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金子兜太選海程秀句鑑賞 479号(2012年1月号)
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(作者名のあいうえお順になっています。)
鑑賞日 2012/1/3 | |
蟋蟀の貌して死の町などと言う
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安藤和子 愛媛
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鉢呂経産相が福島原発周辺の地域に対して「死の町」と言ったということが題材としてある。おそらくその言い方の問題である。確かに死の町に違いないのである。もし彼が悲嘆にくれて涙ながらにそう発言したのなら、受け止められかたは違っていた。彼が蟋蟀の貌をしていたのが問題なのである。この句は、東電や日本政府のお偉方の本質を暴いている。 |
鑑賞日 2012/1/4 | |
真ん中に刈田ひろがる待ち時間
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伊藤はる子 秋田
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我々はそれが意識的であれ無意識的であれ、おそらく常に何かを待っている。だから我々の生における時間は常に待ち時間であるといえる。この句の場合は、真ん中に刈田ひろがる待ち時間、であるから、一つの達成感がありながら中心が空白になったような状態。やるべきことはやりました、さあやって来て下さい。やって来るのは誰だろう。 |
鑑賞日 2012/1/4 | |
農の父桑天牛の首をぐ
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内野 修 埼玉
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〈桑天牛〉は[くはかみきり]、〈〉は[も]とルビ 農ということは、即ち大地に生きるということ。そして結局我々は大地に生きる他は生きる術がない。そして大地に生きるということは、全ての他者と生死を共にするということ。そういう父であるから、いとも簡単に殺生をする。しかしこの殺生は殺生ではない。何故なら彼自身の生がそこに捧げられているのだから。 |
鑑賞日 2012/1/6 | |
燕帰る始発電車を追い越して
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宇野律子 神奈川
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日常という空間の上空をすっと飛翔する詩の一矢。 |
鑑賞日 2012/1/6 | |
星月夜仮設に繕ひ物の妻
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江井芳郎 福島
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現代の民話だ、という感じが強い。どのような時代にも民衆が持ちうる価値ある大切な心。 |
鑑賞日 2012/1/7 | |
夏水仙老いてゆく日を賑やかに
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大口元通 愛知
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老いてゆく日を賑やかに夏水仙が飾ってくれている。 |
鑑賞日 2012/1/7 | |
「悩むことはない」と声あり曼珠沙華
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岡崎万寿 東京
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ビートルズのレット・イット・ビーという曲が思いだされた。おそらくその雰囲気が似ているのである。 When I find myself in times of trouble |
鑑賞日 2012/1/8 | |
北風吹くや仮設住ゐをへうへうと
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柏倉ただを 山形
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北風に対して「おいおい何もそんなに自分を主張しなくてもいいじゃないか。少しは遠慮というものがあるだろう。このへうへう野郎め。」という揶揄の感じ。 |
鑑賞日 2012/1/8 | |
全天の秋を背に受く被曝の牛
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加藤昭子 秋田
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「全天の秋を背に受く」という言い方。動物は偉い。 |
鑑賞日 2012/1/9 | |
石積みの澄みゆく時空精進料理
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金子斐子 埼玉
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「石積みの澄みゆく時空」という言葉に魅かれる。「精進料理」という座五が相応しいのかどうかを思案中。 |
鑑賞日 2012/1/10 | |
ヒロシマの水澄みており理不尽なり
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金子ひさし 愛知
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先月号の篠田悦子さんの「ヒロシマ夏真水にしんと生きものたち」の女性的な受容性に対して、この句の男性的な「理不尽なり」が面白いと思った。いわば女性原理・男性原理の対比が面白いのである。アリョーシャとイワン、ソーニャとラスコーリニコフのごときに、この対比は文学の大きなテーマであり、また人生そのものの大きなテーマでもある気がする。 |
鑑賞日 2012/1/11 | |
月天心一人子を生しわが生死
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北村美都子 新潟
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〈子〉は[ご]とルビ いい句だ。「月天心」が句によく響く。座五も「わが人生」などとやらずに「わが生死」としたのは、とてもよく言葉の選択がなされていると思う。この作者の生そのものが美しく結晶した趣のある句である。 |
鑑賞日 2012/1/11 | |
人間くささが希薄となって酔うて秋
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京武久美 宮城
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〈人間〉は[ひと]とルビ 「人間くささが希薄となって」と書いてあるが、句全体から受ける印象は人間くささである。こういう句が書けるというのは、おそらく作者は人間くさい人なのではないかと想像している。 |
