもとに天智天皇と臣虚子と」という別案がある。どちらが決定稿か調べてはいないがこちらの方が良い。別々に鑑賞してみる
天の川のもとに天智天皇と臣虚子と |
『五百句』 |
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野を焼いて帰れば燈下母やさし
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大正時代
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鑑賞日
2004年 5月28日 |
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子供の頃の思い出であろうか。母への懐かしさが優しく歌われている。 ちなみに虚子のへの思いを歌った句をネットで検索してみた。以下14句 母が餅やきし火鉢を恋ひめやも ついでに父への思いを歌った句は下の4句である 父恋ふる我を包みて露時雨 一応父母両方への思いはあるが、やはり母への思いが強い。多分これはごく健康な人間の典型と言えるのではないか。 |
『五百句』 |
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秋天の下に野菊の花瓣欠く
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大正時代
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鑑賞日
2004年 5月29日 |
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いいなあ、と思って頂いたのではない。むしろ心がチクっとするような感じがある。「秋天の下の野菊」、非常に爽やかで好ましい風景であるがその野菊の花弁が欠けているというのである。客観写生の瑣末性が出ている句とも取れるし、虚子の心の中に潜む充足されない何かを感じることも出来る。客観写生客観写生と言っても、客観写生をしている主体からは逃れようもないからである。 |
『五百句』 |
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蚰蜒を打てば屑々になりにけり
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大正時代
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鑑賞日
2004年 5月30日 |
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〈蚰蜒〉は[げじげじ]とルビ。〈屑々〉は[くずくず]と読むのか
ゲジゲジ虫を打ったら細かく砕けてしまった、というのである。感心する句、良い句というのではない。虚子という人間を検証するのに面白い句と思ったのである。 |
『五百句』 |
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冬帝先づ日をなげかけて駒ヶ嶽
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大正時代
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鑑賞日
2004年 5月31日 |
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「冬帝」と「は冬を司るもの」というような意味であろう。また、「冬」そのものの人格化とも取れる。 大きな景をさらに大きく把握してスケールが大きい。また、「年を以て巨人としたり歩み去る」と同じように、時間あるいは季節を人格を持つものとして把握する虚子独特の神話的な見方があり楽しい。虚子の持つロマンが出ている好句である。 |
『五百句』 |
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藤の根に猫蛇相搏つ妖々と
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大正時代
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鑑賞日
2004年 6月1日 |
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〈猫蛇〉は[べうだ]とルビ
虚子の一つの幅を示すものとして頂いた。実際にこういう事があって写生したのだろうが、ここには単なる写生の趣とは違うものが出ている。世界を物語性で眺めるというか、それも伝奇的なものに近いような物語である。前に出てきた句では「怒濤岩を噛む我を神かと朧の夜」などにもやや同じ雰囲気があるし、後年出てくる「爛々と昼の星見え菌生え」などにも同じような雰囲気を感じる。 |
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