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金子兜太選海程秀句鑑賞 456号(2009年10月号)

作者名のあいうえお順になっています。

1

鑑賞日 2010/2/7
影や影橋までの試歩夕あかね
阿部一葉 宮崎

 雰囲気のある句である。病後であろうか。夕茜の中、橋までの試歩を試みている感じである。「影や影」というのが、その時の心理状況やその心理状況を通して見る辺りの景色の雰囲気を物語って秀逸である。


2

鑑賞日 2010/2/7
ポストの口が手を引きそうに麦の秋
阿保恭子 東京

 郵便物をポストに投函した時の感じであろう。「麦の秋」ということで、何か心楽しく充実感のあるものを投函した感じがある。例えば、これはといった俳句を『海程』に投句するような時である。


3

鑑賞日 2010/2/7
黙祷のあとも動かぬ蝉の兄
有村王志 大分

 「黙祷のあとも動かぬ蝉の/兄」と切るように、そしてまた切らないように読むのであろう。この「の」の余韻が深い。おそらくこの「兄」は戦死なさったのではなかろうか。


4

鑑賞日 2010/2/8
木曾のなあ清水ひと口もうひと口
石川青狼 北海道

 作者は北海道の人である。木曾に旅した時の心の弾みであろう。木曾節にひっかけて作った。当然兜太の「木曾のなあ木曾の炭馬並び糞る」が頭にあったことだろう。


5

鑑賞日 2010/2/8
諏訪湖いま繭の昏さの夏来たる
伊藤淳子 東京

 諏訪辺りは養蚕が盛んな地域であったらしい。諏訪湖の北西に面する岡谷には女工哀史で知られる製糸工場があった。そのあたりの歴史風土を感じながらの作であろう。曇天の諏訪湖の暗い景色も見えてくる。実景と歴史風土感の融けあった秀句である。


6

鑑賞日 2010/2/8
黄砂の八A病棟に来る牛乳売り
稲葉千尋 三重

 「八」がよく解らない。「黄砂の八」なのであろうと思えるが、とにかく解らない。どなたか教えて下されば有り難い。


7

鑑賞日 2010/2/9
わが友等長命にして梅雨鯰
今福和子 鹿児島

 「梅雨鯰」がとても可笑しい。調べてみると「梅雨鯰」というのも一つの季語であるらしい。この鑑賞をしていて知らない季語に出会えるのも楽しみの一つである。


8

鑑賞日 2010/2/9
海憶う手話の白さのよく撓う
岩佐光雄 岐阜

 「憶う」は[おもう]と読ませるのであろう。よく撓う手話の白さを見ながら海を憶っているのであろう。海の波のうねりやその白さが感じられるし、また手話そのものが時として帯びる宗教的とさえいえる深い感じというようなものもある。


9

鑑賞日 2010/2/9
方精の終りし河豚と目が合いぬ
上野昭子 山口

 自然界における阿吽の呼吸というようなものを感じるし、作者が女性であるということから、作者自身の性行為の一場面を切り取って書いたというような穿った連想も働く洒脱な句である。


10

鑑賞日 2010/2/10
片足で野に立つ少女夏のメモ
加古和子 東京

 印象的なスナップ写真のような「片足で野に立つ少女」が見えてくる。何故片足で立っているのだろうなどと詮索するような野暮なことは止めよう。そのままで少女の不思議性が感じられるし、映像の切れ味がある。「夏のメモ」が効いている。


11

鑑賞日 2010/2/10
梅の実煮る妹が泣く淑淑と
柏原喜久恵 熊本

 「淑淑と梅の実煮る」も日常詩であるし、「淑淑と妹が泣く」も日常詩である。この二つが合わさってとても厚い日常詩になっている。日常は詩でできている。

12

鑑賞日 2010/2/10
花ふぶき橋の真中を過去という
児玉悦子 神奈川

 時間感覚の不思議。「花ふぶき」も「橋の真中」もそれぞれ時間を感じさせる言葉であるが、「過去という」で更にその時間性が引き出された。時間の不思議はすなわち存在の不思議である。美しい花ふぶきの中で過去にタイムスリップしたような感覚がある。


