『五百句』 |
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春風や闘志いだきて丘に立つ
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大正時代
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鑑賞日
2004年 5月9日 |
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若々しい句である。虚子は既に老成したような句をかなり作っているが、ここに来てこの若々しい句ができたのは、やはり俳壇に於て闘うぞという意気込みからか。 人間、敵がいて闘う時は若さが戻ってくる。妙な連想だが、今日本は憲法九条を改正して戦争を肯定するような時代の風潮があるが、それもこれも弛れたような生き甲斐の無いような時代の雰囲気の所為ではないだろうか。戦争は悪だが、少なくも人間を活き活きとさせる力がある事は確かである。それが人間性を破滅させるものだとしても、蛾が火に飛び込むように、戦争に飛び込んでいくということは有りうる。人間もっと知恵を働かせて、自分を活き活きさせることを見いだしていかなければならない時代だ。それでなくても、自然破壊の問題・食糧問題・障害者問題等々どれをとっても最大限の力を尽くして人類が取り組まなければならない問題ばかりである。 さて俳句などの世界でも、事情はよくは知らないが俳壇的な勢力争いというのはあるのだろう。でもこの闘いの良いところは、最終的には自分との闘いである点である。自己を律し自己を観察し、より高いレベルの意識に自分を持って行くというのが根本であるからである。虚子のこの句もまずは自分自身への闘いの宣言だと取っておく。 |
『五百句』 |
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大寺を包みてわめく木の芽かな
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大正時代
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鑑賞日
2004年 5月10日 |
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木の芽が吹き出ずる頃の大風に包まれた寺ということである。 こういう句を読んでいると不安になってくる。何が不安かというと、この「虚子を読む」という作業が続くだろうか、という不安である。なぜなら、このような句には何もコメントが要らないからであり、ただこの句に表されたものを黙って楽しめば良いからである。そして虚子には、ただ黙って楽しめば良いという句が多いのではないかと思うからである。分かりやすくて明らか、これが虚子の良いところでもある。 この句の眼目をあげれば「わめく」という言葉であろう。この言葉によって木々や風の生々とした精気がよく表現され得たからである。 |
『五百句』 |
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一つ根に離れ浮く葉や春の水
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大正時代
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鑑賞日
2004年 5月13日 |
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先ず描写力というものを褒めてあげたい。殆ど主観というものの入っていない描写である。じっと味わっていると、春の水の透明感がこの句の主題かななどと思えてくる。その内に春の水の持つ生命感の様なものがじんわりと感じられてくる。最終的には、物をじっと観察している作者の時間そのものが主題なのだろう、と思えてくる。いわば、物を対象としたある種の瞑想である。 |
『五百句』 |
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舟岸につけば柳に星一つ
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大正時代
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鑑賞日
2004年 5月14日 |
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淋しい。淋しいが美しいので頂いた。 虚子といえば俳句界の大御所として権威を持ったもののように扱われているが、実は孤独で淋しかったのではなかろうか。大御所として振る舞うということは俳壇経営に於ては成功の秘訣ではある。なぜなら衆というものは権威あるように見えるものには盲目的に従ってゆくという性質を持っているからである。その意味で虚子は俳壇経営の天才であったかも知れないし、またその句作の才能も大いなるものがあった事は事実である。が、この美しくも淋しい句を見ていると、権威者というものの一つの孤独を見てしまう気がするのである。 |
『五百句』 |
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年を以て巨人としたり歩み去る
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大正時代
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鑑賞日
2004年 5月15日 |
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充実した一年を過した、少なくも自分にやれることは全てやった、成果もまあまあなのではないか、この年を巨人として自分は来年へ向けて歩み去ろう、来年の事はまた来年が決めてくれるだろう、というのである。 結果がどうあれ、人間は物事を誠実に精一杯やれた時は、その事から歩み去ることが出来やすい。ましてや結果がまあまあ上手くいった時は尚更歩み去りやすい。物事を不誠実に好い加減にやっていると、その事からなかなか離れられないものなのである。だから精一杯誠実に生きたほうが良い。そうすれば死に際しても「生を以て巨人としたり歩み去る」と言うことができるだろう。好きな一句であった。 |
『五百句』 |
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鎌倉を驚かしたる余寒あり
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大正時代
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鑑賞日
2004年 5月16日 |
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この句の良さは響きの良さである。強いて分析してみれば、K音とR音の連続した絡まり合いである。KamaKuRaoodoRoKasitaRuyoKanaRiとK音が五つ、R音が四つある。 それゆえに、余寒のキリッと引き締まった感じが良く表現されていると思う。 同じような句に「寒といふ字に金石の響あり」があるが、こちらは句作りの手の内が見えてしまうので、掲出句の方がずっと良い。 |
『五百句』 |
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一人の強者唯出よ秋の風
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大正時代
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鑑賞日
2004年 5月17日 |
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〈強者〉は[つわもの]と読ませるのだろう。
おそらくこれは俳句の世界での俊英が出現するのを願っての思いであろう。だからこれは俳人達を鼓舞する為の一句ではある。というのが表面上の解釈である。 |
『五百句』 |
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濡縁に雨の後なる一葉かな
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大正時代
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鑑賞日
2004年 5月18日 |
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柔らかくて優しい抒情を感じる。柔らかくて優しい音楽でも流れているような感じさえする。 虚子は「遠山に日の当りたる枯野かな」などという大きな風景を描かせても優れているが、この句のように日常の小さな風景を描かせても優しくてしっとりとした情を描く事が出来たんだなあ、という感懐を抱く。 虚子という人間、文句を付けることができたり感心することができたり大変多面的で面白い。 |
『五百句』 |
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葡萄の種吐き出して事を決しけり
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大正時代
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鑑賞日
2004年 5月19日 |
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虚子は自然を客観的に眺める力も優れているが、自己を客観的に眺める力も優れている。こういう句を見るとそう思う。 何か物事を決して行動を起こすときは「吐き出す」のであり、「飲み込む」のではない。飲み込むという行為は受容であり非行動であるのである。この辺りの心理を虚子は良く観察しているのである。 蛇足になるが、死ぬ時は「息を吐き出す」のではなく「息を引き取る」と言う。これは最終的に死を受容したということであり、一切の活動を放棄しましたということなのである。 |
『五百句』 |
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鳥飛んでそこに通草のありにけり
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大正時代
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鑑賞日
2004年 5月20日 |
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〈通草〉は[あけび]と読む
懐かしい感じを抱かせる句である。どういう種類の懐かしさかというと、かつて自分がそこで暮らしたことがあるような自然への懐かしさである。 |
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