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金子兜太選海程秀句鑑賞 463号(2010年6月号)
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(作者名のあいうえお順になっています。)
鑑賞日 2010/6/2 | |
冬耕やけむりのようなたたずまい
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飯島洋子 東京
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薄墨で描いた水墨画のような雰囲気。 |
鑑賞日 2010/6/2 | |
春の霧野守が軟禁されている
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五十嵐好子 東京
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この句はおそらく文学上に現れた「野守」という言葉の情趣を知っていなければ正確には鑑賞できないかもしれない。野守という日本的あるいは万葉的な情趣の言葉と「軟禁」という近現代的な用語の出会いの面白みであるような気がする。 |
鑑賞日 2010/6/3 | |
闇に屈めば心底鬼や鬼やらい
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石川青狼 北海道
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人間の現実というものであろう。私達は闇を覗き込む時あるいは闇に屈む時にそこに鬼を見る。しかに救いなのは「鬼やらい」という方便をも人間は持っているからである。例えば俳人にとっては句作するということが鬼やらいなのかもしれない。 |
鑑賞日 2010/6/3 | |
影たちの困惑斑雪野にひろがって
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上原祥子 山口
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曇りがちな天候がだんだん晴れてくる時の斑雪野の景色が私には見えてくる。心の中にあるいろいろなわだかまりが失くならないようで失くなってゆく時の微妙な心理状態が重なっているように感じる。 |
鑑賞日 2010/6/6 | |
冬来たりなば白バイに追い越さる
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宇田蓋男 宮崎
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「冬来たりなば春遠からじ」というところを「白バイに追い越さる」と外して落したところが俳味である。その俳味を背景として、季節感と作者の日常感が融けあっている。 |
鑑賞日 2010/6/7 | |
旅行けば老婆が一人泥鰌掘る
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大谷昌弘 千葉
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昨日鑑賞した宇田さんの句に構造が似ている。「旅行けば駿河の国に茶の香り」とうことろを「老婆が一人泥鰌掘る」と俳諧的に落した面白さ。そしてその面白さだけではなく、旅と土着という人間の二つの側面の対比がある。 |
鑑賞日 2010/6/8 | |
横顔の白鳥に似て淋しかり
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門屋和子 愛媛
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ある人物の横顔が白鳥に似て淋しい、というのである。その人物は女性のような気がする。色白の容姿端麗で誇り高く孤独な女性の感じ。正面を向いて話している時などは笑顔で朗らかに話しているが、ふと横を向いた時などに孤独感を漂わせる。 |
鑑賞日 2010/6/8 | |
三寒四温自転車という翅がある
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木村和彦 神奈川
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「自転車という翅」という譬えももちろん上手いし、また「三寒四温」という言葉の斡旋も上手い。三寒四温、寒かろうが暖かろうが俺には自転車という翅がある。 |
鑑賞日 2010/6/9 | |
押入れに鬼の領分太郎月
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京武久美 宮城
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「太郎月」というのは正月の異名であるらしい。そしてこの太郎月という言葉を使ったことが句に童話的な雰囲気を与えて成功している気がする。 |
鑑賞日 2010/6/10 | |
ある朝の空の容です破れ蓮
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久保智恵 兵庫
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〈容〉は[なり]とルビ ある朝の空の容が破れ蓮のようだったというのであろう。心模様の句であろう。「破れ蓮」という言葉が強く響く。 |
鑑賞日 2010/6/11 | |
峠に一礼ほうほうと兎狩
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小池弘子 富山
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現代の風物ではないような気がする。一昔前のことを思いだして書いたのだろうか。「ほうほうと兎狩」というのは、兎を皆で追い立てるような狩を想う。また狩をすること自体にはしゃいでいるというような感じを受ける。「峠に一礼」してからそういう狩をするということで、ますます一昔前のまだ地霊と民が一体化していたような時代のことではないかと思えてくる。 |
鑑賞日 2010/6/11 | |
臘梅は旅の日暮に出合う花
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坂本春子 神奈川
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芭蕉に「くたびれて宿かるころや藤の花」というのがあるが、それを思い出した。現代的なセンスで書くとこうなるという雰囲気である。 |
鑑賞日 2010/6/12 | |
額とは淋しい面積寒の聖堂
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猿渡道子 群馬
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おそらく良いという人も良くないという人も「面積」という言葉を取り上げるだろう。私はどちらに与することもないが、面積といわれると、「額」そのものが「寒の聖堂」であるという感覚が起ってくる。そもそも人間の身体そのものが聖堂であるという感覚はいろいろな宗教にあると思うが、額はその身体の聖堂の中でも意識の上位の部分に位置すると言われる。 |
鑑賞日 2010/6/12 | |
卒業や廊下響かせ指鳴らし
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清水 瀚 東京
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卒業の時の心の弾みである。若者が活き活きと生動する様が小気味良い。「指鳴らし」であるから高校生くらいの若者達だろうか。 |
鑑賞日 2010/6/13 | |
白鳥の物語せんと湖暗む
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鈴木幸江 滋賀
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白鳥の物語を湖が語りかけてくる感じ。そしてじっくりと物語などを聞くには明るくないほうがいい。夕暮れから夜にかけてのほうがい。 |
鑑賞日 2010/6/13 | |
即起する夫たたえて春暁や
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鈴木玲子 兵庫
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春眠暁を覚えずというが、私の夫はさっさと早起きをする。そんな夫をえらいえらいと褒めてやって、自分は春眠をなおもむさぼっているというような雰囲気である。夫の方も妻に褒められて嬉しい。そそくさと朝食のしたくなどもやっているのかもしれない。そんな微笑ましい感じがする。 |
鑑賞日 2010/6/15 | |
老斑か豹紋か枇杷の種飛ばす
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高橋たねを 香川
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気力横溢した老年像。 |
鑑賞日 2010/6/15 | |
関取のマスク小さし枇杷の花
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田口満代子 千葉
