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金子兜太選海程秀句鑑賞 511号(2015年4月号)
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(作者名のあいうえお順になっています。)
鑑賞日 2015/4/4 | |
寒菊の繊細愛す過去を愛す
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相原澄江 愛媛
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「過去を愛す」というのは分らないでもない。私の場合でも例えば音楽などでは殊にそうだ。聴く音楽といえば青春時代に聴いていた音楽をまた聴きたくなる。これは私が老いたのか、あるいは今の時代がよく把握できない渾屯として浮ついた時代になってきたということなのか。もしかしたらこの作者が言っているように今の時代は情感の繊細さが無くなってきた時代なのかもしれない。 |
鑑賞日 2015/4/5 | |
玉あられ放浪の母に従う
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阿木よう子 富山
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もしかしたらこれは認知症で徘徊する母親についていったということを「放浪の母に従う」と言ったのだろうか。その時に玉あられが降ってきたというような情景が目に浮ぶ。今のところそれ以外には考えられない。 玉あられは霰の美称であるから、母に従う作者の心持ちというものがうかがえる。 |
鑑賞日 2015/4/6 | |
菊の香や表層崩壊の日々
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荒井まり子 京都
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山の斜面が、さまざまな原因でもろくなり、くずれ落ちることを斜面(しゃめん)崩壊といい ます。斜面崩壊のうち、山の表面をおおっている土壌(どじょう=土)の部分だけがくずれ 落ちることを表層崩壊、土壌の下の、岩盤(がんばん)の部分までいっしょにくずれることを深層崩壊という。http://www.sabopc.or.jp/library/web0106.html 私にはこの表層崩壊という言葉は今の日本あるいは世界の状況に当てはまるような気がしてならない。環境状況にしても政治状況にしてもそうである気がする。おそらく作者もそういう意味を込めたのではないかという気がしているが、もしかしたら何らかの心理的なものなのかもしれない。そのうちこの表層崩壊が深層崩壊に到らなければいいのだが。「菊の香」が効いている。 |
鑑賞日 2015/4/6 | |
星の河鮭は憤怒の貌をなし
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石川青狼 北海道
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底流に人間の愚かさに対する自然界の大きな怒りを作者は込めているような気がするのであるが、どうだろうか。情景としては星空の下に流れる河を遡上する鮭の貌が見える。 |
鑑賞日 2015/4/7 | |
結婚指輪埋まる指なり手袋す
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石川まゆみ 広島
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結婚指輪が埋まる指を作者は労る気持ちで手袋をしたのか。隠そうとして手袋をしたのか。あるいはその両方の気持ちが入り混じっていたのか。人生模様の様々な機微が読み取り得る幅と深みのある句である。 |
鑑賞日 2015/4/7 | |
蛇穴に学生街にバリケード
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磯田政八 群馬
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今では学生達がバリケードを築いて何かの闘争をするということはあまり聞かなくなった。これは昔のことに思いを馳せて書いたものだろうか。私から見ると今の学生は、理想を語るということもあまり無く、大きなものに目を向けることもあまり無く、何かに自分を賭けるということもあまり無く、蛇が穴に入るように個人的な穴に閉じこもっているようにも見える。 |
鑑賞日 2015/4/8 | |
無言劇惚けちまったねこじゃらし
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市原光子 徳島
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無言劇(パントマイム)とルビ 人間が惚けるということは言葉以前に戻ること、言葉の柵から解放されることなのかもしれない。つまり社会から解放されて個人に戻ることなのかもしれない。つまりdrop out ということである。drop outには二種類ある。drop up とdrop down の二種類である。drop up は即ちブッダになるということであるし、drop down は即ち一般的に言われる惚けである。しかしとにかくdrop out したには違いないのでそこにはある種共通の美がある。沈黙の美である。 |
鑑賞日 2015/4/8 | |
椋鳥群れる想定内に再被曝
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宇川啓子 福島
