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金子兜太選海程秀句鑑賞 480号(2012年2・3月号)

作者名のあいうえお順になっています。

1

鑑賞日 2012/2/8
森は森で枯葉被っているのです
石川青狼 北海道

 森は森で枯葉を被っている
 私という森も今は枯葉を被っている
 見栄えは悪いけど枯葉はあたたかい
 森の肥やしにもなる
 そして自ずから春は来る
 その時森は若葉の森となるだろう
 繁茂の森となるだろう


2

鑑賞日 2012/2/9
大根を提げわが脛の形も無し
石原光子 徳島

 自分の脛は全部噛られてしまったということ。あるいは始めから自分には噛られるような脛はないということ。要するにそういうことであるが、「大根を提げ」がその境涯感を具象化し、詩味、俳味がある。


3

鑑賞日 2012/2/11
漁船いまだ陸に座礁や小鳥来る
伊藤淳子 東京

 〈陸〉は[おか]とルビ

 おいおいこいつは何だい。海ではたくさん見かけたが、陸としては見慣れないものだ。この頃やけに見慣れないことが多すぎるじゃないか。地球は一体どうなってるんだい・・・まあまあまたあなたの詮索好きがはじまったのね。いいじゃないの、もしかしたらわたしたちの塒にするにはもってこいのものかもしれないわよ。
 大災害の残骸が残る中、やはり季節は進んでゆく。


4

鑑賞日 2012/2/11
猫じやらしくすぐつたり粥こぼしたり
稲田豊子 福井

 生というのは猫じゃらし
 くすぐったり
 くすぐられたり
 生というのは粥みたい
 食おうとしたらこぼしたり
 食わぬと思えばこぼれたり 


5

鑑賞日 2012/2/13
綿虫や人がセシウム放ちても
稲葉千尋 三重

 哀しいような叙情。人間のさがの哀しさを浮遊する綿虫の奥に作者は感じているのではないだろうか。


6

鑑賞日 2012/2/13
ステッキでばったの格好してみたり
内田利之 兵庫

 人間存在の可笑しみ。そしてペーソスもある。


7

鑑賞日 2012/2/14
大津波の防潮林に羽衣あり
江井芳郎 福島

 これは明るい希望の句だ。作者の心持ちがそういうふうになっていなければこうは言えない。実際、描かれた場面を想像してみればわくわくする。


8

鑑賞日 2012/2/14
線量ざわつく生粋の落葉かな
大内冨美子 福島

 「線量」及び「生粋」という言葉が印象的である。ものごとを即物的客観的に眺めていると同時に、べらんめえという純な反撥がある。


9

鑑賞日 2012/2/16
妻の魂越えゆく山河冬立てり
柏倉ただを 山形

 死後人間の魂はあの小さな窮屈な墓に閉じ込められるのではなく、さらに自由に大きく旅立ってゆく筈のものであり、そういうイメージが描かれている。妻は更に大きな旅を旅している、さあこの私も更にしっかりと生きよう、というような思いが「冬立てり」という言葉に感じられる。


10

鑑賞日 2012/2/16
君老いたりめろんの月と名付けしが
京武久美 宮城

 切ったメロンを見て、メロンの月だ、と言っていた君。あるいは、月を見て、メロンの月だ、と言っていた君。あるいは、私のことをメロンの月と言って愛してくれた君。その君も老いてしまったなあ、というようなことである。「めろんの月」が視覚嗅覚味覚等の感覚に魅力的に訴えてくる。


11

鑑賞日 2012/2/17
日に中る転び伴天連らもリラも
久堂夜想 神奈川

 「伴天連」はバテレンと読むのだそうである。つまり「転び伴天連」とは幕府の弾圧に負けて転向してしまったキリスト教徒のことである。句はその転び伴天連への同情であるとともに、さらにそれを越えてもっと大きな自然の懐への共感とでも言うべきものではないだろうか。


12

鑑賞日 2012/2/17
雁が音や少し不安で夫を呼ぶ
小林まさる 群馬

 繊細な心情。不安の時代。いや、そもそも不安というものは人間の属性なのかもしれない。不思議に思ったのは、作者は男性(?)なのに「夫を呼ぶ」と書いていることである。作者の位置は何処にあるのだろうか。


13

鑑賞日 2012/2/18
満月を枕頭に呼び師は病むや
今野修三 東京

 やはり〈神話的〉という言葉が一番ぴったりするだろうか。「われわれは神話を生きているに過ぎない」と言ったある詩人の言葉が思い出された。


14

鑑賞日 2012/2/19
生きいそぐほどのことなく花野道
柴田美代子 埼玉

 「花野道」にも句の言い回しにもゆったりとした余裕というものが感じられる。私なら「花野道生きいそぐことはない」などと力んでしまう可能性があるが、「生きいそぐほどのことなく花野道」とゆったりと五七五に納めている。


