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金子兜太選海程秀句鑑賞 473号(2011年6月号)

作者名のあいうえお順になっています。

1

鑑賞日 2011/6/2
黒猫の梁に撓うも夜神楽や
飯土井志乃 滋賀

 小さなことでも、その場の或る一つの出来事を新鮮な言葉で表現できた時には、その場の情景がありありと目に見えてくるものだということを改めて感じた。「梁に撓う」という言葉がそれだ。


2

鑑賞日 2011/6/3
湯たんぽも母も単純明快なり
伊佐利子 福岡

 なるほどなあと思った。母というのは単純明快だ。子を産んだり育てたりすることには何のへ理屈も構えもいらない。湯たんぽのように温かければいいのだ。複雑な現代社会において、この単純明快な本能が見失われていくことはないだろうか。


3

鑑賞日 2011/6/3
紅葉狩り鹿や猪食ふ人も
内野 修 埼玉

 俳諧性の一つの特徴は、人間性の幅広さをそのまま俳句に持ち込むことではないだろうか。花鳥風月が美しいのは当たり前。この句においては、「鹿や猪食ふ人も」紅葉狩りに招き入れたことが味噌。


4

鑑賞日 2011/6/4
牡蠣啜るひとりは遠くばかり見て
榎本祐子 兵庫

 「牡蠣啜る」という一つの触感的で具象的な行為と、「遠くばかり見て」いる人の観念的で抽象的な行為の対比あるいはバランス。


5

鑑賞日 2011/6/4
旅籠船津屋猪に杉戸を壊されぬ
大西健司 三重

 「旅籠船津屋」「杉戸」という具体的な道具立てが、一つの出来事に事実性の重みを与えている。風土感もある。


6

鑑賞日 2011/6/6
雪掻きが終る雪雲迫り来る
刈田光児 新潟

 「雪掻きが終る」「雪雲迫り来る」と畳みかけることによって、雪国の暗鬱な風土感がひしひしと感じられる。


7

鑑賞日 2011/6/6
人間は蓮華草ほど児がまろぶ
北川邦陽 愛知

 〈人間〉は[じんかん]とルビ

 「蓮華草ほど児がまろぶ」で、ころころと転がったりしながら遊んでいる子供たちの健康そうな姿を思い浮かべるが、しかし敢て「じんかん」と言っているので「児がまろぶ」に悲観的なニュアンスが付加される気もする。人間存在として、どちらも有りということではないか。


8

鑑賞日 2011/6/7
光陰もレインコートも狐臭して
九堂夜想 神奈川

 世の中のこと何もかもが嘘臭いという感覚ではないだろうか。そして、その感覚を「レインコート」だとか「狐臭」だとかの具体物を媒介にして書けたので説得力がある。


9

鑑賞日 2011/6/7
霜の夜鳥獣戯画のゆるき吃音
小池弘子 富山

 霜の夜のしんとした時間を感じる。そんな時に鳥獣戯画を眺めていれば、その「鳥獣戯画のゆるき吃音」さえもが聞こえてくるというのである。


10

鑑賞日 2011/6/8
墓洗う母の温もる堅さです
後藤岑生 青森

 「温もる堅さ」という言葉が、死者への愛情と、死というものへの厳粛な気持ちを綯い交ぜたような気持ちを表現して実感がある。


11

鑑賞日 2011/6/8
博多も雪ホームにうすい人間たち 
鮫島康子 福岡

 美しくも薄い実存感とでも言ったらいいだろうか。それを、抽象的あるいは観念的にならずに、具体的な道具立てで表現している。


12

鑑賞日 2011/6/9
猪狩りのむくいぞ回復せぬ膝は
品川 暾 山口

 私も今年「寒の膝痛くしやがる戯れの神」という句を作ったが、私の句より、この句の方が上手い。要するに具体的な事実の因果関係だけで書いているからである。


13

鑑賞日 2011/6/9
初寝覚怒らず転ばず地獄耳
篠田悦子 埼玉

 老いの境涯を戒めと戯けで書いていて味がある。


14

鑑賞日 2011/6/10
乱れ麻のような毎日神渡し
下山田禮子 埼玉

 〈麻〉は[お]とルビ

 祈りだろうか。おそらくそうだろうな。こんがらがってしまった日常、こんがらがってしまった意識、祈らずにはいられない。


15

鑑賞日 2011/6/10
なごり雪ならで降灰無粋です
釈迦郡ひろみ 
宮崎

 なごり雪の抒情に対して降灰なんて無粋だなあ、ということ。
 東日本大震災が起る前は、宮崎の新燃岳の噴火や降灰のニュースがよく流されたが、震災後は殆どそのニュースが無くなってしまった。あの東日本の圧倒的な自然の猛威に対しては新燃岳の噴火や降灰がそれほど目立たなくなってしまったということだろう。自然現象でも、無粋だなあと言っていられる内は、やはりこれも抒情の内なんだろうなあ。