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先日のニュースでカナダ西の沿岸部に福島原発事故で発生したセシウムが見つかったと言っていた。健康被害においては放射線量の値にしきい値は無いのであるから、つまりここまでの線量なら大丈夫ですよという値は無いのであるから、被曝というのはかなり広大な地域で現在進行の状況であるのだと思う。つまり想定内も想定内の事実である。椋鳥よ、君たちもわれわれも想定内に再被曝し続けている。 |
鑑賞日 2015/4/9 | |
産声や水辺の森の冬の星
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江良 修 長崎
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神話的なみずみずしさを感じるのはイエスの誕生を想起させるからだろうか。森があって水があって冬の星が瞬いている。あらゆる子どもはこのように祝福されて生れるべきものだというのは一つの理想に過ぎないのだろうか。一つの理想の結晶化。 |
鑑賞日 2015/4/9 | |
どんぐりが屋根を打つ音軽い幽閉
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大西宣子 愛媛
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森の中のどんぐりの木の側の家だろうか。軽い幽閉であるから、それ程深い森ではなく林といった方が合っているのかもしれない。いやそういうことではなく、この幽閉感はあくまでも心理的なものであって、そういう幽閉感の状態にある作者に対してどんぐりの実が心の扉を軽くノックしているということかもしれない。 |
鑑賞日 2015/4/9 | |
どんぐりが屋根を打つ音軽い幽閉
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大西宣子 愛媛
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森の中のどんぐりの木の側の家だろうか。軽い幽閉であるから、それ程深い森ではなく林といった方が合っているのかもしれない。いやそういうことではなく、この幽閉感はあくまでも心理的なものであって、そういう幽閉感の状態にある作者に対してどんぐりの実が心の扉を軽くノックしているということかもしれない。 |
鑑賞日 2015/4/10 | |
野良猫にまみれて師走の子供かな
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奥野ちあき
北海道 |
一昔前までの子供は小動物や虫などとまみれてよく遊んでいた。今の子供はそういう遊びをすることが少なくなったのではないか。命を軽視する犯罪が増えてきたような気もするが、子供時代の遊び方にも関係しているのかもしれない。「まみれて」という表現に共感するのは、野良猫と自分の命が混ざり合っている状態を表わしているからである。命への共感の感覚はおそらく子供時代に育まれる。 |
鑑賞日 2015/4/10 | |
あめんぼう根づこうなんて考えない
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柏原喜久恵 熊本
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そもそも我々は旅人である。それを忘れていることがあらゆる禍の元であるとも言える。これは俺の土地だという。そのことから争いが始まる。土地や自然はそもそも誰のものでもあり得ない。そう、我々はもう一度あめんぼうの自由を取り戻したほうがいい。 |
鑑賞日 2015/4/11 | |
寒禽の眼光飢えを見てきたか
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狩野康子 宮城
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政治家はこのような顔付きをしていなければならないのではないか。飢えをみたことがある顔付きである。政治がやらなければならない二つの大事な事があると菅原文太は言っていた。一つは民を飢えさせないことであり、一つは戦争をしないことである、と。どうだろう今の政治家のトップは甘いような顔付きをしてこの二つの大事なことの正反対をやろうとしている気がする。 |
鑑賞日 2015/4/11 | |
指紋浮くガラスにかすか帰燕かな
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川田由美子 東京
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都会の叙情か、あるいは自分史の中で去っていってしまった者へのかすかな追憶か、いずれにしろある種の閉塞感があるような気がするのであるが。 |
鑑賞日 2015/4/12 | |
鶴唳のつっぴんつっぴん冬ざるる
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北上正枝 埼玉
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鶴唳(かくれい)とルビ 「鶴唳」とは鶴が鳴くことでありまたその声である。「風声鶴唳」という熟語もあって、その意味は次である。 「鶴唳」という言葉を使ったことと鶴の声を「つっぴんつっぴん」と聞きなしたことと「冬ざるる」という季語のコンビネーションである心情が上手く表現されている。つまり「冬ざれた」ような心情である。 |
鑑賞日 2015/4/12 | |
森に霧串の天魚のよく反りて
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金並れい子 愛媛
