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金子兜太選海程秀句鑑賞 474号(2011年7月号)

作者名のあいうえお順になっています。

1

鑑賞日 2011/7/6
我がふるさと活断層に種を蒔く
石上邦子 愛知

 この大地すらも盤石ではない。私達の生を盤石に支えるものは無いのだろうか。おそらく有るとしたら、それは種を蒔くという行為そのものにあるだろう。とにかく種を蒔き育てるという行為そのものにあるのだろう。


2

鑑賞日 2011/7/7
春日影不在のように座す少年
宇川啓子 福島

 「春日影」であるから、この少年の状態を肯定的なものに受けとるべきであろう。少年の頃のある状態である。「少年の放心葱畑に陽が赤い」と書いた兜太が自分の経験に重ね合わせてこの句を選んだ可能性がある。・・と書いてから作者は福島の人と気づいた。もし、この少年が被災した少年であるならどうだろう。そこにはかなり深刻な状況が背景としてある。・・しかしやはり、本質的な少年の或る状態ということに変りはないような気がする。


3

鑑賞日 2011/7/8
春放射能に追われて
万愚節中古洗濯機を買へり
江井芳郎 福島

 この作者も福島の人である。この度の災害、ことに原発事故が引き起した結果については「万愚節」という言葉が相応しい。作者は自身をも含めた人間というものの愚かさというものを表現したかったのではないだろうか。「中古洗濯機を買へり」という事実を言葉にしえたのが秀逸である。前書も適切に響く。


4

鑑賞日 2011/7/8
鳥雲に地に残るもの蹲る
榎本祐子 兵庫

 この句も震災関連で考えると具体的に感じやすい。鳥という自然存在と人間存在を大きく対比させて把握しているのではないだろうか。


5

鑑賞日 2011/7/9
雲雀野の傾きかげんを君に送る
大野泰司 愛媛

 あまりに広い雲雀野。あまり広いので傾いているようだ。そこを歩いている二人。一人が一人をこの雲雀野に誘った。素敵だろう、この雲雀野。


6

鑑賞日 2011/7/9
青虫がだんだん夫に似てこまる
奥山和子 三重

 夫がだんだん青虫に似てくるのではなく、青虫がだんだん夫に似てくるというのが味噌。何故なら、自然への親しみの度合いがだんだん増してくるという意味合いが生じるからである。「こまる」は笑いを含んでいる。


7

鑑賞日 2011/7/10
生きている春雨は体温のよう 
狩野康子 宮城

 この作者は宮城の人。特に震災に結びつけなくてもとてもいい句であるが、震災ということを加味して味わえばより一層その実感は伝わってくる。


8

鑑賞日 2011/7/10
啓蟄や向こう三軒猫屋敷 
河原珠美 神奈川

 生きものとの混在感といったらいいだろうか。「向こう三軒猫屋敷」というのも面白いし、「啓蟄」によって、それが強められた。


9

鑑賞日 2011/7/11
連翹や馬のおじぎの柔らかい
北村歌子 埼玉

 この度の東北の自身や津波では、自然というものの恐ろしさを思い知らされた。その荒々しさには愕然とするばかりだ。自然がこんな荒々しいばかりなら、もう生きたくはないと思ってしまうかもしれない。しかし自然はまた限りなく優しい。この句を見れば分る。


10

鑑賞日 2011/7/11
水餅みたいに娘より夜更かし
木下ようこ 
神奈川

 高年になってからの夜更かしの感じがとても的確に表現されているのではないか。「水餅みたいに」がそれである。また「娘より」も状況を余すところなく表現しきっている。


11

鑑賞日 2011/7/12
百千鳥病人握手を離さない
木村清子 埼玉

 親しい病人を見舞いに行った時の情景がまざまざと見えてくる。百千鳥のBGM。


12

鑑賞日 2011/7/12
 訃に
素知らぬ態に春の雲ゆきたねをさん
小林一枝 東京

 〈態〉は[てい]とルビ

 高橋たねを氏の訃のこと。「素知らぬ態に春の雲ゆき」というのがいかにも俳人らしいという感じの死に方であり、また高橋氏の人となりを表わしているのかもしれない。そして、句を眺めていると、句の裏にしみじみとした死者への思いと死ということへの割り切りようもない哀しみが流れている気がするのである。


