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金子兜太選海程秀句鑑賞 472号(2011年5月号)

作者名のあいうえお順になっています。

1

鑑賞日 2011/5/1
稀の青空昼火事に立ち止まる
伊藤はる子 秋田

 俳句を書く人は、そこにある意味づけをしようだとか、ある趣や風情を出そうだとか、何か変ったことを言って笑わせようだとかという企みがあるものだが、そういう企みを感じさせない坦々とした書き方が却って日常の重みを感じさせてくれる一句である。


2

鑑賞日 2011/5/1
村の僧乾布摩擦の白きこと
稲葉千尋 三重

 冬の朝の風情である。当然「乾布摩擦」は冬の季語かと思ったら歳時記には出ていない。作者はその辺りを心得ていて「乾布摩擦の白きこと」という合わせ技で冬の季感を出したのかもしれないと思った。少し太りぎみの村の僧の白いもちもちとした肌も見えてくる気がする。


3

鑑賞日 2011/5/2
自分らしさの自分が見えぬ夜の吹雪
上田久雄 石川

 内容と「夜の吹雪」が素直に響きあっているのは当然のことであるが、「自分らしさの自分が見えぬ」という内容そのものが、気付きを含んだ内容で面白い。「自分らしくあれ」だとか「自分らしさへの旅」だとか「自分らしさ」という言葉が流行のように使われるが、実は本人にとっては自分らしさなどということはあいまいなことであり、「これが自分らしいことだ」などとは到底言えないことなのではないだろうか。そんな風に自分を限定してしまうことは却って本当の自分を探す旅を止めてしまうことかもしれないからである。


4

鑑賞日 2011/5/2
辻褄が合わなくなるとサングラス
大西幸子 愛媛

 とても可笑しい。人間の可笑しみである。サングラスという言葉の機能を十分に発揮させた好句。


5

鑑賞日 2011/5/3
死に給ひゆく我が母の初明り 
岡崎正宏 埼玉

 実際はそうではないかもしれないが、カーテンあるいは戸を明けて、母親に初明りを見せているあるいは意識させている作者の動作が感じられる。「死に給ひゆく我が母」という言葉運びに〈大切な者〉という心持ちが感じられるので、この「初明り」を自らが母に捧げているような感じで私は受け取りたいのかもしれない。


6

鑑賞日 2011/5/3
生きてやろ枯木の山が好きだから 
岡崎万寿 東京

 この口調から滲み出てくる諧謔感が楽しい。深刻な内容を軽く笑い飛ばすように書いてある。俳句の持つ大切な一つの味である。


7

鑑賞日 2011/5/4
冬眠の蛇より細くなりし指 
奥山和子 三重

 しみじみとした中に、少し戯けもあるような気がする。俳諧の特性というものだろう。


8

鑑賞日 2011/5/4
河原鶸キリキリコロコロとあり
加藤青女 埼玉

 「と鳴く」ではなく「とあり」というのが一つの味噌ではないか。小鳥自体とその属性である鳴き声の区別はない。属性とその実体の区別などないのだ。河原鶸というのだから、河原によくいる小鳥なのだろうか。河原でキリキリコロコロと河原鶸が鳴いてある。楽しいなあ。


9

鑑賞日 2011/5/5
初雪や夜叉を彫るらし静かな刃 
門脇章子 大阪

 人間の心理、特に女性の心理の奥に潜む夜叉性というようなものを表現した物語の一部を見ているような感じを持つ。その女はまさに夜叉を彫らんとして静かに静かに刃を研いでいる。外はしんしんと雪が降り続いている。


10

鑑賞日 2011/5/5
陽溜りの猫どうみても写楽の鼻 
柄沢あいこ 
神奈川

 連想の飛躍の面白さということであろう。日溜りで寝ている猫がどうしても写楽の描いた人物の鼻に見えてくるというのである。


11

鑑賞日 2011/5/10
「勝ってくるぞ」と峠に並ぶ雪の墓碑 
城至げんご 石川

 戦時の経験者に違いない。あるいはその頃への思いの深い人。英霊への敬虔な思いが伝わって来る。しかし、その口調には滑稽感もあり、すなわち戦争の愚かさをからかっている雰囲気もある。


12

鑑賞日 2011/5/10
雪無限亡骸のごと寝乱れず  
北村美都子 新潟

 新潟の雪深さほどではないが、同じ雪国に棲む者として、この感じ方はよくわかる。しんしんしんしんと降る雪に対してじたばたしてもしょうがないのである。雪の降る夜はただただ亡骸のごとくに寝ているしかない。「無限」という表現や「亡骸」という表現の的確さ。


