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金子兜太選海程秀句鑑賞 453号(2009年6月号)

作者名のあいうえお順になっています。

1

鑑賞日 2009/12/24
ガラス一面ミモザの光線蜜のごと
伊藤 和 東京

 「ガラス一面ミモザの光線」だけでも美しいが、「蜜のごと」でその美しさに作家の内面の味が加わりマチエールが完成した。


2

鑑賞日 2009/12/24
ひとりのときは鶴来る気配今年米
伊藤淳子 東京

 前の句と同じような言い方になる。「ひとりのときは鶴来る気配」だけでも一つの心理状態、あるいはいい時間を感じるが、「今年米」で日常との繋がりが出来て、句がリアリティーを持ち、厚みを増したのではなかろうか。


3

鑑賞日 2009/12/24
近寄るや他人行儀な芋の露
植村金次郎 三重

 とことなく滑稽感の漂う句である。人間の味というかそんなものであり、私自身のどこかが笑いを帯びてくる。


4

鑑賞日 2009/12/25
冬ざれの捨て舟に乗る忙中閑
大口元通 愛知

 内容も心情もとてもよく解る句である。そして、その辺りの情景も見えてくる。


5

鑑賞日 2009/12/25
恋猫は弾丸のごとくに追はれけり
大西昭治 広島

 〈弾丸〉は[たま]とルビ

 恋猫が追われて弾丸のように走って逃げたということではないだろうか。そういうふうに走る猫を見ることがある。また、弾丸というと戦争を連想するが、恋と戦争という相容れないものの対比ということも匂う。


6

鑑賞日 2009/12/25
流鏑馬の高ぶりほぐす春の川
岡田百代 埼玉

 流鏑馬の盛んに行われていた時代にタイムスリップしたような感覚になる。実際に武者達やその馬が春の川で身体を洗っているような光景が目に浮かぶ。


7

鑑賞日 2009/12/26
鹿ぴうと鳴くから深く眠れない
奥山和子 三重

 晩秋の夜などはあれこれ物思いに沈んだりしてなかなか眠れない。さらに物悲しい声で鹿の長鳴きを聞いていたら、当然深く眠ることは無理だろう。鹿の雄は雌を求めて晩秋に長鳴きをするという。女性である作者の本能がその辺りの微妙な反応をしていると取れないこともないが、それは言わない方が奥ゆかしい。


8

鑑賞日 2009/12/26
母となれぬ切干大根飴色に
加藤青女 埼玉

 「母となれぬ」という事実を受け入れ歳を重ねてきた女性の成熟した姿が「切干大根飴色に」に表現されているように思うのであるが。


9

鑑賞日 2009/12/26
吾に尾の在らばさしづめ曲り葱
川村三千夫 秋田

 「吾に尾の在らばさしづめ」と来て、当然何か動物を予想するが、「曲り葱」と以外性の落ちである。それも単なる葱でなく曲り葱であるという二重の落ちである。面白い譬えを見つけて徹底的に自分を卑下するということには諧謔がある。


10

鑑賞日 2009/12/27
山笑う駄菓子えらびの中にいる
北村歌子 埼玉

 「山笑う」と「駄菓子えらびの中にいる」がよく響いているなあと思う。親しみと好感の持てる日常であり、それが山笑うという雰囲気にとてもあっているのかもしれない。


11

鑑賞日 2009/12/27
越前勝山左義長雪なく不思議かな
木下久子 福井

 「越前勝山・・」という出だしが成功している。歴史的な土地柄での伝統的な行事、その中で現代の問題である温暖化というものを匂わせて上手い。


12

鑑賞日 2009/12/27
濤の花かぶり佇ちてし冬若かりし
小林一枝 東京

 波打ち際に佇って過去の青春時代を回想している。懸命に生きた、夢中になって心を燃やした青春時代を持つことは幸せである。その瞬間は生涯の宝となるはずであるからであり、また現在を生きる力の源ともなるであろう。


13

鑑賞日 2009/12/28
夜咄に弟祖母を出し入れす
小柳慶三郎 群馬

 弟が祖母の思い出や話題を出したり引っ込めたりするというのであるが、その思い出というものが、如何にも抽き出しにしまってある物のように扱われていることが面白い。この弟さんにとって、祖母というものが大切なものだったということが解るような気がする。