16

鑑賞日 2011/6/11
一番長い影連れ娘の家へゆく
杉崎ちから 愛知

 子供の頃、夕陽が射している夕暮れどきなどに、自分の影法師を眺めていた時間がある。また、家族や遊び友達などと影法師の長さを比べてみたような記憶もある。懐かしい時間であった。この句からは、何故かその懐かしい感じが伝わってくるのである。


17

鑑賞日 2011/6/11
病む妻に管のいろいろ冬深し
須藤火珠男 栃木

 管のいろいろ、そう、止むを得ないとはいえ、人間の尊厳とは何かということを考えさせられる一句である。冬が深い。


18

鑑賞日 2011/6/12
にわとりより静かに座り春を待つ 
瀬川泰之 長崎

 譬えの面白さに尽きるだろう。ちょこんと坐るにわとりに人物像が重なる。日差しも感じる。


19

鑑賞日 2011/6/12
のめり込む雪庇あり家族あり
瀧村道子 岐阜

 「雪庇」(ゆきびさし)は文字通りに雪が積った家屋の庇と取りたい。それが積りに積った雪にのめり込んでいる状態ではなかろうか。「家族あり」が響く。


20

鑑賞日 2011/6/13
机の上きれいに雪を待つ子かな
武田美代 栃木

 いい子だなあと思う。そしていい子過ぎて心配な面はこの子の場合は無いだろう。雪を待つ気持ちを持っているからである。とても清潔感のある句である。


21

鑑賞日 2011/6/13
鉄の軌道鉄の心臓末黒野に
田中亜美 神奈川

 「鉄の軌道」にしても「鉄の心臓」にしても、先ず思い浮かべるのは蒸気機関車である。そして「末黒野」であるから、全体に黒い色調の力強い構成の画面であり、何といったらいいか、作者の強靱な魂を感じる。


22

鑑賞日 2011/6/14
雪丈余掘って婆待つ春よ来い
田村勝美 新潟

 一丈は約三メートルであるから、丈余は三メートル以上のことである。これはもう新潟の豪雪地帯以外ではありえない。嫌だなあ大変だなあと思うが、句は案外軽快で明るいものを感じる。人間の真の強さというものは、明るくて軽快な衣装を纏うということを、この婆が示している感じがする。


23

鑑賞日 2011/6/14
春愁へ息子のオナラ乱入す
峠谷清広 東京

 この作家は、哀しくて可笑しい庶民の心の襞を描く名手である、という感想を改めて持つ。


24

鑑賞日 2011/6/15
秋黴雨人の気配を淵という
遠山郁好 東京

 豊かで深く到底計り知れない人間存在の神秘とうものへの戦きが隠されているような気がする。


25

鑑賞日 2011/6/15
大勢とはこんな音かや蜆汁
中島伊都 栃木

 大勢でいる時の感じを蜆汁で譬えた面白さ適確さ。


26

鑑賞日 2011/6/16
真っ当な花の生命を差し上げる
根岸暁子 群馬

 〈生命〉は[いのち]とルビ

 「真っ当な」という言葉の選び方が丁度いいのではないか。「真実の」等では気取っているし、「当たり前の」等ではくだけている・ふざけている感じがある。


27

鑑賞日 2011/6/16
初音あり線刻の陰凝灰岩に
野田信章 熊本

 〈陰灰岩〉は[ほとはいいし]とルビ

 「初音」は普通ウグイスの最初の鳴き声のことであるが、ここでは「陰凝灰岩」そのものの音のような気がする。作者は線刻の石彫をなさる人であろうか、あるいはそういうものを見ての感じであろうか。いずれにしても、「線刻の陰凝灰岩」との静かなる対話の時間を感じる。ところで「陰凝灰岩」とは女陰が刻された凝灰岩のことなのであろうか。