13

鑑賞日 2011/5/11
吊し柿猫のポーズで肩ほぐす  
木村清子 埼玉

 俳句の基本はやはり日常を描くということであろう。日常の具体を描くということ。そして結果としてそれが詩になっていれば尚更いい。そんなことを思った。


14

鑑賞日 2011/5/11
素っぴんの我に武器あり大マスク 
久保恵美子 福井

 漫才でボケとツッコミという役割がある。おそらくこれは、二人で一人の笑いの人格というようなものを形作っているのではないだろうか。だから例えば、一人が他の一人の欠点を揚げて笑いにするというのは、本来は嫌みなことであるが、漫才コンビにおいてはそれは笑いとなる。彼らは二人でありながら一人であるからである。ピン芸人の場合はこのボケとツッコミを一人でやるわけである。
 この句を読んで、そんなことを考えたのであるが、それはこの句がピン芸人のように、一人でボケてまたツッコンデいるからである。可笑しい。


15

鑑賞日 2011/5/12
凍土掘る如何にして斯く人は狂いし
栗村 九 千葉

 「如何にして斯く人は狂いし」くらいは誰でも簡単に言えるが、「凍土掘る」がこの言葉に真実味を与えて重みのある句となっている。


16

鑑賞日 2011/5/12
あたたかや犬に草の実わたしに句 
河野志保 奈良

 ほのぼのとした童画風の世界。こんな風に俳句のことを思える人はしあわせだ。


17

鑑賞日 2011/5/13
ひとりぼっちの夕星沖に鯨群る
坂本春子 神奈川

 〈夕星〉は[ゆうずつ」とルビ

 沖に鯨が群れているのを一人で見ているのなら孤独であるともいえるが、そうとも言い切れない。何故なら自分には夕星があるから。その辺りの微妙な心理を美しく切り取っている。「夕星」「沖」「鯨」という道具立ても上手い。


18

鑑賞日 2011/5/13
シマフクロウまだまだあくが強い祖父 
佐々木宏 北海道

 親しみを込めたからかい。

シマフクロウ Wikipediaより

19

鑑賞日 2011/5/14
クリオネと語る精神科医の日曜日  
重松敬子 兵庫

 いかにもありそうな人物像である。そして好意的に取れば、この精神科医は誠実な医者だ。精神科医が誠実であればあるほど、彼は精神的にかなり疲れるはずである。人間の不条理が集約されたような精神病者達を相手にしているわけであるから。日曜日くらいは、クリオネとでも語っていたい。


20

鑑賞日 2011/5/14
七種や飼育係のごと刻む  
柴田和江 愛知

 「いきものがかり」という音楽のグループがある。考えてみれば、料理人というのはいきものがかり、平たく言えば飼育係かもしれない。そこに喜びもあるのだが、時には面倒臭くなることもある。句からは、その両方の感じが受け取れる。諧謔句。


21

鑑賞日 2011/5/15
冬晴や追伸のごと港が見える 
柴田美代子 埼玉

 「追伸のごと港が見える」と言うことで、ああ冬晴れでいいなあ、という雰囲気がより一層伝わってくる。これが俳句の一つのテクニック。


22

鑑賞日 2011/5/15
枯蓮に脈絡のありほだされり 
芹沢愛子 東京

 この「枯蓮」はある人物のことを言っているのではないか。枯蓮のような人物を思い浮かべながら、この句を読んでいると、人間の情というものが伝わってくる。


23

鑑賞日 2011/5/16
蕩揺す圧倒的に鹿が居て
十河宣洋 北海道

 その音や意味も含めて「蕩揺」という言葉がこの句のいのちだろう。「圧倒的に鹿が居て」という状況描写も上手い。


24

鑑賞日 2011/5/16
はらからや分水嶺の蝉時雨 
高井元一 埼玉

 まざまざとその情景が目に浮かび、このはらから達の出会いと分れなどの場面も想像できる好句である。「分水嶺」に沢山の意味合いを感じ取れる。


25

鑑賞日 2011/5/17
雪国に生きてたまげるけさの雪
竪阿彌放心 秋田

 「たまげる」という日常の話し言葉の表現に親しさを覚えると同時に、この言葉が句を新鮮に活かしているのだと思う。


26

鑑賞日 2011/5/17
ナマハゲの草鞋を作りあとは酒
館岡誠二 秋田

 土地に密着して生きる人間の息づかいが伝わってくる。


27

鑑賞日 2011/5/18
どんと火に夫婦の古しラブレター
中島伊都 栃木

 「古き」ではなく「古し」というところに、感慨がある。そして、この感慨はよく解る。いわば聖なるどんとの火に、なまなましくも激しい夫婦の過去の記録が燃えて、美しい灰になってゆく、というイメージ。穏やかで静かな晩年の夫婦のあり様がイメージされる。


28

鑑賞日 2011/5/18
ぽつんと母こつんと眼鏡置いて冬
中村 晋 福島

 懐かしくも穏やかな日常。その中でだんだんと枯れてゆく母。淋しいだろうか。淋しいとしても、それも生の一部。それを母は味わっている感じ。私は、たとえば、日向の縁側に居るような場面であってほしいと思うのである。
 ところで作者は福島の人、今回の震災では無事であったのだろうか。この穏やかで濃密な日常は奪い去られなかっただろうか。