14

鑑賞日 2009/12/28
白樺は小鬼見終り眠るかな
斉木ギニ 千葉

 童心の幻想。あるいは、年寄りの昔語りの雰囲気。あるいは、北欧の童話にでもありそうな一場面。


15

鑑賞日 2009/12/28
水枕芽が出る音に目が覚めた
斎藤一湖 福井

 熱が出て水枕をして寝ていた。夢の中で水枕の微かな水の音を芽がでる音と聞いたのかもしれない。どことなく病状の回復の萌しを感じる。


16

鑑賞日 2009/12/29
びょうと洟むティッシュペーパー百合鴎
篠田悦子 埼玉

 「びょう」というオノマトペに新鮮な驚きがあると同時に、「百合鴎」との配合に厚みのある日常感を感じた。ティッシュペーパーで鼻をかむことを契機にして、これだけ濃い日常感を描けるというのは素晴らしい。


17

鑑賞日 2009/12/29
余命あかりに追羽根の滞空空間
清水喜美子 茨城

 篠田さんの句と同様にこの句もとても味のある日常感覚である。自分の余命の時間を「追羽根の滞空時間」と比喩も適切だし、「余命あかり」と感受できる在り方も素敵である。


18

鑑賞日 2009/12/29
雪晴をまぶたは見んと抗えり
鈴木修一 秋田

 まぶた自体がぴくぴくと動く一つの生きもののようだ。こういう感覚がどういう状況で起るのかは解らない。一読して、もしかしたら光が微かにしか見えない盲目の人の感覚かもしれないと思ってしまったが、解らない。


19

鑑賞日 2009/12/30
水餅の弱りや水の淋しさに
高木一恵 千葉

 正月の晴れやかな気分がだんだん薄れて日常に戻っていくときの淋しいような気の張りが無くなっていくような心理であろうか。ちなみに「水餅」とは餅にカビが生えないように水に漬けておく餅のことである。


20

鑑賞日 2009/12/30
葱刻むいくさ絶えざる地球昏る
高橋明江 埼玉

 「葱刻む」という日常生活の中で「いくさ絶えざる地球」ということを思っているという、女性の大地感覚というものが好ましくも頼もしくもある。


21

鑑賞日 2009/12/30
突風にすだれの悲鳴の難民の
竹内絵視 千葉

 どこで切って読むのか解らないようなあいまいな畳み掛けるような言い方であるが、逆にこの割り切れない言い方に難民問題の割り切れなさの切なさが感じられて胸にせつせつと響いてくる。こういう問題は心の中で割り切って片付けてしまってはいけないことである気がする。


22

鑑賞日 2009/12/31
呪うほど雪美しく降っている
竪阿彌放心 秋田

 読者によって様々に受け取れる幅のある良い句ではないだろうか。  たとえば雪の降る中で恋人を待っている。恋人は来ない。雪は美しく降っている。恋人は来るだろうか。雪は呪うほどに美しく降っている。
 あるいはまた、ここは豪雪地帯である。沢山の雪が降れば、その生活に重くのしかかってくる。呪わしいかぎりである。しかしやはり雪の降る姿は美しい。
 また、雪が美しく降っている。単に美しく降っているというだけではその美しさを表現しきれない。まことにその美しさは呪うほどだ。
 とさまざまである。


23

鑑賞日 2009/12/31
紅梅にどこかはぐれてゐる透明
田中亜美 神奈川

 微妙な心理だなあ。透明感のともなう漂泊感とでも言ったらいいだろうか。現代人がその日常にふと感じる微妙な美しい心理を垣間見るような感じである。


24

鑑賞日 2009/12/31
流れたり停まったり春の酔
董 振華 中国

 この「春の酔」は酒を飲んだときの気分であるというよりも、春そのものの感じなのではなかろうか。この句、春の季節感そのものを見事に表現している感じがするのである。


25

鑑賞日 2010/1/1
冷まじや小顔長脛崇められ
中島偉夫 宮崎

 諧謔の味といったらいいだろうか、ちょっと肩をすくめているような怪訝そうな面持ちであろうか。


26

鑑賞日 2010/1/1
どんど焼はたと論客逝きしかな
永田タヱ子 宮崎

 例年のごとくどんど焼をしているが、そこには何時も居た論客がいない、人間というものははたとして逝ってしまうものだなあ、という感じであろうか。この「論客」というのが、特定の個人を指しているというふうでもあるし、真摯な論が無くなってしまって軽佻浮薄な世相になってきたしまったという意味も含ませているような気もする。