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あまご(天魚)はサケ科の魚ビワマスの幼魚ないし陸封魚で美味であると辞書に出ている。 |
鑑賞日 2015/4/13 | |
塩鮭をほぐしたくらいラブソング
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河野志保 奈良
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最近はそもそも歌を聞かなくなった。最近の歌はどうも軽い感じで流れていく。歳を取った所為だろうか。あるいは単に塩鮭をほぐしたくらいに軽いラブソングしか無いのかもしれない。ラブソングといえば五輪まゆみの「恋人よ」などが思い浮ぶし、最近では宇多田ヒカルには期待するものがあった。ところでイスラムの過激派が世界を騒がせているが、実は私はコーランの詠唱が好きである。言ってみればあれはまさに神へのラブソングのように聞こえる。もしかしたらそんなところにもイスラムの魅力はあるのかもしれない。しかし神への恋心があって、しかも暴力的になるというのは矛盾しているとは思う。 |
鑑賞日 2015/4/13 | |
猪食ぶやわれを笑わす孫ふたり
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小原恵子 埼玉
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これはかなり有りたいそして有るべき人間の姿に近いのではないか。われを笑わす孫がいるというのはまさに有りたい姿である。しかも食事には猪を食べているというのである。われわれは食事をする時にそれは他の生命を食っているという自覚を失いつつあるが、それは有るべき姿ではないだろう。野性の猪を食うような食事ではまさに他の生命を殺して食っているのだという自覚が起るだろう。 |
鑑賞日 2015/4/14 | |
小鳥来る自伐林業の若者に
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佐藤鎮人 岩手
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自伐林業という言葉を初めて聞いた。そして少し嬉しくなった。現在の国の方向性は大型農業であり小農の切り捨てであり農業の企業化である。TPPによりこの方向はますます加速されるだろう。食料自給率はますます下がり、国土はますます荒れ、貧富の格差がますます開き、人々の気持ちはますます荒んでいくことになる。人間の豊かさというものはそういう方向には無いと思っていて、むしろいわゆる里山資本主義的な方向性を探るべきだと思っていたので、この「自伐林業」という言葉を聞いて頼もしく思ったのである。私が小鳥だったとしてもこの自伐林業の若者に近寄りたい。 |
鑑賞日 2015/4/14 | |
小鳥来る自伐林業の若者に
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佐藤鎮人 岩手
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自伐林業という言葉を初めて聞いた。そして少し嬉しくなった。現在の国の方向性は大型農業であり小農の切り捨てであり農業の企業化である。TPPによりこの方向はますます加速されるだろう。食料自給率はますます下がり、国土はますます荒れ、貧富の格差がますます開き、人々の気持ちはますます荒んでいくことになる。人間の豊かさというものはそういう方向には無いと思っていて、むしろいわゆる里山資本主義的な方向性を探るべきだと思っていたので、この「自伐林業」という言葉を聞いて頼もしく思ったのである。私が小鳥だったとしてもこの自伐林業の若者に近寄りたい。 |
鑑賞日 2015/4/14 | |
米寿師走忘るる事を吾にゆるし
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四王村玖希 埼玉
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「この頃物忘れが多くて困った。認知症の始まりではないか。歳を取るのは嫌なものだ」というふうにぼやくのではなくて、それは吾にゆるされた特権だと考えるというのは面白い考え方だ。面白いというよりそう考えるべきなのだろう。老人というものはその存在そのものが価値あるものなのである。無用の価値である。高齢化が進むこれからの日本社会ではこの無用の価値というものが理解されなければどうにもならない。 |
鑑賞日 2015/4/15 | |
対談にある(笑)の多様花八つ手
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柴田美代子 埼玉
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(笑)というものは対談あるいは対話における一つの醍醐味に違いない。自由な精神どうしの闊達な対談でこそ真の(笑)があるのだろう。明るくて軽やかな(笑)である。「花八つ手」がそんな雰囲気を象徴している。 |
鑑賞日 2015/4/15 | |
鋭角に落暉被曝の子白鳥
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清水茉紀 福島
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何だか近未来の一つの映像を見ている気がしてくる。明るい未来ではない。詩人は現実を眺めて未来を予言するというがそうかもしれない。そこは廃虚である。一羽の子白鳥がよろよろと歩く。太陽は鋭角に地平に沈む・・・ |
鑑賞日 2015/4/16 | |
真宗信者美形なり雪掻きす
