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高浜虚子を読む21〜30(『五百句』21〜30)
『五百句』 |
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主客閑話ででむし竹を上るなり
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明治時代
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鑑賞日
2004年 4月29日 |
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「閑話」を広辞苑で引くと、1)ゆったりとしてものしずかな話、2)むだ話、とある。古き良き時代の風情という感じである。この主人と客は、特に何か話をしなくても解りあっている関係である。人間真に解りあっている時は別に何かを話さなくてもいいのである。・・もう一つの解は、この主人にとってこの客はそんなに大事な客ではなく、むだ話をしながらむしろ竹を上る蝸牛のほうに気を取られている、というものであるが、そんな匂いも少しはする。後になって「彼一語我一語秋深みかも」という句が虚子にはあるが、こうなると紛れもなく主客の関係は親密なものである。 金子兜太に「激論つくし街ゆきオートバイと化す」というのがあり、これも一つの親密な人間関係の現れだと思うが、この違いは時代だろうかそれとも性格だろうか。 |
『五百句』 |
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桐一葉日当りながら落ちにけり
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明治時代
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鑑賞日
2004年 4月30日 |
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私は虚子句というとまずこれを思う。この句はいわば私にとっての虚子の代表句である。 この句を見ていると、永遠というのは百年二百年千年万年・・・・という時間の広がりの果てにあるのではなく、わずか数秒の中にも存在するのだという感じがするのである。 言っていることは「桐の一葉が日に当りながら落ちました」というに過ぎないのであるが、この言い方ではだめできっちりと「桐一葉日当りながら落ちにけり」と言うと、このような深い感覚がおこるのだから俳句形式は不思議である。この句は多分、あれこれと捏ね上げた句ではなく、すっと出てきた句のような印象を受ける。まさに虚子という俳人に降りた恩寵のような瞬間であり句である。 存在は光なり。 |
『五百句』 |
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君と我うそにほればや秋の暮
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明治時代
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鑑賞日
2004年 5月1日 |
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面白い句である。虚子という人間を考えるのに面白い句である。 「あなたと私、できれば嘘に惚れたいですなあ、この秋の暮に」というような事で、何となく言いたい気持ちは分るし言いくるめられそうなものもある。が、割り切れないものが残る。人間、嘘と分っていれば惚れられるわけがないのであるが、このことは虚子にも分っていてあえて言っているのである。 虚子という人間は世界を二元的に割り切って見ている節がある。「嘘」と「まこと」である。「この人間社会は嘘でできていますから、嘘をつかなければ生きてはいけません。上手に嘘を言えることがすなわち大人というものです」というような感じである。これは弱さを抱えた我々人間としては誰しも理解できる事であり、また誰しもがそこで葛藤があるのであるが、虚子の場合は割り切って開き直ってしまう節があるのである。 虚子の人事を詠んだ句に皮肉な感じ、冷たい感じが時々現れるのはその為ではなかろうか。一方この自然界に対峙する時、虚子の「まこと」への思いが率直に現れて沢山の秀句ができたのでは、と私は思っている。 |
『五百句』 |
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淋しさに小女郎なかすや秋の暮
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明治時代
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鑑賞日
2004年 5月2日 |
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〈小女郎〉は小さな女子というくらいの意味であろう。
もちろん小女郎を泣かしているのは虚子ではなく、虚子はその有り様を見ている立場なのである。 |
『五百句』 |
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煮ゆる時蕪汁とぞ匂ひける
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明治時代
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鑑賞日
2004年 5月3日 |
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この鑑賞は朝食前にやることが多い。今日もそうでお腹が空いている。今日はこの句の一つ手前の句「秋空を二つに断てり椎大樹」というのを取るつもりでいたが、隣でこの蕪汁の句からあまりに良い匂いがしてきたのでつい頂いてしまった。 20番の句の鑑賞の時に虚子は視覚型なのではという考察をしたが、目と鼻と口は近いので視覚型の人は鼻の感覚も強いという感じがあるのだが、つまり顔の前面の感覚型である。ちなみに私は聴覚型、顔の側面の感覚型で比較的に目鼻口の感覚は鈍い。 それにしてもお腹が空いた。蕪の味噌汁が食いたくなった。 |
『五百句』 |
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老僧の骨刺しに来る薮蚊かな