29

鑑賞日 2011/5/19
押し花のように閑なり睦月なり
中村孝史 宮城

 思いもつかないような譬えの面白さ。そしてその譬えが、ただ奇抜だというだけでなく、解る。ある種の停滞感が無くもないが、全体としては平和な日常感である。
 ところで、この作者も宮城の人。この度の震災では、この平和な感じはどのように揺さぶられてしまっったのだろうか。


30

鑑賞日 2011/5/19
猪の眼に寒満月の怒濤のみ 
野崎憲子 香川

 心眼といえるようなもので、自然を眺め、組み建て直して、形象しているのではないか。魅力がある。この作家の他の兜太秀句を見てみたが、それぞれにみな力がある。敢て言えば、魂の力とさえ言えるようなもの。

わくらばや浮いて光の耳となれ
残雪や浄土平に千の月
雷あびて金剛力の蟻となる
落日のもつとも春の息吹かな
蝶になるため強烈にひきこもる
夏の月み熊野という怒濤かな
勺玉は冬の怒濤のにほひかな
蠍座は尾を磨くらむ冬籠
ヒロシマの石に言の葉うましめよ
釣瓶落しこの位置は譲れない
落椿猪の骸でとまりけり
雁や野をかき切つて夕日川


31

鑑賞日 2011/5/20
あらゆる白の乾く霧島おろしかな
服部修一 宮崎

 難しい。おそらくこの風土を私が知らないから想像が働かないのだ。


32

鑑賞日 2011/5/20
陽の限り落葉踏みしめ生きめやも 
疋田恵美子 宮崎

 「陽の限り落葉踏みしめ」全体に、特に「踏みしめ」に「生きめやも」ということをしみじみと強める響きを感じる。
 ところでこの〈生きめやも〉というのは文法的には、生き(未然形)―め(推量の助動詞「む」の已然形)―やも(反語の終助詞)、ということで、「生きようか、いや生きない」ということになるのだそうであるが、堀辰雄の「風立ちぬ、いざ生きめやも」でもそうであるように、ここでは肯定的な意味に取らなければならないだろう。


33

鑑賞日 2011/5/21
日雀つっぴん鮮明なたより来る  
広瀬輝子 栃木

 〈日雀〉は[ひがら]とルビ

 朝の感じである。心理的にもそうである。「つっぴん」というオノマトペと「鮮明なたより」という言葉。

日雀の鳴き声  (http://pikanakiusagi.web.fc2.com/より)


34

鑑賞日 2011/5/21
鳥は塒に人は煮凝へと帰る 
堀之内長一 埼玉

 諧謔の味である。料理としての煮凝は酒の肴として上手いから、そういうふうに捉えてもいいだろう。また魚の煮汁が冷えて固まったものとして捉えると、さらに諧謔感が増す。


35

鑑賞日 2011/5/22
釣瓶落し敬語なんかで喋らない
茂里美絵 埼玉

 「釣瓶落し」は秋の日がたちまち暮れていくという意味であるが、本来の釣瓶落しという言葉の意味もそこには含まれる。釣瓶落しは敬語なんかで喋らない。直截にすっぱりと気持ち良く言う。それにひきかえ人間社会は・・・


36

鑑賞日 2011/5/22
流星群竜頭止まるまで巻いて 
矢野千代子 兵庫

 まあまあずいぶんと流星群が流れる。きっと流星群の竜頭を止まるまで巻いたのだろう。はてさてこの流星群の竜頭を巻いたのは誰だろう。大きな想念がある。


37

鑑賞日 2011/5/23
頑な無神論者に穴まどい  
山本キミ子 富山

 句意はあきらかであるが、私が興味をおぼえるのはこの作者の背景である。というのは、私は現代の日本人にとっては無神論であるとか有神論であるとかはあまり問題にならないのではないかと思っているからである。神というものが在るか無いかにそれ程日本人はこだわっていないのではないだろうか。そもそも「仏を見たら仏を殺せ」という禅的な文化もあるし、また十九世紀ヨーロッパの「神は死んだ」というような文化は既に浸透しているだろうし、だから現代の日本において「頑な無神論者」というものが居るのかどうかということに興味があるのである。


38

鑑賞日 2011/5/24
棒鱈のガチガチ人体標本図  
山本昌子 京都

 人体標本であるとか人体標本図であるとかを見る時に、ある戦慄を覚えるのは何故だろう。何か人間というものが貶められた感じを持つのではないだろうか。もちろん標本図は、人間存在のほんの一部分、それも低位の一部分、を表現しているだけなのだが、特に子供が初めて標本図を見る時などは、これが人間なの、というある種の落胆を感じるのではないだろうか。つまり、そのような特質のある人体標本図を「棒鱈のガチガチ」という言葉で譬えているのではないか、と思ったのである。


39

鑑賞日 2011/5/24
二階から八百屋の上の初日拝む  
若林卓宣 三重

 日常詩、あるいは庶民詩とでも言おうか。とても好感が持てる。こういう感動を持った日常を送りたいと思った。そういう意味では、「二階から八百屋の上の朝日拝む」でも私は充分である。


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