13

鑑賞日 2011/7/13
 東日本大震災
海市否訃の使者として丘に漁船
小林まさる 群馬

 〈漁船〉は[ふね]とルビ

 海市・・否・・訃の使者として、と重層的に自分の生な感覚を言葉で解きほぐしていて、大津波の非日常的な事象に遭遇した時の作者の驚きの感覚が生々しく伝わってくる。


14

鑑賞日 2011/7/13
くさめを殺す手のひら大の鰈を買い
坂本蒼郷 北海道

 少し戯けた言葉遊びのような気がするのであるが、敢ていえば、手のひらと鰈の質感。


15

鑑賞日 2011/7/14
掃除せし耳がからつぽくるみの実 
坂本みどり 埼玉

 子どもの頃はよくくるみの実をほじくって食べたものであるが、何でこんな入り組んだような構造をしているのだろうと思ったものである。そういえば、耳もくるみの実のように入り組んでいる。その類似性に気づいた可笑しさ。


16

鑑賞日 2011/7/14
囀りやこの只管を忘れかけて
篠田悦子 埼玉

 囀りを聞いている。ふと、この囀りのような只管を忘れかけていた自分に気づいた、というのである。まことに万人に共感を得る一句ではなかろうか。


17

鑑賞日 2011/7/15
養花天句読点なき暮しぶり
下山田禮子 埼玉

 とても雰囲気のある句である。「養花天」は「花曇り」のことであるが、より親しみのある「花曇り」ではいけなかったのであろうかと考えている。推測であるが、おそらく「養花天」と「句読点」の韻を踏んだ感じで、そうしたのではないか。


18

鑑賞日 2011/7/15
枯れの中ふと水音のして父よ
白石司子 愛媛

 現在の私自身の父親の姿が重なる。もう殆ど意識が無く、枯れたように眠っているが、時々ふと意識ある生命の証しとでもいえるような水音を立てる。そういう時の新鮮な驚き。譬えが上手い。


19

鑑賞日 2011/7/16
人に死も家路もなくて凍て返る
末岡 睦 北海道

 あの大震災の行方不明者のことを詠んだもののような気がする。死という確証もない、家に帰ってくるわけでもない、凍て返る中彼らはどうしているのだろう。三月十一日以降、凍て返るような日があっただろうかと考えてもみたが、これを心理的なものとみれば問題ないはずだ。


20

鑑賞日 2011/7/16
痩せた蛇蛙見ている被災の地
鈴木八駛郎 
北海道

 今までの生の営みが断絶してしまった。痩せた蛇もただ茫然と蛙を見ている。おそらくこの蛙も痩せている。


21

鑑賞日 2011/7/17
存分に水照りの埴輪諸葛菜
関田誓炎 埼玉

 埴輪も諸葛菜も存分に水照りしている、というのだろう。豊かでみずみずしいこの世界。


22

鑑賞日 2011/7/17
夜はすぐ明け大きなマスクで顔おおう
芹沢愛子 東京

 最近はいろいろなことでマスクを付ける人が多くなった。この句は一応そういう風俗をベースにしているが、もっと別の、社会に生きる人間の心理を暗示している感じがある。いわゆる、仮面を被って人間は生きているということ、あるいは仮面を被らないと生き難いということ。夜の間だけ、ある程度人間は素っ裸になれる。しかしその夜もすぐに明けてしまう。


23

鑑賞日 2011/7/18
山茱萸眩し老い込むなんて不似合な 
高橋一枝 埼玉

 「老いる」ではなく「老い込む」というのがポイントかもしれない。老いるというのは肉体的なことで自然なことである気がするが、老い込むというのは、自分は老いてしまったという呪縛のもとに、精神的に滅入ってしまう状態なのではなかろうか。肉体がどんなに老いようが、精神的には活き活きとした眩しさを保っていたい。そう作者は思ったのではないか。「山茱萸眩し」が響く。


24

鑑賞日 2011/7/18
てのひらの浅瀬ここより雛流す 
田口満代子 千葉

 気持ちを込めてそっとそっと雛を水に移して流した動作が目に見えてくる。「てのひらの浅瀬ここより・・・」という観察力をともなった表現力。細やかな優しさがそれらの力の源にある気がする。


25

鑑賞日 2011/7/19
炉を塞ぐ妻の大きな尻であり
竪阿彌放心 秋田

 親しく付きあってきた俺の妻。それにしてもでかい尻だ。こんなでかい尻の妻にはかなうはずがないなあ。妻という大きな存在を感じている。


26

鑑賞日 2011/7/19
 悼高橋たねをさん
春来れば雨・晴・雪・晴・芽のうるむ 
谷 佳紀 神奈川

 故人への思いが、春の植物達に託されて巧みに詠まれている。前書が無くても句は成り立つと思えるくらいに前書と句との関係はさりげない。しかし前書と句との響き合いは深い。


27

鑑賞日 2011/7/20
乳牛の乳凹み垂れ春分かな  
董 振華 中国

 春ののどかでうららかな気分を表わすのに、ものと事実で書いているのが優れている。「乳牛の乳凹み垂れ」も勿論であるし、「うらら」とか「のどか」などと言わないで「春分」と書いたのもそうである。