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白井重之 富山
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本物の信仰者は美形である。彼は内省の美を帯びている。何をしていても常に美の質が伴っている。その彼が今雪掻きをしている。それを眺めているだけで心楽しい。 |
鑑賞日 2015/4/16 | |
吾に娘は似てかたくな釣瓶落しかな
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関田誓炎 埼玉
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吾(あ)、娘(こ)とルビ ああ釣瓶が落ちてしまった。ああ秋の日が暮れてしまった。ああ娘は吾に似てしまった。つまりあるどうにもならない感ではないか。 |
鑑賞日 2015/4/17 | |
了解とは違う沈黙秋フクシマ
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芹沢愛子 東京
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おそらく日本経の本質の部分に鎮座ましますのは‘世間様’である。‘世間様’は‘いのち様’より日本では偉いのである。‘世間様’は言う、空気を読めと、空気を乱すなと、いのち云々などと抜かすなと。お前が了解したり理解したりすることは問題ではない俺様の言うことが一番なのだと‘世間様’は曰う。自民党政権はこの‘世間様’を操るのが上手い。‘世間様’と自分の了解との狭間で人々は沈黙に陥る。 |
鑑賞日 2015/4/17 | |
禁じられた遊びのように霜柱
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田井淑江 東京
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「禁じられた遊び」という言葉の意味であるとか、あの映画の筋であるとか、あの印象的な音楽であるとか、いろいろあるが、やはり「霜柱」と関連性があると思えるのは私の場合はあの音楽である。霜柱を眺めていてあの音楽が聞こえてくるというのは素敵ではないか。 |
鑑賞日 2015/4/18 | |
土鍋鉄鍋またこの冬を喰うている
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高桑婦美子 千葉
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繰り返すこの苦しみ哀しみ愉しみ等生きてあるということの全てに対する深い感慨を感じる。「土鍋鉄鍋」が土と人間存在を繋ぐもの且つ人間に寄り添うものとして存在感がある。魂のレベルに近いところで泣きたくなるような深い一句だ。 |
鑑賞日 2015/4/18 | |
やみくもを直感といい冬の滝
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田口満代子 千葉
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何だか私の生全体を言い当てられているような気がする句である。やみくもに生きてきた私であるが、それを自分は直感力が優れていると置き換えていたような気がしてくる。そうでなければいいがと願うところであるが、それが単なるやみくもであったかあるいは正しい直感であったかの判断の基準とは何だろうか。冬の滝が凍てついてしまうようにその生の流れがどうにも流れなくなってしまう場合、それは単にやみくもであったと言えるかもしれないし、冬でもその流れが凍てつかないで流れる滝のようであるなら、それは正しい直感であったと言えるのかもしれない。 |
鑑賞日 2015/4/19 | |
雪山は遠く見るものまだ死ねぬ
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武田美代 栃木
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「雪山は遠く見るもの」というのは多くの人が死に対して抱いている感覚ではなかろうか。死に神のヤマがユディシュティラに「この世で一番不思議なことは何か」と問うた時にユディシュティラが「毎日毎日人が死んでゆくのに、誰も自分が死ぬと思っていないこと」と答えたという話がマハーバーラタにあるが、そういうことである。この句の手柄は殆ど全ての人が抱いている無意識の思いを具体的な譬喩を使ってはっきりと言葉で書き得たということであろう。 |
鑑賞日 2015/4/19 | |
雪虫やただ眼のかすみたるのかも
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竪阿彌放心 秋田
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飄々とした肯定感の味わいと言ったらいいだろうか。老いというものに対する態度である。こんなふうにひょうひょうとたんたんと老いてゆけたらそれは素晴らしい。 |
鑑賞日 2015/4/20 | |
三島とは言霊のとまる駅なり
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田中昌子 京都
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三島駅についてのWikipediaの記述に・・ 東海道新幹線の列車は、「こだま」の全列車と、東京 - 岡山間(上下各1本は新大阪発着)の「ひかり」が1日上下6本ずつ(2時間に1本)停車し、「こだま」は当駅発着列車も設定されている。・・というのがあった。どうだろう「こだま」が三島駅に止まるという事実があってこの句はその下敷きの上に出来たのではないか。それを踏まえた上でこの句を読むととても味わいがある。 |
