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高浜虚子を読む201〜210(七百五十句 9〜18)

201/nanahyakugojukku-9

『七百百五十句

彼一語我一語新茶淹れながら
昭和31年
鑑賞日
2004年
11月21日
 宗匠ともなれば一月に何句か作らなければ体裁が保てないという事もあるのだろうか。つまらない句である。「彼一語我一語秋深みかも」の模倣である事が誰にでもバレバレの句であり、恥ずかしい。「・・・秋深みかも」が素晴らしいので余計そう感じてしまう。作家ならば、いい加減に何かを作ってお茶を濁すというのは止めたほうが良いのではないか。どうせなら「彼一語我一語茶を濁しながら」とでも作れば、それなりの真実味が出てくる。

202/nanahyakugojukku-10

『七百百五十句

蜘蛛に生れ網をかけねばならぬかな
昭和31年
鑑賞日
2004年
11月22日
 
 蜘蛛の巣を見ながらこんな言葉がふっと口をついて出てきたのだろう。輪廻転生という考え方も虚子の頭の中にはあったのだろうが、彼自身のあり方が蜘蛛に良く似ていたような気もする。だから、ふっとこのような想念が湧くのである。俳句という網、「ホトトギス」という網、「花鳥諷詠」という網をかけて、迷い飛んでくる虫達を搦め捕っていた、とも言えるからである。彼は獲物を、こちらから出向いていって捕まえる性格ではなく、罠をかけて待っているという性格に思える。私は、このあり方を否定しているのではない。これはタイプであるから否定はしない。また、人間、多かれ少なかれ、この世で生きてゆくためには獲物を獲らなければならないのであるから。
 また、この句は美しくもある。蜘蛛が網をかけるという行為が、その本質までも含めて美しく描かれている。

http://www.agr.hokudai.ac.jp/~tate/vol.13/kumonosu2.htmlより転載させていただきました。


203/nanahyakugojukku-11

『七百百五十句

我生の美しき虹皆消えぬ
昭和32年
鑑賞日
2004年
11月23日
 この辺りにはずっと老人のつぶやきのような句がならんでいて、取り上げることができないのであったが、この句くらいにストレートに老いの悲しみを書かれると、それなりに美しい。
 妙に悟った風をしたり、体裁を考えたりしないで、人間は喜怒哀楽に素直に入っていけば良いのである。そうすればその喜怒哀楽の向こう側に綿々として横たわる平安が見えてくるはずなのである。その意味でこの句に表現された心境は、大いなる平安の入り口となり得るものなのである。悲しみなのである。その悲しみが素直に表現されているから美しい。
 この入り口を逃すなと、私は言いたいのであるが・・・

204/nanahyakugojukku-12

『七百百五十句

俳諧の灯のともりけり月見草
昭和32年
鑑賞日
2004年
11月24日
 「我が生の美しき虹皆消えぬ」と合わせて鑑賞すると面白い。
 虚子は〈俳諧の灯〉をともしたかった。そして虚子の考える〈俳諧の灯〉はともっている。月見草が日暮時に、そのほのかな光で世の中を明るくするように、確かにともっている。この句はそのような感慨を月見草に重ねて美しい。
 しかし、生の美しき虹が消えたような空しさにおそわれることがある。何故か。
 ここに〈人生の真の目的は何か〉という問題が横たわる。〈金をたくさん得ること〉〈有名になって人々から注目されること〉〈立派な事業を成し遂げて人類に役立つこと〉〈良い伴侶を得て健康な家族に恵まれること〉等々、いろいろな答えがあるだろう。しかし、これらが達成された時に、再び疑問が起こる、「それで・・・?」という疑問である。この疑問に対する答えは多分〈・・それで幸福になるため〉に違いない。さあ、ここでまた疑問が起こる。「・・それで幸福になるの?」ということである。
 幸福は、何かを成し遂げたから、あるいは何かを得たから、手に入るものだろうか。否、と私は言いたいのである。
 真の幸福は無条件であるはずなのである。即時のものであるはずなのである。未来に、こうすれば幸福になるとか、未来に、何かが手に入れば幸福になるとか、というものではない。真の幸福は条件付きではあり得ないのである。
 幸福は本日只今直ぐに成るもの、と私は思う。