27

鑑賞日 2010/1/1
冬青空闇を思うて何になる
中村孝史 宮城

 冬の青空である現在、闇のことを思って何になるだろう。闇がやってきた時には闇とともに在ればいいのであって、闇でない時に闇のことを思い煩うことはない。現在を十全に生きること、それが一つのコツであることは間違いない。


28

鑑賞日 2010/1/2
蠍座は尾を磨くらむ冬籠
野崎憲子 香川

 一年を通しての星座の位置関係をあまり知らないが、こういう表現が出てくるというのは、かなり星座に親しんでいる作者なのであろうことが想像される。「冬籠」という地上の事象と「蠍座は尾を磨くらむ」という宇宙的あるいは神話的な事象の組みあわせの想念が雄大である。


29

鑑賞日 2010/1/2
雪の日暮錆のよう海のようにかな
長谷川育子 新潟

 新潟平野の冬の風土感を感じる。私は信州の山の中に住んでいるので、「錆のよう」な雪の日暮という感じはあるが、おそらく「海のよう」という感覚はない。比較的に広い平野の雪国の感覚なのではないかと感じられるのである。


30

鑑賞日 2010/1/2
湯豆腐やリストラの夜を一万歩
林 壮俊 東京

 リストラの夜に一万歩歩いた時の感じが、肉体的なものも心理的なものも含めて「湯豆腐」のあの崩れやすい柔らかさや熱さに共振する。


31

鑑賞日 2010/1/3
祖母がいた日向に同じ唄きかせる
平井久美子 福井

 唄をきかせているのは孫であろうか。祖母・私・孫という三代の時を越えた人物が同じ日向の中で影絵のように交錯する。時の永遠性を感じる句である。


32

鑑賞日 2010/1/3
玄冬の手斧の影は旅路だな
福原 實 神奈川

 〈手斧〉は[ちょうな]とルビ

 地についた生活者の視点を感じる。そして「旅路」という言葉に現象としての生活だけに振り回されない生きる視点というものも感じる。透徹した深い眼差しの雰囲気のある句である。


33

鑑賞日 2010/1/3
急流は闇をいざなふ二月ゆく
松本文子 栃木

 具体的には川の急流を見ている時の感じであると受け取れるが、自分自身の生の流れや、社会の流れというものも連想される抽象性の高い幅のある句である。「二月ゆく」が「二月を自分がゆく」とも取れるし、「二月が逝く」とも取れる二重性もあり、寒い季節を歩いている作者の姿や温かい春の訪れを予感させる光もちらちら見えてきそうな雰囲気もある。


34

鑑賞日 2010/1/4
口移しで余寒をもらうあはれさよ
三井絹枝 東京

 微妙なエロスというか、野に生えている一本のなよなよとした柔らかい草がその体で自然のエロスを感じているような感じである。


35

鑑賞日 2010/1/4
口笛は誰を呼ぶ土雛売られゆく
宮坂秀子 長野

 風土感のある抒情といったらいいだろうか。甘酸っぱい思慕というような青春性もあり、みずみずしく保たれている作者の内面を感じる。


36

鑑賞日 2010/1/4
はらからやひよこひしめく箱運ぶ
武藤征二 秋田

 この「はらから」はひよこ達のことを指しているように感じる。可愛らしくまた温かい体温を持ったはらからであるひよこ達が箱に入れられて運ばれてゆく。どことなく社会性を帯びている感じもある。


37

鑑賞日 2010/1/5
雪女ことばのわかる馬といて
安井昌子 東京

 アニミズムの世界。「雪女」も「ことばのわかる馬」もここではみんなアニミズムの仲間として捉えられているという感じである。


38

鑑賞日 2010/1/5
病苦より解かれし骨や冬深し
山田哲夫 愛知

 「病苦より解かれし骨」というのが実感がある。その実感を「冬深し」が真実のものとして支えさらに深めている。


39

鑑賞日 2010/1/5
そのむかうに贔屓の梅が隠れてゐる
若林卓宣 三重

 何ともほほえましい心情である。作者の梅の親密な関係がある。「贔屓の梅」という言い方が心憎いし、「そのむかうに・・隠れている」という言い方もまるでこの梅がはにかみを持った乙女でもあるような雰囲気を醸し出している。



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