27

鑑賞日 2011/7/20
乳牛の乳凹み垂れ春分かな  
董 振華 中国

 ものと事実で書いていて、春ののどかでうららかな気分が出ている。「乳牛の乳凹み垂れ」も勿論であるし、「うらら」とか「のどか」などと言わないで「春分」と書いたのもそうである。


28

鑑賞日 2011/7/20
東京やクーデターみたいに冴え返る  
峠谷清広 東京

 中七の飛躍した譬えの面白さ。また上五も動かないのではないか。東京という大都会の特質が描かれている気がするからである。


29

鑑賞日 2011/7/21
春山のくっきり濃く見ゆ地震以後  
中村孝史 宮城

 今回の震災で大きなものを失ってしまった被災者の方々にどのような言葉の励ましを掛けて上げたらいいのか分らない。軽薄なことを言えば、それは失礼になってしまう。この句の作者は宮城の方であるから、何らかの形で被災したのかもしれない。だからこの句がより真実味がある。敢て一言言えば、おそらく、この震災で物質的にも精神的にも失ったものは沢山あったに違いないが、逆に見える人には見えてきたものもあるのかもしれない。そして、それは案外基本的で大事なものの可能性はある。


30

鑑賞日 2011/7/21
笑うたなと風船売りの振り返る 
野崎憲子 香川

 心理句である可能性がある。笑うたなと風船売りの振り返る気がした、と受け取りたいのである。作者は自省の念の強い誠実な人である気がする。


31

鑑賞日 2011/7/22
鶯あまりに近しよ老僧赤面す
野田信章 熊本

 僧をいえども生ぐさ、老いたといえどもまだ男、そういう人間の滑稽感のような気がする。私にはこの鶯が若い女性の化身のような気がしてくる。


32

鑑賞日 2011/7/22
鳥帰る水あれば水はげまして
平田 薫 神奈川

 作者は帰る鳥達に精霊、あるいは聖霊のようなものを感じたのではないだろうか。


33

鑑賞日 2011/7/23
ピクニックに行くよう畑の秘密基地
平野八重子 愛媛

 家庭菜園というようなものを思う。農家の方が畑にいくというのではないだろう。農家の人は畑に行くことに仕事として慣れてしまって、この句のように新鮮な気持ちにはなかなかなれないからである。もし農家の人であったら、それはそれで大したものであると思う。


34

鑑賞日 2011/7/23
人も馬も船も白梅も消えた 
本田ひとみ 埼玉

 今月号はあの震災に関する句が多いが、この句もそうだろう。言い放つように事実を提示している。余韻を味わう句。
 ところで作者の居住地は今まで福島であったが、今回は埼玉となっている。被災されて避難されたのであろうか。もしそうなら、より一層この句の言い放ちには真実味と力がある。


35

鑑賞日 2011/7/24
陽のように嘘のほしい日の菜の花 
三井絹枝 東京

 ときどきあなたの真実を覗き込むのが怖くなる/あなたが実はわたしを愛していないってことに気づくような気がして/嘘でもいい/わたしはあなたに愛されていると思いたいの/降り注ぐ陽の光が好き/わたしは菜の花


36

鑑賞日 2011/7/24
たんぽぽと小声で言うてひとりなり
森内定子 福井

 「咳をしてもひとり」というのが尾崎放哉にある。またこの句に和して「鴉ないてわたしもひとり」というのが山頭火にある。放哉句の場合は孤独感が一番強い。咳をするのも自分、ひとりなのも自分であるから。山頭火の句は放哉に和していたり、あるいは鴉がないていたりするから他者との共感があるといえる。この森内さんの句の場合はどうだろう。独りなのであるが、私はそこにたんぽぽの光を感じる。


37

鑑賞日 2011/7/25
見えぬとは恐ろし白梅に微香
山田哲夫 愛知

 「見えぬとは恐ろし」と「白梅に微香」との間には相当な時間の経過があるだろう。その経過してゆく時間の中に白梅の微香が現れる。


38

鑑賞日 2011/7/25
春愁や路地黝くすニートたち
山本キミ子 富山

 〈黝〉は[あおぐろ]とルビ

 作者は健全な社会人に違いない。春の路地に屯するニート達を見て、社会のことを愁いているのだ。違う面から考察すれば、作者は自分の中に黝く存在するニート性に対して愁いているのかもしれない。


39

鑑賞日 2011/7/25
荒磯にオルガン三月十一日
柚木紀子 長野

 あの三月十一日の出来事を風景として簡潔に切り取った。この風景から呼び起こされる感慨は深い。


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