『小諸百句』 |
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初蝶来何色と問ふ黄と答ふ
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昭和19年
~昭和21年 |
鑑賞日
2004年 10月19日 |
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〈来〉は[く]とルビ
常識的に言えば、初蝶が来たのを作者が見て、「初蝶が来たよ」などと誰かに呼びかける、その誰かが「何色なの」などと問う、作者が「黄色だよ」などと答えた、ということであろう。しかし逆の立場も考えられる、「初蝶だわよ」などと誰かが言う、作者が「何色だい」などと問う、「黄色よ」などと誰かが答えた、というようにである。 |
『小諸百句』 |
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山国の蝶をあらしと思はずや
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昭和19年
~昭和21年 |
鑑賞日
2004年 10月20日 |
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山国の蝶を荒々しいと思わないだろうか、私は思う、ということである。私は山国に住んでいるので、殊更にそうは思わないが、これは山国に疎開してきた虚子の感慨である。つまり蝶そのものもそうであるが、山国そのものに対する虚子の感慨でもあろう。「思ふなり」としないで「思はずや」としたことによって、山国に住むということの違和感がじわじわと伝わってくる。戦争というものによって疎開せざるを得なかった境遇をはっきり厭うというのではなく、そこはかとない生理的な拒否反応である。 虚子は昭和十九年に小諸に疎開している。七十歳であった。 |
『小諸百句』 |
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桃咲くや足投げ出して針仕事
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昭和19年
~昭和21年 |
鑑賞日
2004年 10月21日 |
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・・・もう大分暖かい季節、縁側かなにかで針仕事をしている。時々目を上げて外の日和を見たりしながらのんびりとした雰囲気で針仕事をしている。それでも時々疲れるから、足を投げ出したり、姿勢を変えたりしながら、のんびりした時間が流れてゆく・・・そんな情景が目に浮かんでくるような句である。日常というのは良いものだなあという感慨すら持つ。それもこれも「桃咲くや」という季語の持つ、雰囲気を醸し出す力による。 |
『小諸百句』 |
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麦の出来悪しと鳴くや行々子
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昭和19年
~昭和21年 |
鑑賞日
2004年 10月22日 |
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行々子は葭切のことで、ギョギョシギョギョシとうるさく鳴く鳥である。行々子が麦の出来が悪いと鳴くわけはない。多分これは近所の百姓が「今年は麦の出来が悪い悪い」と言いあっているのを聞いて、これを行々子に譬えたものだろう、と推測する。大体百姓のそれも女達の会話はこんなもので、天気が悪いと言ってはギョギョシギョギョシと鳴き。誰それのうわさ話をしてはギョギョシギョギョシと鳴くのである。「仰々しい」という言葉の意味も含ませてあるのだろう。 |
『小諸百句』 |
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夏草に延びてからまる牛の舌
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昭和19年
~昭和21年 |
鑑賞日
2004年 10月23日 |
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動物の仕草の小さな部分を描いてその動物の全体を描くことができる、ということの見本のような句である。牛の舌だけを描写しているのだが、牛全体また牧場風景さえも見えてくる。しかしその動物、その仕草は誰でもがよく知っているものでなければ、こうはいかない。その誰でもが知っているものを見逃さずに描く技術、あるいは物事を日常的に観察する態度が虚子にあるから出来ることである。 |
『小諸百句』 |
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虹立ちて忽ち君のある如し
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昭和19年
~昭和21年 |
鑑賞日
2004年 10月24日 |
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〈昭和十九年十月二十日。虹立つ。虹の橋か丶りたらば渡りて鎌倉に行かんといひし三国の愛子におくる 二句〉と前書のある一句目
若々しい句である。虚子七十歳の句である。この前書のある二句目の句と並べてみよう 虹立ちて忽ち君のある如し まるで恋人に当てたラブレターである。森田愛子は虚子の愛弟子であり、1917年生れ三十歳の若さで早世した。つまり、虚子がこの句を書いた時は愛子は二十七歳ということになる。 |
『小諸百句』 |
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虹を見て思ひ/\に美しき
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昭和19年
~昭和21年 |
鑑賞日
2004年 10月25日 |
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虹というのは美しい現象である。また不思議な現象でもある。そういう自然現象を見るとき人間は驚き、この世界の神秘に触れた思いがして、自己の中にある根源的なものが共振することがある。その時に人間は皆美しい。 ところで、虹という現象が毎日あったらどうだろう。多分、人間はそれに慣れてしまって、そんなに美しいとも神秘だとも思わなくなるだろう。これが人間の状況ではないだろうか。 私は時々思うことがある、この世界そのものが奇跡であり美しい、と。それに比べれば、例えば、空中浮遊をしたりすることは、ちょっとした手品に過ぎないなどと感じるのである。それが事実起こったりしてもである。 人間は忘れっぽいのである。もし人間に罪というものがあるとしたら、それはこの忘れっぽさにある。本来、この世界は神秘であり、人間は皆美しいのである。 |
『小諸百句』 |
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虹消えて音楽は尚ほ続きをり
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昭和19年
~昭和21年 |
鑑賞日
2004年 10月28日 |
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余韻ということである。 美しいもの、不可思議なものを見た後余韻は続く。その衝撃が大きければ大きいほどその余韻は長く続く。芸術家というのはこのことを知っているはずである。そういう余韻をもたらすような体験をしているはずである。そしてその余韻を再現するために、何度も何度も作品を作り続けるのである。虚子は連続して 虹立ちて忽ち君のある如し と立て続けに虹の句を書いている。おまけに「虹」という小説も書いているのだそうである。余程、この時の虹の印象が強かったに違いない。 |
『小諸百句』 |
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ラヂオよく聞こえ北佐久秋の晴
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昭和19年
~昭和21年 |
鑑賞日
2004年 10月29日 |
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私は長野県でも北信の山深いところに住んでいる。たまに実家の高崎に車で行く時に北佐久郡のあたりを通るが、そこは真っ平というのではなく比較的に低い丘陵が連なっていて空も大きく、遠くには浅間山も見える。だから秋晴の日にはラジオもよく聞こえそうである。この句は「北佐久」という土地の感じが良く表わされていると感じた。稲をはじめ様々な作物が実り、葡萄園や林檎園なども見えたかもしれない。 ただこの時は戦時中だったことを思えば、良き一日の描写ということにはならないはずなのだが、句から受ける感じは戦争などという雰囲気は少しもない。虚子には戦争もあまり関係なかったということかもしれない。 |
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