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高浜虚子を読む121〜130(五百五十句 11〜20)

121/gohyakugojukku-11

五百五十句』

我思ふま丶に孑孑うき沈み
昭和13年
鑑賞日
2004年
8月25日
 孑孑が溜まり水の中で浮いたり沈んだりしている。ずっと見ている、そのうち浮いたり沈んだりするポイントがだんだん見ている者に把握されてくる。さあ、今沈むぞと思うと沈み、今浮くぞと思うと浮くようになってくる。それをこのように表現したのである。
 だからこの表現の裏には孑孑を長い間見ている作者の時間がある。孑孑のように取るに足らないものを眺めて飽きない作者の人生態度のようなものがある。我と孑孑が一体化したような小さな瞑想の瞬間があるとも言える。
 しかし注意が必要である。ここでは虚子と孑孑は一体であるが、虚子が神の位置で孑孑が被造物の位置に居るということである。その逆も真なりということに思いを馳せないとこの瞑想に似たものから得る結果は単なるエゴの強化ということになってしまう。つまり、孑孑の動きが自分の思いを規定しているとも言えるという事実についての注意が必要なのである。

122/gohyakugojukku-12

五百五十句』

箱庭の月日あり世の月日なし
昭和13年
鑑賞日
2004年
8月26日
 いかにも虚子らしい把握である。虚構として作られた箱庭のほうが現実の世界より実在感があるのだ。俳句という言わば虚構の世界に生涯を捧げようと決心した虚子には、この逆転したものの見方がだんだん身についていったのかもしれない。龍安寺の石庭で書いた「この庭の遅日の石のいつまでも」というような句にもそのような見方が窺える。また虚子は能や日本画を愛したようだが、これらの芸能も俳句や箱庭に似ていなくもない。
 現実世界と箱庭の世界。現実世界と俳句の世界。この二つの世界をはっきり分けるところにも虚子の二元的な性格が窺える。戦後「俳句は戦争によって全く影響を受けなかった」と虚子は発言したそうであるが、現実世界と俳句の世界をはっきり分ける虚子の態度を考えれば当然の事と首肯ける。

123/gohyakugojukku-13

五百五十句』

もの置けばそこに生まれぬ秋の蔭
昭和13年
鑑賞日
2004年
8月27日
 ひっそりと静まった小さな空間。優れた静物画をみるような雰囲気。


静物(モランディー)


124/gohyakugojukku-14

五百五十句』

病床の人訪ふたびに秋深し
昭和13年
鑑賞日
2004年
8月28日
 病気の人を見舞いに行くたびにだんだん季節も移り秋が深まってゆく、というのである。人間に対する真っ正面な気持ちが出ていて良い句である。深まっていく秋の風情とその人に対する作者の気持ちが共振して深々としたものがある。
 『五百五十句』になって『五百句』時代の人間に対する皮肉な表現が無くなってきたのではないか、先を見守りたい。

125/gohyakugojukku-15

五百五十句』

凍蝶の眉高々とあはれなり
昭和13年
鑑賞日
2004年
8月29日
 凍蝶の眉が高々として気高く美しい、というのである(当然眉は比喩で実際には触覚であろう)。これは虚子自身の心に描いている憧れの人物像なのであろう。このような孤高の人物像に虚子は憧れを持っていたに違いないのである。

126/gohyakugojukku-16

五百五十句』

石はふる人をさげすみ寒鴉
昭和14年
鑑賞日
2004年
8月30日
 前の句で孤高の人への憧れのような句を書いた虚子が、愚かな人物に対しては蔑む、というふうにどうしても取れてしまう。「お前みたいなアホは俺とは関係ないよ」と飛び立ってしまうのである。石はふる人は衆愚の象徴であり、寒鴉は虚子の自画像であると見る。
 さてこの衆愚に対してはどういう態度を取ったら良いのだろうか。
 そもそも衆愚というのは存在するのだろうか。よく世界は自分自身の投影であると言われる。私も最終的にはそう思う。だから、世界のある部分に愚かさを感じるのは自分自身に愚かさがあるということにもなる。世界を二元的に見るということは自分自身が二分されているということにほかならない。自分の中の二元性を無くさない限り、この衆愚の問題は解決しない。

127/gohyakugojukku-17

五百五十句』

寒き故我等四五人なつかしく
昭和14年
鑑賞日
2004年
8月31日
 この「故」が虚子らしい措辞である。「寒の入り我等四五人なつかしく」などとすれば素直な叙述となるが、この「故」のために人間というものを突き放して見ている虚子の視点が見えてくる。「本当は人間なんて懐かしくもなんともない。ただこの寒さ故に何となく懐かしいような感じがある」というのである。これは一面鋭い人間観察であり、そういう事は確かにあるなあという思いも抱かせる。しかし、私はこの見方は最終的には皮相皮肉な人間の見方だと思う。

128/gohyakugojukku-18

五百五十句』

春の波小さき石に一寸躍り
昭和14年
鑑賞日
2004年
9月1日
 軽やかなモーツァルトの音楽でも聞こえてきそうな句である。82の鑑賞でもそんな感じがしたのだが、そういえば虚子の在り方とモーツアルトの在り方はどこか似ていなくもない。

曲名  Sonata in F,K.533 1.Allegro
作曲者 モーツアルト
演奏者 F.Raborn
http://www.classicalarchives.com/mozart.html


129/gohyakugojukku-19

五百五十句』

茶房暗し春灯はみな隠しあり
昭和14年
鑑賞日
2004年
9月2日
 「春灯はみな隠しあり」というのは、茶房の中の照明器具が雰囲気を出すために何かで覆われている状態であろうか。
 私はこの句を読んで、昔、暗い雰囲気のクラシック音楽喫茶でベートーベンやモーツアルトを聞いて暗い雰囲気に耽溺していた頃を思い出した。


曲名 交響曲40番
作曲者モーツアルト
http://www.hamakan.net/teien.html


130/gohyakugojukku-20

五百五十句』

ついて来る人を感じて長閑なり
昭和14年
鑑賞日
2004年
9月3日
 道路を歩いていてついて来る人というニュアンスよりも、俳句の道を歩いていてついて来る人というニュアンスが強い気がする。これは私の感覚かも知れないが、道路を歩いていて後ろを誰かがついて来る状態は別にそんなに長閑な感じを抱かせない。また、俳句というものを職業として選んだ虚子にしてみれば、沢山の弟子や追随者がいるということは一つの余裕となる要因だからである。
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