15

鑑賞日 2012/2/19
母がりの淡き酩酊ひょんの笛
高木一惠 千葉

 母親の処へゆく時の心持ちを「淡き酩酊」と表現したのに感心させられた。そしてその微妙なあたたかさや高まりをひょんの笛の音に譬えたのではないだろうか。とにかく微妙な心のニュアンスを書き留めうることに感心した。


16

鑑賞日 2012/2/20
堰の上のたいらな水を秋思とす
武田美代 栃木

 水というものは周囲の環境や状況によってさまざまな形をとる。急な山を下る時には急流となり、平らな平地を行く時はゆったりと流れる。コップに入れればコップの形、壺に入れれば壺の形となる。熱すれば蒸発し、冷せば氷となる。まるで人間の心のようだ。堰の上のたいらな水を秋思としたというのも、秋思に関する一つの発見である。


17

鑑賞日 2012/2/20
王の如く鸚鵡の如く冬麗や
田中亜美 神奈川

 句柄が大きい。肺をいっぱいに開いて光の中に堂々と立っている感じ。色彩感もある。


18

鑑賞日 2012/2/21
退屈で生者に集るいのこずち
田浪富布 栃木

 諧謔の要素、アニミズムの要素、そして軽妙。素敵だ。


19

鑑賞日 2012/2/21
もう五年です小春のお墓皆子さま
谷 佳紀 神奈川

 明るい小春の日差し、皆子さまの俤、ほのぼのとしたとてもいい時間だ。


20

鑑賞日 2012/2/22
月夜茸被曝の我もどこか光る
中村 晋 福島

 不気味な感じ。得体のしれない感じ。月夜茸は妖しく光る。被曝した自分も妖しく光っている感じがする。月夜茸が光るのは造化の妙。線量計が不気味に鳴るのは自分を造化の神に比してしまった人間の傲慢。


21

鑑賞日 2012/2/24
逝く力残しておこう霜の声
中村裕子 秋田

 「霜の声」で決まり。というより、霜の声という掴み所の難しい季語を掴ませてくれた感じがある。


22

鑑賞日 2012/2/24
残像にしては田青過ぎる
丹生千賀 秋田

 一度刈ってしまったと思ったのにまた青々と茂っていると思われる状態。青春の再来、あるいは青春は止まずというような自己の中のあるいは世界のエネルギーの不滅に驚いている状態なのかもしれない。こうありたいものである。


23

鑑賞日 2012/2/25
関東の葱の白さのべらんめぇ
幅田信一 福井

 感嘆の句。「べらんめぇ」とはインド人もびっくり。


24

鑑賞日 2012/2/25
蛇衣脱ぐ悪い噂はほぼ事実
浜 芳女 群馬

 「蛇衣脱ぐ」と「悪い噂はほぼ事実」を関連づけるあたりに、私は女性の呪術性というようなものを感じるのであるが、どうだろうか。何故女性はあれほど占いやまじないが好きなのだろうか。謎である。


25

鑑賞日 2012/2/26
お人好しで父大根の葉のように
藤野 武 東京

 青々と大地に生きている。あっさりと捨てられてしまう部位、しかし実は滋養に富み、実は美味い。西洋でいう地の塩という譬えに匹敵するかもしれない。「お人好し」なのがまたいい。


26

鑑賞日 2012/2/26
秋明菊身内すくない母のよう
本田ひとみ 埼玉

 偶然というか、先の藤野さんの句と対をなすような好句である。藤野さんの描いた父親と本田さんの描いた母親がカップルであたとしたら、幸せで真の徳というものを秘めた父母像ということになるかもしれないなどと思ってしまう。「秋明菊」が美しい。


27

鑑賞日 2012/2/27
鵙近く山野さすらう眠りかな 
松本勇二 愛媛

 古の昔からおそらくわれわれは山野をさすらい続けている存在である。広大な地球という惑星のアフリカという一つの場所にわれわれは生を受けたという。それ以来さすらいを続けて今や地球全体をわれわれは住家としているように思える。果してさすらいは終ったのだろうか。否。さうらうというその本質は変っていない。そしてその本質を「夢は枯野をかけめぐる」「山野さすらう眠りかな」と詩人は詠むのであろう。他の鳥ではなく「鵙」が相応しい。


28

鑑賞日 2012/2/27
夕暮れの水に従い崩れ簗
松本廉子 栃木

 秋の夕暮れの川辺。その閑寂な趣がある。そして自然随順という日本人の優れた人生観を感じさせてくれる風格がある。


29

鑑賞日 2012/2/28
心中の鬼の丸まる石蕗の花
汀 圭子 熊本

 〈心中〉は[しんちゅう]とルビ

 心中の鬼はおそらく追い出すことはできない。追い出そうとすればするほど奴は抵抗してその勢力を強める。最善の方法は丸まっていてもらうことではないだろうか。そんなことを気付かされた。

石蕗の花
Wikipediaより

30

鑑賞日 2012/2/28
わたくしの子のよう霙という名
三井絹枝 東京

 「霙」はそういう名前の子どもであってもいいし、あるいは降る霙そのものであってもいい。他者あるいは自然に対する母のような親しみといったらいいだろうか。とてもあたたかいものを感じる。


