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高浜虚子を読む181〜192(六百五十句 1〜12)

181/roppyakugojukku-1

『六百五十句

秋風や静かに動く萩芒
昭和21年
鑑賞日
2004年
10月30日
 六百五十句に入って、約150句を飛ばした。取り上げるべき句がなかった。虚子も七十二歳であり、力も衰えたというべきか。若いころは人間を見下したような厭な句もあったが、とても素晴らしい句もあった。この辺りには厭な句もないが素敵な句も少ない。良い句がたくさんある中で選句をしてゆくと、かなりの良い句でも落としてしまうことがあるし、あまり良くない句ばかりの中で選句をしてゆくと、まあまあの句でも選ぶことになる。
 この句などもあまり力はないが、老境の静かさというようなさっぱり感があったので頂いた。

182/roppyakugojukku-2

『六百五十句

詣るにも小さき墓のなつかしく
昭和21年
鑑賞日
2004年
10月31日
 私にもこの感じが良く分かるので頂いた。立派な御影石で作られた大きい墓よりも粗末とさえ言える小さな墓のほうが親しみがあり、また懐かしい感じがする。そこには偉そうな戒名も付けて無く、ただ「誰々の墓」などと掘ってある。側に可憐な野の花などが咲いていればなお懐かしい。墓などはそれでいいのだ、それがいいのだ。何も死んでまで金をかけることはない。まして高額な金を払って戒名を買うなどは馬鹿らしい。虚子の「凡そ天下に去来程の小さき墓に参りけり」を思い出す。

183/roppyakugojukku-3

『六百五十句

濃紅葉に涙せき来る如何にせん
昭和21年
鑑賞日
2004年
11月1日
 濃い紅葉を見て涙が込上げて来る、どうしたらいいだろうか、というのである。
 深い人間らしい感情である。自然存在のあまりの美しさに涙する。この自然が美しくて愛おしくてしかたがないのだ。そしてこの美しい世界に生れてきて、これらを愛でることのできる自分の仕合せが何とも有難いのである。だから涙すれば良いのだ。泣けば良いのだ。「如何にせん」などとは言わないこと。このやって来た恵みの瞬間に深く深く没入すれば良いのだ。そうすれば自己の皮が一枚はがれて、世界がまた違ったものみ見えてくるはずである。
 自然に対して素晴らしい感受性を持った虚子である。この「如何にせん」という抑制がいかにも惜しいのである。

184/roppyakugojukku-4

『六百五十句

茎右往左往菓子器のさくらんぼ
昭和22年
鑑賞日
2004年
11月2日
 菓子器のさくらんぼを見て、威勢で出来たような句である。「茎右往左往」という威勢が良い。大皿にどんと盛られて、「さあ食べましょう」という家の活気までが感じられる。こういう句ができるというのは、その時の作者の心にも弾んだものがあったに違いない。単なる写生の句なのであるが、このように作者の心持ちが反映してくると、菓子器もさくらんぼも何もかもが活き活きとしてくる。

185/roppyakugojukku-5

『六百五十句

戸隠の山々沈み月高し
昭和22年
鑑賞日
2004年
11月3日
 この句は戸隠連峰を知っているとその感じが良く分かる。私は戸隠村の隣の村に住んでいるので戸隠連峰を見たことがあるのである。戸隠連峰はどちらかというと荒々しい感じの山々であるが、その山々が夜の暗さの中に沈み込んで、煌々たる月が高く昇り辺りを照らしている。その感じが良く分かるのである。


http://niigata.cool.ne.jp/takatsuma/minakami.htmlより転載させて頂きました。


186/roppyakugojukku-6

『六百五十句

爛々と昼の星見え菌生え
昭和22年
鑑賞日
2004年
11月6日
 あまり高揚感も詩的深みもない平凡な日常詠が続く中、突然という感じでこのような句が出てくる。周りの句と同じ人が作ったとは思えない感じさえする。それだけにその印象は強烈であり、ごみ箱の中から宝石を見つけたような気さえする。
 昼の星が爛々と光っている、そして菌が生えている。ただその事実だけが提示されている。何らかの寓意や意味や説明の入り込む余地はなく、逆にそれ故に、句がそのもの自体として存在しているのである。
 この句はとてもいわゆる伝統派の句とは思えない。優れたシュールリアリズムの絵画を見るような雰囲気さえある。こういう句を見ていると、虚子というのは個人として凄いものがあるという感じがする。自分が打ち立て、多くの人が追随している客観写生・花鳥諷詠の世界からはみ出してしまっているものがある。

187/roppyakugojukku-7

『六百五十句

海女とても陸こそよけれ桃の花
昭和23年
鑑賞日
2004年
11月7日
 桃の花が散見するような海岸で海女達が海から上がり一休みして茶などを楽しんでいる様子が眼に浮かぶようだ。のんびりとした暖かい季節感が感じられる。また、海女と桃の花のイメージが重なってきて、ふくよかで健康な海女の肉体や精神が感じられる。