28

鑑賞日 2011/6/17
如月や兄の土鈴の在りどころ
平塚幸子 神奈川

 そもそも「如月」という言葉から受ける感じは「土鈴」に相応しい。それを直接言うのではなく、「兄の土鈴の在りどころ」と外した言い方が上手い。


29

鑑賞日 2011/6/17
雪の陰影清しや肩甲骨のあたり 
藤野 武 東京

 〈清〉は[すが]とルビ

 何年か前のことであるが、亀山郁夫訳の『カラマーゾフの兄弟』がベストセラーになった。それだけ読みやすいということらしい。一方でこの訳は悪訳だという評判もある。夥しい数の誤訳と解釈訳の問題である。例えばドミーとリーの台詞の次のような訳の違いはどうだろう。

「それこそ藁をもつかむ思いでおまえを求め、おまえを渇望していた」・・(亀山郁夫訳)
「心の襞という襞、肋骨という肋骨でお前を求め、渇望していた」・・(原卓也訳)

 おそらく原文には「肋骨」という言葉があったに違いないし、この言葉はドミートリーという人間をよく表現しているのに、亀山訳は読みやすいには違いないが陳腐なものになってしまっている。

 この句の作者は、まさに雪の陰影の清しさを肩甲骨のあたりで感じたのである。


30

鑑賞日 2011/6/18
ブリザード昂ぶりは黒人霊歌
ホーン喜美子 
カナダ

 ブリザードとは北米やカナダで吹雪をともなう冷たい強風である。黒人霊歌というものに私は魂の熱い思いを感じるのである。このブリザードと黒人霊歌の配合。「昂ぶり」という繋ぎの言葉も句の雰囲気を盛り上げている。魅力的な句である。


31

鑑賞日 2011/6/18
山あいに住み馴れ風呂吹きをふうふう
本田ひとみ 福島

 「風呂吹きをふうふう」というリズム感に山あいに住み馴れた人の一つの生活実感を感じる。穏やかで素朴な自然と人間の呼吸のリズムであり、懐かしい。


32

鑑賞日 2011/6/19
川底の真冬の空のちからかな
前田典子 三重

 川底の真冬の空に希望を感じるというのはよくあるが、それを「ちから」とまで飛躍させて言ったところがまさに力強い。大いなる心の働きである。


33

鑑賞日 2011/6/19
女子駅伝三千院の大根煮
松本ヒサ子 愛媛

 三千院では毎年二月の初午の時に〈幸せを呼ぶ大根焚き〉というものが行われて、大根煮が参拝者に配られるらしい。そういうことと女子駅伝が微妙に響いてくる。当然、沢山の大根足というようなことも連想される。


34

鑑賞日 2011/6/20
冬紅葉一本の雨のような髪
三井絹枝 東京

 敢て言えば、「一本の髪のような雨」ではなく「一本の雨のような髪」というのがこの作家らしい。自然を単に眺めているのではなく、作家自身が自然の一部であるという感覚が起る。


35

鑑賞日 2011/6/20
水平線も君も潔癖花菜畑
森 美樹 千葉

 ああ気持ちいいな。花菜畑が広がっている。遠くには水平線も見える。ところで君は随分と潔癖だなあ、あの水平線のようだ。何かいいことがあるといいね。花菜畑が美しい。


36

鑑賞日 2011/6/21
ここにいることが遠景梅咲けり
守谷茂泰 東京

 答えは何・・・

 問いは何・・・

 そこに梅が咲いている・・・


37

鑑賞日 2011/6/21
恋猫の大きな方を銃撃す 
山内崇弘 愛媛

 この気持ちよく分る。大きくて強いものが何でもかんでも子孫を残して繁栄してゆくというダーウィンの法則への反撥だ。


38

鑑賞日 2011/6/23
寒紅の明るき妻に日差し差す
山岡敬典 岡山

 妻が寒紅を差している。そして明るい感じでいる。その妻に日差しが差している。それだけで嬉しいのだ。妻をいとおしく思う気持ち。


39

鑑賞日 2011/6/23
一面雪脛に傷もつ眩しさよ
山本キミ子 富山

 傷らしきものの殆ど見えない一面の雪。脛に傷を持っている自分との対比でその美しさ全きさを強調している。憧れもあるだろうか。風景句であると同時に心理句でもある。


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