13

鑑賞日 2010/2/11
涼しくて痒くてガッツポーズかな
佐々木昇一 秋田

 戯けの味。外しの味。非論理の味。そしてこれはつまり人間の味である。


14

鑑賞日 2010/2/11
会釈して御馬草か匂う信濃人
篠田悦子 埼玉

 〈御馬草〉は[みまくさ]とルビ

 「か匂う」と読むのだろう。「か細い」とか「か弱い」とかの「か」に近い感じであろう。この言葉の使い方も含めて、「会釈して」や「御馬草」や「信濃人」が響きあって、というか匂いあって、とてもいい雰囲気を作っている。


15

鑑賞日 2010/2/11
風を探しに車椅子の行列です
釈迦郡ひろみ 
宮崎

 現代の風物詩を感じる。聞くところによれば、作者は御自身が重症の筋無力症で長年闘病生活を送ってきた人であるらしい。私などにはそのような闘病生活がどのようなものなのかは軽々しく言えたものではないが、この句はそのような生活の中で見つけた一つの詩である。


16

鑑賞日 2010/2/12
いのち故照らし合うかな月青嶺
鈴木幸江 滋賀

 同じいのちの中に生きているから、あるいは同じいのちを共有しているから、月と青嶺は照らしあっているというのである。心の奥のほうで、然り然りと首肯けるような、安らぎの光景が見える。「月青嶺」が美しい。


17

鑑賞日 2010/2/12
心太ほとけの前に突き出しぬ
鈴木八駛郎 
北海道

 ほとけの前で、心太突きで寒天を突き出して心太を作った、というのである。私には通夜での一場面のような気がする。故人が心太を好きだった可能性がある。この「突き出しぬ」という一見ぶっきらぼうな言い方の裏に、故人を惜しむ気持ちが見え隠れするように感じるのである。


18

鑑賞日 2010/2/12
核実験ひびくぞこの青大将
瀬川泰之 長崎

 「この青大将」というのはどこかの国のとぐろをまいたような指導者然とした奴を揶揄して言った、というニュアンスがある。


19

鑑賞日 2010/2/13
むこうぎしもなのはななのはな雨男
芹沢愛子 東京

 雨降る中、向こう岸に菜の花が沢山咲いているような景色が見える。そして、作者は親しい人と一緒に居る。この「雨男」はその人への親しみの言葉でもある。句全体のリズムが幸せ感の中を歩いているような雰囲気を漂わせている。作者は最近御結婚なさったと聞く。


20

鑑賞日 2010/2/13
人間の子を玉と掴むや青葉木菟
高橋たねを 香川

 〈人間〉は[ひと]、〈玉〉は[ぎょく]とルビ

 子どもの頭などを親しみを込めて掴んだ時の実感だろう。少子高齢化などの社会的な背景もおそらく作者の頭の中にあったに違いない。青葉の季節に鳴く「青葉木菟」に抱く感情と触れ合うものがある。


21

鑑賞日 2010/2/13
辺とは耳澄ますこと信濃に夏
田口満代子 千葉

 〈辺〉は[ほとり]とルビ

 「辺とは耳澄ますこと」という繊細な感覚が魅力である。そして一般性のある感覚であるから、「信濃に夏」というあまり限定のない背景も、読む人ごとにイメージを膨らませうる可能性を秘める。


22

鑑賞日 2010/2/15
青梅はやや子のふぐりいっとき晴
武田美代 栃木

 鬱陶しい梅雨の晴間、ふと梅の木を見上げると、やや子のふぐりのような梅の実がなっている。しばらくの間、ほほ笑ましい気分を頂いた、というところだろうか。日常詩であり、季節詩であり、そして生活詩でもある。


23

鑑賞日 2010/2/15
蛍見て寝返りを打つ喪の一家
館岡誠二 秋田

 「蛍見て寝返りを打つ」に喪中にある一家の微妙な心理や疲れや状況が出ているのではないか。


24

鑑賞日 2010/2/15
波打ち際は初夏の鍵盤指を置く
月野ぽぽな 
アメリカ

 どちらかというと、海ではなく湖の感じがある。感性ある若い女性らしい譬えで、素敵な湖の音楽が聞えてきそうな感じがある。


25

鑑賞日 2010/2/17
皆既日食から日常へ黙契とは
董 振華 中国

 人間の意識の在り方において、常に東洋的なものと西洋的なものが対立しながら同居しているように思う。神秘的な態度と科学的な態度といってもいいし、黙契的な把握と言葉ではっきりと表現された把握といってもいい。とりわけ科学の発達した現代においては、人間はこの二つの意識の在り方をきっちりと認識して同居させるべきだと思われる。この句の深い余韻を味わいながら、そんなことを考えた。