188/roppyakugojukku-8

『六百五十句

古庭のででむしの皆動きをり
昭和23年
鑑賞日
2004年
11月8日
 一匹のでで虫が動いている。こちらにもでで虫が動いている。そこにもあそこにもでで虫がいて動いている。気がつけば、たくさんのでで虫が、この庭には居て、みんな動いている。
 このような経験は誰にでもある。例えば一つの葉っぱが動いているのを見たのをきっかけに、ありとある葉っぱが動いているのを意識することがある。そんな時、大自然は生きて呼吸しているのだなあ、と実感する。
 この句では、古庭が舞台である。新しい庭ではこうはいかない。それはまだ人工の産物だからである。古い庭だからこそ、その庭は自然に近いものが出てきているのだ。草木は育ち、いろいろな小動物も住みつける環境となっている。

189/roppyakugojukku-9

『六百五十句

虚子一人銀河と共に西へ行く
昭和24年
鑑賞日
2004年
11月9日
 この句の前に「銀河中天老の血からをそれに得つ」「銀河西へ人は東へ流れ星」という句があり、この句の後に「西方の浄土は銀河落るところ」というのがあるから、この句の句意はあきらかである。
 七十五歳にしてこの心意気は大したものであるが、やはり哀れだという方が強い。この何と言ったら良いか、いわば衆生と離れた感じは頂けない。自分で自分を孤高な境地にあると思っている。孤高な境地というのは他の人々がそう見るのであって、自分がそのような境地にあると自覚するべきものではない。自分で自分を孤高な境地にある、と見るのは滑稽である。滑稽であるばかりでなく、孤独である。だから私は虚子が哀れだと思うのである。

190/roppyakugojukku-10

『六百五十句

人生は陳腐なるかな走馬灯
昭和24年
鑑賞日
2004年
11月10日
 晩年において、人生は陳腐である、というある意味では達観したような虚子。これを、やはり虚子は凄い、と見るか、あるいは可哀想だとみるか、である。一見、彼はこの“生”という荒馬を手なずけ、乗りこなしたかのように見える。たしかに彼はこの荒馬を乗りこなしたと言える。しかし、彼はこの“生”という荒馬と一体になることはできなかった。“生”を乗りこなすことより“生”と一体になることの方が、より上位にあるということを彼は知らなかった。
 だから、例えば、最後に「旅に病んで夢は枯野をかけめぐる」というような一見苦悶とも見える句を残して死んだ芭蕉の方が、生のあり方としては上位にあると私は思う。芭蕉は“生”という荒馬と一体となったのである。
 “生”を手なずけ得た、と確信した時に、すでにその“生”から強烈なしっぺ返しがやって来ている。虚子の場合は強烈な孤独感である。孤高感と言い換えても良い。“生”を手なずけるより“生”と一体になった方が良いのである。

191/roppyakugojukku-11

『六百五十句

彼一語我一語秋深みかも
昭和25年
鑑賞日
2004年
11月11日
 約120句を飛ばした。それだけ感じる句がなかったのだが、突然にこのような素敵な句が現れるから、迂闊には飛ばし読みはできない。句集を読むのは、海の砂浜などで奇麗な石を探し集めるのに似ている。無数にある砂の中に時々奇麗に光った石などがあると嬉しくなり、ポケットにしまうのであるが、句集を読む時の感じもこんな風である。大方の句は平凡な砂みたいであり、その中にときどき光った句があるわけである。そしてそれを見つけると嬉しくなるわけである。私も時々、句集などを送ってもらうことがある。そんな時は出来るだけ感想などを書き送っている。困るのは、句集の中に光った句が見当たらない時である。そんな句集をもらったこともある。
 さてこの句。日常の一場面に「秋深む」という季語をからませたものだが、ただ秋が深むという季節感だけではなく、時間そのもの、「在る」というそのものが深む感じが出ていて素晴らしい。晩年の虚子に訪れた清明な意識の瞬間である。
 190で取り上げた「人生は陳腐なるかな走馬灯」の意識に比べると、この句の意識はとても深く共感できるのである。虚子という人物を、意識の相反する二つの面を持った人物として認識しておきたいと思う次第である。

192/roppyakugojukku-12

『六百五十句

今年去年貫く棒の如きもの
昭和25年
鑑賞日
2004年
11月12日
 虚子の巨人ぶりが発揮された句である。虚子の代表句と見て間違いない。虚子には他にもたくさんの秀句があるが、虚子自身の内面を表現したものとしては、この句が最高である。内面の核心を書いているからである。内面の核心を書いているから、その表現は抽象的なものにならざるを得ないのだが、このごろんとした存在感は大したものである。
 「去年今年」と言っているが、これは殆ど〈生涯ずっと〉というニュアンスを持っている。自分の生涯を「棒の如きもの」が貫いている、というのである。この「棒の如きもの」が何であるかを詮索することは、あまり面白い作業ではない。多分それはさまざまな説明ができるが、「棒の如きもの」以上にぴったりとしたインパクトのある言葉はないだろうからである。
 とにかく、この「棒の如きもの」が虚子の生涯を貫き、虚子を支え、虚子の拠り所となった事は間違いない。逆に言えば、この「棒の如きもの」が虚子を縛りつけ、さらなる自由への飛躍を妨げたとも言えるのである。いずれにしろ、この句はある種のタイプの人間を描ききっていて見事である、と言える。
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