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微笑ましく思っている感じ。枇杷の花が相応しい。 |
鑑賞日 2010/6/15 | |
さつと風花海洋型の男なり
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武田美代 栃木
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さっと風花が舞ってくる感じが、海洋型の男の形容として首肯ける。 |
鑑賞日 2010/6/16 | |
梨腐るやうなる鬱をサルトルも
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田中亜美 神奈川
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鬱の感じを梨が腐るような感じと表現しえた。そしてサルトルもそのような鬱を経験したに違いないと看破した。近代的知性の抱える問題がこの句にはある。 |
鑑賞日 2010/6/16 | |
冴え返る白髪は私の楽器です
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峠谷清広 埼玉
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内省した感覚の句だという感じである。この作家の今までの物事をストレートにぱっぱっと押さえていく書き方とは味が違う。新境地か。 |
鑑賞日 2010/6/17 | |
ひとりごつ癖寒波にも仏にも
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中尾和夫 宮崎
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自分を客観的に見つめている。寒波と仏の離れ具合がいい。 |
鑑賞日 2010/6/17 | |
土筆さえ深く呼吸する体なるに
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中島偉夫 宮崎
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〈呼吸〉は[いき]、〈体〉は[てい]とルビ 土筆が深く呼吸をしているという感じ方には共感する、と同時に普段は日常の慌ただしさに紛れて忘れがちな感覚であるということに反省させられる。作者もそのあたりのことを言っているのではないか。またこの漢字の使い方とルビの振り方など、この短い詩形に意図を盛り込もうとする作者の魂を感じる。 |
鑑賞日 2010/6/18 | |
落椿猪の骸でとまりけり
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野崎憲子 香川
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落椿と猪の骸のはっとする遭遇。 |
鑑賞日 2010/6/18 | |
喪にあれど正月の貌写楽かな
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長谷川順子 埼玉
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喪にある人物(作者自身かもしれない)が正月なので正月の貌をしてみせた、まるで写楽の絵のような感じだというのであろう。逆に、あの写楽の絵は喪にある人が正月貌をしている感じだとも受け取れる。 |
鑑賞日 2010/6/19 | |
翼端に脊梁折りこむバイカルよ
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福富健男 宮崎
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アニミズムとは対象を全体的に強く把握したいと欲求するときに現れる形態かもしれない。対象にいのちを通わせてゆくという作用が働くからである。そんなことをこの句を眺めながら考えている。 |
鑑賞日 2010/6/19 | |
貧しさや顔に焼野の光り少し
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藤野 武 東京
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境涯感であろう。句が上手い故もあるだろうが、句を通して、作者自身がその場に佇んでいる姿が見えてくる。句以上に作者自身の生き様への興味が湧いてくる。 |
鑑賞日 2010/6/21 | |
金縷梅や夫を捜していたのです
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本田ひとみ 福島
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何処かに夫とでかけた(行楽等)。夫を見失ったので捜していた。途中金縷梅の花を見付けた。その花に見とれて時間を過ごしてしまった。そうだ、私は夫を捜していたのだと気がついた。そんな場面も想像できる。「夫を捜していたのです」は金縷梅の花に言っているのかもしれない。また、夫が金縷梅に化身してしまったというような錯覚も起きる。 |
鑑賞日 2010/6/21 | |
どの道も家路ではなし花杏
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水野真由美 群馬
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境涯感ともとれるし、思想ともとれる。そしてそれらを花杏が支えている。この花杏、美しい。 |
鑑賞日 2010/6/22 | |
逆光のラガーの白き前歯かな
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三松玲子 神奈川
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テレビ画面で見るようなクローズアップされた映像を感じる。 |
鑑賞日 2010/6/22 | |
冬浪なり烏賊墨のぶっかけ飯
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武藤鉦二 秋田
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男の句。少し演歌調もまじるか。 |
鑑賞日 2010/6/23 | |
白鳥の圧倒的な表面張力
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村井 秋 神奈川
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白鳥という大きなものが水に見事に浮いているという不思議さだろう。 |
鑑賞日 2010/6/23 | |
如月よ星抱く野辺はまだ無言
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森央ミモザ 長野
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清潔感のある把握の中に、信州の如月の風景が見えてくる。 |
鑑賞日 2010/6/23 | |
象の居た後の日溜り二月来る
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守谷茂泰 東京
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どこか倦怠感をはらんだような時間の流れを感じてしまうのであるが。 |
鑑賞日 2010/6/24 | |
旅寝かな水鳥の羽藻にからむ
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安井昌子 東京
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生は旅である、という古くて新しい捉え方。その一場面である。 |
鑑賞日 2010/6/24 | |
如月や陽を漉き込んで農に老ゆ
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山口 伸 愛知
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中七の味のゆえに、上五が光り、座五が誇り高く豊かである。 |
鑑賞日 2010/6/25 | |
なかんづく仮面のひかり里神楽
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柚木紀子 長野
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「仮面の」の「の」は主格ではないだろうか。そのほうが臨場感があり動感もある。かといって「が」ではなく「の」がいい気がする。 |
鑑賞日 2010/6/25 | |
雪催い忘却というけじめあり
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渡部陽子 宮城
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「忘却というけじめあり」という内容に「雪催い」の空、あるいは雰囲気がとても相応しい。 |
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