『七百百五十句』 |
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ゆらぎ見ゆ百の椿が三百に
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昭和26年
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鑑賞日
2004年 11月13日 |
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例えばこの句の前にある「薮の穂に春日遅々とわたりをり」という句のように、虚子には自然を静かに観照したような句が多いと思うのであるが、この句は少し変っている。自然の美しさへの驚き、眩暈さえするかのごとき驚きである。 と、書いたが、よく読んでいくと、これは虚子の側の実際の眩暈ではあるまいかと思えてきた。身体的な不調である眩暈ではなく、心理的な眩暈である。192の鑑賞で取り上げた句で「去年今年貫く棒の如きもの」という盤石の心境を披露した虚子であるが、その実、心理的な惑いがあったというのは大いに考えられる。多分そうだ。そのほうが、人間存在の真実に近い。 |
『七百百五十句』 |
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汝に謝す我が眼明かいぬふぐり
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昭和26年
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鑑賞日
2004年 11月14日 |
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「あなたに謝りたい。今私の眼にははっきりと物事が見える。・・明るく透明な感じの小さないぬふぐりの花が咲いているのが見える・・」という感じであろうか。「汝」とは誰か、また何故謝るのか。それは虚子自身の心に秘められた秘密であるが、このような心境には共感でき、そして潔く清々しいものがある。いぬふぐりの花の美しさが全てを語っている。 この句は193で鑑賞した「ゆらぎ見ゆ百の椿が三百に」の次にある句なのである。この「ゆらぎ見ゆ・・・」の眩暈を催すような浮ついた心理状態の句と、この句の懺悔の清々しさのような句を比べてみると、そこになんらかの事実があったのではと強く感ずる。 |
『七百百五十句』 |
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老の春「高濱虚子」という書物
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昭和27年
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鑑賞日
2004年 11月15日 |
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自分の書いた「高濱虚子」という書物を眼にして、ああ自分はこれを書いたんだなあと思っているのではない。過去の業績に満足したり不満足だったりしているわけではない。むしろ、この書物を自分が過去に書いたという事実が遠いものに思われているのである。今いる自分は過去の自分とは無関係な感じなのである。 人間とはそういうものではなかろうか。過去にやってきたことなど現在の自分のあり方とは無関係なのである。過去にたくさんの業績を残した人が、現在幸せかというと、そうでもない。過去にたくさんの悪行をしてきた人が、現在不幸かというと、そうでもない。現在は現在、過去は過去である。むしろ、現在が全てである、と言える。 |
『七百百五十句』 |
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明易や花鳥諷詠南無阿弥陀仏
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昭和29年
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鑑賞日
2004年 11月16日 |
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いちいち挙げないが、このあたりに並んでいる句を見ると、しっちゃかめっちゃかに意識が浮ついて荒れている、という感じがある。想像するに、句をパッパパッパと作り過ぎているのではないか。「花鳥諷詠」というスローガンを掲げて、それを過信しすぎたのか、軽くてつまらない句が並んでいる。一つの方法論で物事を割り切ると、作品がどんどん出来るということがある。しかし、その作品はだんだん浅薄なものになるのである。これは必然なのである。一つの方法論で搦め捕ることができるほど物事の本質は単純ではないのだ。方法論を打ち立てるのは良い。しかし、そこにいつまでも留まっていてはいけないのである。いつまでもしがみついていてはいけないのである。だんだん物事の本質が見えなくなってくるからである。 この句に出会った時に、この句は「花鳥諷詠」の弔いの句のように思えた。「花鳥諷詠」を葬って、手を合わせて「南無阿弥陀仏」と唱えている虚子の姿が眼に浮かんだ。そう考えると「明易」という季語がぴったりとするではないか。 この解釈は、私の虚子に対する願望が込められている解釈である。 |
『七百百五十句』 |
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山寺に名残蝿叩に名残
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昭和29年
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鑑賞日
2004年 11月17日 |
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前の句の鑑賞で、この辺りの句のつまらなさを書いたので、この句はその代表として選んでみた。この句の前後に「蝿叩」の句がいくつかあるので羅列してみる。 山寺に蝿叩なし作らばや 一匹の蠅一本の蝿叩 山寺に一人居る部屋蝿叩 蝿叩とり彼一打我一打 山寺に名残蝿叩に名残 蝿叩にはじまり蝿叩に終る という具合である。どうでもいい事を自己満足で多産しているという感じである。これでは「花鳥諷詠」というものを葬って「南無阿弥陀仏」と言いたくなる。 |
『七百百五十句』 |
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すぐ来いという子規の夢明易き
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昭和29年
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鑑賞日
2004年 11月18日 |
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この句の内容は事実であろう。だから、それなりにインパクトがある。 この辺りの句を読んでいると、虚子が可哀想にならないこともない。孤独である。祭り上げられてはいるが孤独である。虚子には叱咤してくれる者が必要だった。無意識の内で虚子はそう感じていた、だから夢という形で子規が虚子の前に現れたのだ。虚子はこの無意識を掘り下げるべきだった。しかし、せっかくの子規の夢を「明易き」などという言葉で俳句にして終りにしてしまった。これも彼の業である。 この句の後に、「人を恐れ野分を恐れ住みにけり」「我一人花野の道を歩くのみ」「祝わるヽことも淋しや老の秋」のような句が続き次の句がでてくる 〈子規の墓に参る〉 参りたる墓は黙して語らざる 子規はもう語りかけてくれない。内省する力はない。彼は老いた。ひとりぼっちである。淋しい。 |
『七百百五十句』 |
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拡ごれる春曙の水輪かな
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昭和30年
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鑑賞日
2004年 11月19日 |
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少しはほっとするような句をいただいた。 この二句前に「古袷着てたゞ心豊かなり」というのがあったりする。このところ、虚子は孤独である、というような感想を述べてきた。本質的に孤独な人というのは、少し良いことがあったりすると、直ぐに元気になるという事がある。だから、この句を書くような時は、何か少し良い事があったに違いない。この句の次に「蒲団あり来て泊れとの汀女母」などという句もある。 この句の後に、次のような句もある 自ら風の涼しき余生かな 必ずしも蠅を叩かんとに非ず 一切を放擲し去り大昼寝 何か、調子がいいなあ、という感じである。センチな老人の気まぐれとでも言おうか。 |
『七百百五十句』 |
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冬晴の虚子我ありと思ふのみ
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昭和30年
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鑑賞日
2004年 11月20日 |
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この自我意識が虚子の問題の全てである。この「我あり」という感覚は肯定的に捉えられる場合と否定的に捉えられる場合がある。肯定的に捉えられる場合とは「我あり、この宇宙には我しかいない」という捉え方である。否定的に捉えられる場合は「我あり、そして他者がいる」という感覚の場合である。 「我あり、この宇宙には我しかいない」というのは宗教的な達成の極限の状態であり、「我あり、我は汝であり、我は彼等であり、そして我は宇宙であり、我は神である」という状態である。つまり我だけが存在して他者はいないのである。 しかるにこの虚子の「我ありと思ふのみ」は「我あり、そして他者はいるかいないか関係ない」という類のもので、精妙な自我意識の表明なのである。 何故こんなことが言えるかというと、宗教的な悟りの表明でもある「我あり」の場合は「虚子」などという個人の意識は失せているはずだからである。だから、「・・・虚子我ありと思うふのみ」は厄介な自我意識の表明に過ぎないのである。この自我意識から、虚子の孤独感はやってくる。 |
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