 虚子は目的を成し遂げた、しかし・・しかし・・なのである。

 誤解されないために言っておきたいが、「目的を掲げて歩むのは良いことなのである。しかしそれを真の目的にしてはいけない」ということなのである。

205/nanahyakugojukku-13

『七百百五十句

風生と死の話して涼しさよ
昭和32年
鑑賞日
2004年
11月25日
 風生は虚子の弟子である。そしてこの句の内容にぴったり合った名前である。風生以外の人と死の話をしても大した句はできなかっただろう。この句はそういう事も含めて素晴らしい。まさに偶然の妙とでも言いたい。風生、風に生きる、あるいは風を生きる。何という詩的な名前だろう。そして、その風生と死の話をして涼しいというのである。風が吹くように生き、風が止むように死ぬ。生を死を、そのように受け取ることができれば、それはまさに悟りである。虚子に訪れた“一瞥”の時間と言えるかもしれない。

206/nanahyakugojukku-14

『七百百五十句

門を出る人春光の包み去る
昭和33年
鑑賞日
2004年
11月26日
 門を出て行く人を春光がさらって行ってしまった、という感じ。きらめきを持った春光が人格を持っているような錯覚がある。今まで語り合っていたあの人を春光が包み去ってしまった、あの人は逝ってしまった、私もまもなく逝くだろう、というような雰囲気もある。
 春の光というのは実際的にも心理的にもきらめきを持っている。そのきらめきの感じがよく表現されている秀句である。かすかに死というものが暗示されている。しかもそれは詩的なあるいは物語的な死である。

207/nanahyakugojukku-15

『七百百五十句

よき炭のよき灰になるあはれさよ
昭和33年
鑑賞日
2004年
11月27日
 「しょってるなあ」「よくまあ恥ずかしげもなく書けるなあ」というのが感想である。ここまでくると可笑しくなって思わず笑いがこぼれてしまう。
 単純と言えば単純な精神構造である。世の中を善い悪いですぱっと割り切っている。そして滑稽なのは、自分はその善い方だという臭いがすることである。臭い臭い。嘗て「初空や大悪人虚子の頭上に」という句を書いた頃の方が内観する力があったのだろうか。
 この句は老人のたわ言である。

208/nanahyakugojukku-16

『七百百五十句

埋火や稿を起してより十日
昭和33年
鑑賞日
2004年
11月28日
 「埋火」という言葉が「稿を起してから十日」という事柄をよく象徴している。外面的な事柄のその内面の状態までもに思いが及ぶ。季語の持つ象徴性がよく出た句である。

209/nanahyakugojukku-17

『七百百五十句

白梅の老木のほこり今ぞ知る
昭和34年
鑑賞日
2004年
11月29日
 「ほこり」が「埃」であるのか「誇り」であるのかが興味深く面白い。大方の人は「誇り」と取るだろう。そしてそれを虚子自身の感慨でもあると取るだろう。そう取ることによっt、白梅の老木のいかにも古びた威厳のある姿も見えてくるからである。
 私は「誇り」でもあるが「埃」でもあると取っている。そして「埃」と取っても、それは虚子自身の感慨でもあるのだ、と思っている。無意識かもしれない、しかし確かにそういう感慨があったに違いないのである。そういうことを感じる感受性が虚子にはまだ内在していたのである。「誇り=埃」ということである。だから虚子はあえて「ほこり」と平仮名表記にした。

210/nanahyakugojukku-18

『七百百五十句

春の山屍をうめて空しかり
昭和34年
鑑賞日
2004年
11月30日
 虚子のこの時期の真情が吐露されている秀句であろう。
 この句を眺めていると、人間の存在の虚しさがひしひしと伝わってきて、いや、そう感じている虚子の虚しさがひしひしと伝わってきて、やはり感無量なるものがある。人間存在とはなにか。人間の孤独とは何か。そのような根本的な問いかけがこの句にはある。
 そして答えはない。答えは返ってこない。この句を公案とすること。この句にじっと見入ること。この句の真実をわが物とすること。そして、この句を乗り越えて行ける者。その者は幸いである。
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