鑑賞日 2012/1/12 | ||||
なんばんぎせる物忘れのよう息するよう
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黒岡洋子 東京
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「なんばんぎせる」との絶妙な対話、あるいは作者は既に半分なんばんぎせるになっているような感じ。対象物への瞑想力というか、あるいは情(ふたりごころ)というか。「息するよう」がいい。
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鑑賞日 2012/1/12 | |
隆隆と仏壇の中青大将
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今野修三 東京
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仏壇の中に青大将がいた。それを「隆隆と」いると感受したのが素敵だ。現世肯定的であるからである。そもそも仏壇の中には青大将がいるべきものかもしれない。 |
鑑賞日 2012/1/13 | |
鼻なでて意見する父カラフトマス
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佐々木宏 北海道
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カラフトマス。下のWikipediaの写真はその特徴が強調されすぎている感じもある。 |
鑑賞日 2012/1/13 | |
蒲鉾のむちむち夏の赤ん坊
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篠田悦子 埼玉
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物質感。赤ん坊を抱き上げた時など、その物質感にはっと驚くことがある。その物質感が手ごたえのあるものになっているのは、生活実感から自ずと出た譬えの上手さだろう。 |
鑑賞日 2012/1/14 | |
曼珠沙華ひらきてぼくをくらくする
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杉崎ちから 愛知
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例えばとしか言えないが、くらい曼珠沙華色の色面によるマーク・ロスコの絵があったとしたら、その前に佇んだ時の感じ、とでも言おうか。とても魅力的で雰囲気のあるマチエールである。 |
鑑賞日 2012/1/15 | |
空蝉を並べ机上の原発論
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瀬古多永 三重
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机上の原発論など、それが賛成論にしろ反対論にしろ、いくら並べても、空蝉のようにぺらぺらとして風に吹き飛ばされてしまうような軽いものだ、というようなこと。我が意を得たりという感じで痛快である。 |
鑑賞日 2012/1/15 | |
嗚呼きのこ被曝の傘をひろげたる
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高木一惠 千葉
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〈嗚呼〉は[ああ]とルビ 読者は当然のように原爆のきのこ雲を想起する。原爆を作るということと、原発を作るということの根っこにあるものは同じであるが、作者はそういう人間心理の事実も暗示しているのではないだろうか。 |
鑑賞日 2012/1/16 | |
秋思といふてやはらかき唇をせり
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武田美代 栃木
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誰か愛する人を見つめている感じ。その人が、秋思と言って、柔らかい唇をしたというのである。 |
鑑賞日 2012/1/16 | |
百歳の僧の焚火に長い列
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舘岡誠二 秋田
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世相を切り取っている。長生き願望。何かしらの権威を求めるということ。行列を作るということ。もっともこれらの事はいつの時代にもある人間の習性かもしれない。 |
鑑賞日 2012/1/17 | |
しづかなる尾の往き交ひて秋の暮
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田中亜美 神奈川
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古典的な秋の暮れの情趣に、古代的なエロスやアニミズムの趣を混じり込ませて、現代的である。秀逸。 |
鑑賞日 2012/1/17 | |
被曝者であること蠅を逃がすこと
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中村 晋 福島
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どこか割り切れない。何かもどかしい。その感じと受け取った。われわれを被曝させた張本人は誰なのか。打とうとすればスッと逃げる蠅のような奴。 |
鑑賞日 2012/1/18 | |
コスモスやときには風のおもちや箱
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野崎憲子 香川
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庭先にあるコスモスの一群れなどを見た時の感じとして、ああこんな感じもあるなあ、と思いださせてくれる一句である。「風のおもちや箱」が楽しい。色とりどりのコスモスが正に眼前に浮かんでくる。表現の力と言えようか。 |
鑑賞日 2012/1/18 | |
五体にしみる秋草の青津波痕
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野田信章 熊本
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自然の中の人間という事の全体を感覚でまた理知で大きく捉えているという感じである。自然の中に生きて在るということの実感、と言ってもいいかもしれない。 |
鑑賞日 2012/1/19 | |
みちのくや新藁よりも人乾き
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長谷川育子 新潟