31

鑑賞日 2012/2/29
蓑虫を「旅」と名づける揺らしてみる
宮崎斗士 東京

 考えてみれば、われわれ在家の者はみな蓑虫のようなものだ。小さな家を守って暮している。しかしそういう形の中に居るわれわれでさえ或る大きな旅というものの一過程の中に居るに違いない。時にこの小さな家の存在そのものが揺らされて危うい場面に遭遇することがあるが、そのような時に「旅」ということに思いをめぐらすことは大事なことのような気がする。
 このようなごたごたとした言い方でなく、作者はスッとその本質を詩として書いている。


32

鑑賞日 2012/3/1
老僧もかつて兵なり芒原
武藤暁美 秋田 

 「夏草や兵どもが夢の跡」(芭蕉)の後日談のような雰囲気がある。夏草が生い茂っていた原も今は秋となり芒の原になっている。そこに佇む老僧もかつての兵の一人であった。今は死者を弔うべく老僧となっている。芒の原にひゅうひゅうと風が吹いている。


33

鑑賞日 2012/3/1
優しさや既に目の無い山椒魚 
守谷茂泰 東京

 斉藤茂吉の「けだものは食 もの恋ひて啼き居たり何といふやさしさぞこれは」という歌を思い出した。この歌とこの句にどんな共通性があるのかといえば、それは〈存在することそれ自体の優しさ〉ということである気がする。


34

鑑賞日 2012/3/2
しどみの実小鹿野産土神の駄々
矢野千代子 兵庫

 〈小鹿野〉は[おがの]とルビ

 Wikipediaによると〈小鹿野町(おがのまち)は埼玉県秩父郡にある町である。埼玉県の西部に位置し、秩父盆地のほぼ中央に市街地を形成している。中心部の小鹿野地区は県内でもいち早く教育・交通・産業の振興など各分野で近代化が進められ、西秩父地域の中心地として発展してきた。町域の西側は日本百名山の両神山を中心とした秩父多摩甲斐国立公園や日本の滝百選に選ばれた丸神の滝のある県自然環境保全地域、県立両神自然公園、名峰二子山を擁する県立西秩父自然公園などの豊かな自然に恵まれた地域である。〉とある。
 作者は兵庫の人であるから、小鹿野町を訪ねた時の句であろうか。Wikipediaの文によるとこの小鹿野町は金子先生の地元のようであるから、その関係で訪ねたのかもしれない。
 句は諧謔の味の中にその土地への親しみと愛着が滲み出ていて思わず微笑む。また金子先生の地元であることを考えると、金子先生の姿が句に重なって見えてくる。

しどみ(草木瓜)の実
http://www.hana300.com/kusabo1.htmlより


35

鑑賞日 2012/3/5
焚火の輪いつか死ぬ人朗らなり
山口 伸 愛知

 何故いつか死ぬ人が朗らかでありうるのだろうか。おそらくその答えのカギは「焚火の輪」だろう。自分は存在から切り離されていると感じている人には死の恐怖がある。自分は存在の一部である、あるいは更に自分は存在そのものであると感じている人には死の恐怖は無い。敢て言うなら、死ということそのものが彼には存在しない。


36

鑑賞日 2012/3/5
石蕗明かりはっと気付きし汝の野心
山本キミ子 富山

 今巷ではオセロの中島知子さんが或る自称占い師にマインドコントロールされているということが話題になっている。考えて見れば、われわれは多かれ少なかれ、何かしらのマインドコントロールの下にあると言える気がする。例えば原発である。少し考えてみれば、危険極まりないものに決まっているのに、安全だ安全だと思い込まされてきてしまったのである。このマインドコントロールが解けた時、つまり彼あるいは彼らの野心に気が付いた時に、人間は或る光明を得る。「石蕗明かり」がホッと眩しい。


37

鑑賞日 2012/3/6
わたつみに打ち拉がれし牡蠣の殼
柚木紀子 長野

 〈拉〉は[ひし]とルビ

 「わたつみ」や「打ち拉がれし」という言葉の選択によって、海辺の一つの事象が神話的な物語に変容している。作者の内面の物語の投影なのかもしれないし、あるいは津波被害ということへの思いもあったのかもしれない。


38

鑑賞日 2012/3/6
東京は硝子の胸板雁渡る 
吉川真実 東京

 窓ガラスに蔽われた高層ビルの林立する東京の街の空を雁が渡ってゆくという風景が見え、そこに佇む作者の東京への思いが伝わってくる。「東京は硝子の胸板」と表現した作者の東京への思い、すなわちその壊れやすさを含めた諸々の思い、を読み取りたい。来るべき大地震への不安のようなものも作者の気持ちの底にありはしないか。


39

鑑賞日 2012/3/7
逝く母の瞼はがして我見せん
渡部陽子 宮城

 作者は随分と情けが深い。深すぎるくらいだ。俳句というものが結局その作者の個性の顕現だとすれば、この句などはストレートに見事にそれを果しているのではないだろうか。


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