鑑賞日 2015/4/20 | |
武器持てば武器欲しくなる聖誕祭
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夏谷胡桃 岩手
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人間の持つ愚かさの一つに‘力への信仰’というものがある。‘力への欲望’と言った方がいいかもしれない。どの欲望でもそうであるようにこの欲望もきりがない。もっともっとと欲しくなる。武器を持てば自分自身が強くなったというような錯覚を持つ。「武器」の部分に「カネ」だとか「知識」だとかを入れても同じことが言えるだろう。キリストやブッダのようなクラスの人は人間のこの愚かさを払拭する為に生れたと言えるかもしれない。 |
鑑賞日 2015/4/21 | |
月光の響くばかりや水の星
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野崎憲子 香川
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偶にはこういう視点に立って世界を眺めることが必要だ。必要だといっても、それはなかなか難しい。何故難しいかといえば人間が欲に満ちているからである。小さな自分の欲を離れた意識にならなければこういう視点は生れない。ガガーリンが「地球は青かった」という名言を残した。この言葉は視覚的に事実を捉えている言葉であるが、この句はもっと全身で自己を宇宙空間に没入させている感がある。もし誰か宇宙飛行士がこの句の言葉を発したら、「地球は青かった」以上に名言になった可能性がある。 |
鑑賞日 2015/4/21 | |
鶏頭はたてよこななめ余所余所し
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福原 實 神奈川
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われわれは世界の事物と仲良くなりたいと思う。しかし、どうにも余所余所しい奴がいる。たてよこななめからその事物を観察して見るがどうにも余所余所しい。これはある意味しかたがない。それがおそらく個性というものの限界だからである。おそらく鶏頭にとても親しみを感じる人もいるだろう。私の場合は作者と同じで鶏頭はどうも余所余所しい所がある。 |
鑑賞日 2015/4/22 | |
シクラメン老いは酸っぱく面白い
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本田ひとみ 埼玉
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酵母でパンを焼いているとその酵母がだんだんと酸っぱくなってくるので酸っぱいパンができるようになる。それが不味いかといえば、そうではない。その酸っぱいパンがまた味わいがある。要するに醗酵食品の味わいが深まる。 |
鑑賞日 2015/4/22 | |
ハロウィンの帽子をかぶり授乳かな
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三好つや子 大阪
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現代の都会の母子風景といったところか。仕事も遊びも育児もこなす明るいお母さんというイメージがある。そんなお母さんが増えれば男は単なる添え物という時代がやってくるかもしれない。 |
鑑賞日 2015/4/23 | |
味覚だけ冴える苛立ち白粉花
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茂里美絵 埼玉
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人間の何が不思議かといって、人間の性ほど不思議なものはないかもしれない。動物の性は単純に見える。彼等は子孫を残すだけのために性行為を行なうように見える。人間の場合は子孫を残すためだとはむしろ言い難い。子供が生れないようにして性行為をする場合が多いし、マニアのようなことになる場合もあるし、果は商品になったりもする。それが人間の性(さが)だと言ってしまえばそうだが、やはり人間存在とは不思議である。何故こんなことを書いているかというと、この句を読んで、私には分りようもない女性の性が書かれているような気がしたからである。 |
鑑賞日 2015/4/23 | |
土がやさしい足跡残し冬菫
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森央ミモザ 長野
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こまやかな情感とでもいったらいいのだろうか。こんなふうに愛情をこめて自然を眺められたら、あるいはそういう黙想的な時間を持てたら素敵なことだろうと思う。 |
鑑賞日 2015/4/24 | |
獅子座流星群爪立ちて晩節よ
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若森京子 兵庫
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考えてみれば現代は爪立ちしていなければ晩年の節操は保てない時代なのかもしれない。ゆったりと踵を大地にくっつけて晩年を過ごすことの難しい時代なのかもしれない。獅子座流星群もそんな私達を眺めているに違いない。獅子座流星群よ。 |
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