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明治時代
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鑑賞日
2004年 5月4日 |
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今日はこの虚子の皮肉な眼差しを楽しもう。 「いくら偉そうな事を言い続けても所詮は欲を持った人間。しかもこの欲に満ちた肉体は否応なしに老いる。それをこの無知文盲、取るに足らない小さな薮蚊が刺しに来る。さあどうするどうする・・・」といったところだろうか。これはある意味では小気味良い把握で、あたかもこの薮蚊の一刺しが禅の一撃のような味をもっている。 しかしやはり皮肉な感じが漂う。皮肉とは広辞苑の〈遠回しに意地悪く弱点などをつくこと〉の意味。 |
『五百句』 |
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岸に釣る人の欠伸や舟遊
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明治時代
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鑑賞日
2004年 5月5日 |
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人生には何の問題もない。こののどかさを見よ。ゆったりとした川の流れ。太陽も程よく照っている。魚が釣れたら、多分夕飯のおかずにはなるだろう。しかし釣れなくてもそれはそれで良い。この恵まれた一日を過すことができたのだから。 私はこのような単純で素朴な人間と自然との関わりを見ていると涙が出てくる。つまり懐かしいのである。人間が失ってしまった自然との関わりを見せられているようで涙が出てくるのかも知れない。この感覚はジョン・デンバーの「カントリーロード」などを聴くときの感覚に似ている。 |
『五百句』 |
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金亀子擲つ闇の深さかな
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明治時代
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鑑賞日
2004年 5月6日 |
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金亀子(こがねむし)とルビ。〈擲つ〉は「なげうつ」
この闇の深さには、外側の闇の深さも勿論あるが、内面の闇の深さというものもそこに当然含まれている。私は秀句というものは外側の自然を内側の自然の合一というものが実現されていると思うのであるが、その意味でこれは秀句である。 |
『五百句』 |
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凡そ天下に去来程の小さき墓に参りけり
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明治時代
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鑑賞日
2004年 5月7日 |
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去来への親しみ尊敬の念の表れた秀句である。去来は芭蕉の弟子で、自分を小さくすることにかけては天下一品で、生涯芭蕉の弟子として師を敬い続けた謙虚な人であると聞く。またその墓も小さい。 この句、この破調が快く響く。虚子はこの句で、自分を小さく虚しくすることの美しさをを詩っているのである。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
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『五百句』 |
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霜降れば霜を盾とす法の城
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大正時代
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鑑賞日
2004年 5月8日 |
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虚子の作句姿勢を表現している句である。有季定型を守って自分は作句してゆきますよ、という宣言である。この事を彼は生涯見事に貫いた。そして沢山の優れた句を作った。そして多くの俳人達もこの法の城に守られて安心して作句活動をした。だからこの法の城は俳句の歴史上一つの大きな城である事は間違いない。 有季定型。私はこの有用で美しい一つの拠り所を壊すつもりはない。しかしより現在生きているという生[なま]な事実に合ったようにこの城は増築されなければならないと考える(増築しないと、俳句は趣味的なお稽古ごとの世界に陥ってしまうからである)。例えばアインシュタインはニュートンの物理学を含むような形で新しい考え方を導入したわけであるが、そのようにである。古き良き概念はそれを含むような形で拡張されるべきであると思うのである。 「定型」の部分は片足を突っ込んだ形で守られるべきである。なぜなら、定型が意識されないなら、もはやそれは俳句の範疇ではなく、そもそもこの議論さえもが必要なくなってしまうからである。 「有季」の部分については、私はこれを自己に対峙する客体の全てというくらいに今は考えておきたい。(もちろんこの客体の大きな部分は私達をとりまく大自然が占める。また日本ではこの自然現象の大部分は季を持つのであるから、季語が季を持つという約束は残しておいた方が豊かである。)あらゆる詩は、自己と自己をとりまく世界との恋愛関係の上に成り立つと言えないだろうか、だからである。 そしてこの恋愛関係の目指すところの一つの大きな喜びは自己と自己をとりまく世界との「合一」ではなかろうか。先輩達がいみじくも言った「主客合一」(虚子)・「天人合一」(兜太)・「実相観入」(茂吉)、これらは全てこの事だと想像している。 |
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