26

鑑賞日 2010/2/17
無いはずの帰心植田に映りけり
中村孝史 宮城

 董振華さんの句の鑑賞の続きのようになるが、この句も東洋的な心と西洋的な心の狭間にいる作者ということを思う。「無いはず・・」は西洋的あるいは理性的に割り切った態度であるが、それでは割り切れないものが植田に映ってしまうのである。上手い句である。


27

鑑賞日 2010/2/17
福寿草両手の自由を散歩という
梨本洋子 長野

 福寿草の咲いている土手などを見ながら、快く散歩している作者の姿が見えてくる。考えてみれば、忙しい私達の日常においては、両手は常に何かをしている、何かに塞がれている。これは心理的なものも含めてそうである。その意味でも「両手の自由を散歩という」というのは一つの発見である。「福寿草」も相応しい。


28

鑑賞日 2010/2/18
湖に明神われに耳鳴りの五月
野田信章 熊本

 「湖に明神」がいて「われに耳鳴り」があるというのは、同等のことですよ、という把握であろう。明るい五月の中、湖の波の音と耳鳴りの音が重なる。


29

鑑賞日 2010/2/18
永久に山は離れず青葡萄
蓮田双川 茨城

 まず景色が見えてくる。山のふもとに葡萄園があるような景色である。そしてその土地に密着して生活している作者の姿。「永久に山は離れず」という気づき、そして「青葡萄」がすがすがしい。


30

鑑賞日 2010/2/18
うりずんや農に目覚めた漢居る
長谷川順子 埼玉

 「うりずん」という初夏という意味の方言が適切である。これが「初夏」では弱いだろう。


31

鑑賞日 2010/2/19
遠花火脳をきれいにして老いて
浜 芳女 群馬

 「脳をきれいにして・・」というような言い方が『海程』のすなわち兜太選の一つの特徴であろう。物で書く、あるいは肉体の言葉で書くということである。


32

鑑賞日 2010/2/19
鵜の舟や海鵜でありし頃の無邪気
平山圭子 岐阜

 鵜飼を見ている時の、あるいはこれから鵜飼を見ようとしている時の新鮮なはしゃいだ気持ちが伝わってくる。


33

鑑賞日 2010/2/19
老というキウイの断面甘美かな
廣島美恵子 兵庫

 よく熟したキウイを輪切りにした時の果汁のしたたりが感じられる。「老」ということを「キウイの断面」に譬え、しかも「甘美」だと言った。羨ましい限りの老境である。


34

鑑賞日 2010/2/20
奥羽山系ミサイルよぎる笹に花
藤盛和子 秋田

 「奥羽山系ミサイルよぎる」と「笹の花」の微妙な響き合い。笹の花が咲くのは何十年に一度とか。そしてその年は凶作になるなどといわれているそうだ。「奥羽山系」という大きな背景における「ミサイルよぎる」という人事に対して、「笹の花」という細やかに美しいものという対比もある。


35

鑑賞日 2010/2/20
まくなぎにただ囲まれて父はなし
松本勇二 愛媛

 「ただ」に実感がある。心情を的確に描写したとても打たれる句である。


36

鑑賞日 2010/2/20
流砂影なすこの家ブランコがあった
村上友子 東京

 時の流れの無常観というようなものが伝わってくる。そういうことをお仕着せの表現でなく、生な、現在的な、現代的な把握で書いている。「流砂影なす」という抽象と「この家ブランコがあった」という具体がいい。


37

鑑賞日 2010/2/21
木の椅子の白夜のごとく置かれけり
守谷茂泰 東京

 この「木の椅子」の存在感。守谷ワールドともいえる、この俳人独特の、夾雑物のない静かな詩的空間である。


38

鑑賞日 2010/2/21
茅花流し来るは越中雨晴
山本昌子 京都

 〈雨晴〉は[あまばらし]とルビ

 富山県高岡市に雨晴海岸というのがあるそうである。この地名の面白さ豊かさと茅花流しという季語の豊かさの融合である。自然の豊かさ、そしてそこで暮す人間の言葉の豊かさを感じる。


39

鑑賞日 2010/2/21
さりげなく雨を描く癖花卯木
横地かをる 愛知

 雨を描いているのは作者であろうか、他の人であろうか、最終的には花卯木が描いているという雰囲気であり、自然物すべてが関わりを持っているという観想のもとに、花卯木に雨がやさしく降っている風景が見えてくる。


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