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おそらくそうだろう。「ガンバロウ東北」だとか「ガンバロウ日本」だとか「復興復旧」だとかの威勢のいい掛け声の中で、古藁のように乾いて孤独に死んでゆく人はとても多いはずだ。 |
鑑賞日 2012/1/20 | |
吾も犬も手ぶらで被曝断腸花
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福原 實 神奈川
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「断腸花」というのは秋海棠の別名。この別名の意味の面白さが句を作っている。被曝したにもかかわらず、それを吾が身の滑稽さとして笑い飛ばしている雰囲気がある。「吾も犬も手ぶらで被曝」という言い回しには、庶民的な人間であるという事実も含まれているだろうし、ある意味企みのない実存的な生の在り方を肯定している雰囲気もあるから、なおさら「断腸花」という座五が効いて、人間的な可笑しみを誘う。 |
鑑賞日 2012/1/20 | |
幸魂の集まる広場秋の田は
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堀之内長一 埼玉
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〈幸魂〉は[さきたま]とルビ。 「幸魂」という言葉の手柄の句。日本書紀には大己貴神(大国主大神)が国造りをした時に助けたのが幸魂奇魂(さきみたまくしみたま)だったという記述があるそうである。その辺りからこの「幸魂」という言葉を拾ってきたのだろうか。とにかく日本神話的な雰囲気を持っている言葉である。聖書の世界でいえば聖霊というようなものにあたる言葉であろうか。とにかくこの幸魂(さきたま)という言葉によって句全体が神話的な雰囲気を帯びる。 |
鑑賞日 2012/1/21 | |
高僧に母霧に山肌在りにけり
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前田典子 三重
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「高僧に母霧に山肌」という言葉に〈慈しみ〉という実相を観じている感がある。世界は慈しみでできている。 |
鑑賞日 2012/1/21 | |
福島の桃買う憂国の雨降るや
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舛田子 長崎
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原発事故問題というのは、感じることのできる人にとっては、憂国あるいは憂世界あるいは憂人間ということに至る象徴的な出来事ではないだろうか。その辺りのことを、理屈ではなく、叙情として表現している。「福島の桃を買う」という具体がいい。 |
鑑賞日 2012/1/22 | |
よく酔えば虫の闇より父帰る
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松本勇二 愛媛
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しみじみ生きて在るということを感じさせてくれる句。いい句だ。 |
鑑賞日 2012/1/22 | |
のその丁寧さが誘います
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三井絹枝 東京
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〈〉は[さより]とルビ さよりを丁寧だと感じる独特の把握に魅かれる。この作者自体が丁寧で繊細な人なのではないかと想像する。 |
鑑賞日 2012/1/23 | |
夜明けの萩君らしいひとことが来る
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宮崎斗士 東京
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この「君」は誰かであって、その人の形容として「夜明けの萩」という言葉がある、と取れる。あるいは、「君」は「夜明けの萩」そのものだとも取れる。こういうのは俳句の常套手段であるように思えるが、この句の場合、発せられた言葉がみずみずしく新鮮で、まさに夜明けの萩のように魅力的である。 |
鑑賞日 2012/1/23 | |
包帯も花野も危なっかしい砦
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茂里美絵 埼玉
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包帯のやさしさ、花野のやさしさ、しかし、やさしさなどというものは、この時には忌わしくも荒々しく見える世界においては、危なっかしい砦のようにさえ思えることがある。 |
鑑賞日 2012/1/24 | |
坊様に肉食系の眉がちゃがちゃ
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柳生正名 東京
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「坊様」という言い方。ありがたい悟ったお方というイメージ。その坊様に肉食系の眉ががちゃがちゃと生えていたというギャップの面白さ。 |
鑑賞日 2012/1/24 | |
楽浪の国やこんもり今年米
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矢野千代子 兵庫
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〈楽浪〉は[さざなみ]とルビ 「楽浪(さざなみ)」という言葉の表記を含めての豊かな感じ。「こんもり今年米」というオノマトペも含めての豊かな感じ。日本という国土はそもそも豊かな土地なんだなあと改めて思わせてくれる。句全体がゆったりとおおらかで、万葉の時代の天皇の歌のような雰囲気さえある。 |
鑑賞日 2012/1/25 | |
余生なお健気の妻よラ・フランスよ
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山谷草庵 青森
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本当の愛情というものはまさに老年になってやって来るのではないかと思わせる。若い時のぎらぎらとした所有欲を離れて尊敬の念が強まる。この人が自分の伴侶であってくれたことに驚き且つ感謝の念が沸いてくる。「ラ・フランス」が馥郁と香る。 |
鑑賞日 2012/1/25 | |
遅れとる蛇めでたしや穴へ
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柚木紀子 長野
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小気味よい言いっぷりが豪快というか痛快というか、「まあまあよかったよかった」という気持ち。「蛇穴へ」という季語の機能を十分に発揮させた、婚期の遅れた男の結婚への豪快な祝辞である。 |
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