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金子兜太選海程秀句鑑賞 451号(2009年4月号)

作者名のあいうえお順になっています。

1

鑑賞日 2009/6/20
冬林檎僕ら断片的に原色
油本麻容子 石川

 「僕ら」というのが、林檎も僕も含めてあらゆるものという感じを受ける。そのあらゆるものの総体は、ところどころ原色であったり中間色であったり、または無色であったりするという気付き。世界を色という現象で捉えている。あるいは、「原色」というのが何か純なものを象徴させていると見ることもできそうだ。この冬林檎の純な赤い原色のように、僕らも断片的には純である、ということ。


2

鑑賞日 2009/6/21
色鳥や父らのオール直立す
阿保恭子 東京

 「父らのオール直立す」はボートレースの一場面であろうか。これと「色鳥」の二物配合である。かなり離れた配合であるようにも見え、思いがけない配合であるが、その気分においてかなりよく解る。


3

鑑賞日 2009/6/22
野菊この空気荒れいて旅の漂い
伊藤淳子 東京

 野菊が咲いている。その場の空気が荒れている感じがする。そして自分は漂泊感のようなものを感じている。字面を追えばそういうことである。「この空気荒れいて」には他者の存在、あるいは人間社会というようなものを私は感じるのであるが、そうだとすれば、野菊そのものが「旅の漂い」の雰囲気を出しているとも取れる。すなわち、自然と人間の隔絶感である。


4

鑑賞日 2009/6/23
実柘榴と法然上人赤ら顔
稲葉千尋 三重

 この「法然上人赤ら顔」というのは法然上人の像を見ての印象なのではないか。そしてその法然上人像がある寺の傍の柘榴の木に実がなっているというような場面なのではないだろうか。この法然さんと実柘榴が話をしているようなほほ笑ましい交感が感じられる。


5

鑑賞日 2009/6/23
湾奥や酢甕のさわぐ鉦叩
今福和子 鹿児島

 「酢甕」というのは個人の家で作っている酢の甕であろうか。あるいは酢の醸造業者が作っている酢の甕であろうか。そして醸造の過程で「さわぐ」と表現できるような現象があるのだろうか。湾奥といえるような場所にある酢甕がさわいでいる、これは事実であっても心理的なものでもかまわない。実際に酢を作っている者にとっては想像でさわいでいるように感じることもあるだろう。それは鉦叩の鳴く声のようなものなのかもしれないし、鉦叩の鳴く声が聞えていて、それを酢甕がさわいでいるようだと感じたのかもしれない。とにかくこの「湾奥」という言葉が生命の神秘感を漂わせる因となっている。


6

鑑賞日 2009/6/24
摩文仁に招ばれ星の隙間にわたしの席
植田郁一 東京

 〈招〉は[よ]とルビ

 摩文仁とは・・沖縄県糸満(いとまん)市の地名。沖縄島南端部にある。第二次大戦の沖縄戦の激戦地。沖縄戦跡国定公園となり、戦没者の慰霊碑が多い。・・と大辞林にある。摩文仁で行われた慰霊祭のようなものに行ったということであろう。「招ばれ」というのは、その祭の実行委員会から招待されたというようなことではなく、何かしら自分の中の或るものが落ち着かなくなり、行かずにはいられないような状態になって、出かけて行った、というようなことではないだろうか。言い換えれば、摩文仁の霊が自分を招んだというようなことである気がする。そうしたら「星の隙間にわたしの席」があったというのである。魂の平安への一つの道程という気がする。


7

鑑賞日 2009/6/25
大根擂るじゅわっと阿耨達池かな
大上恒子 神奈川

 〈阿耨達池〉は[あのくだっち]とルビ

 大辞林によると「阿耨達池」とは・・・〔梵 Anavatapta 清涼無熱と訳す〕ヒマラヤ(雪山)の北にあるとされる想像上の池。金銀などの四宝を岸とし、中には竜王がすみ、その四方からガンジス川など、四つの川が流れ出て世界をうるおすという。阿那婆達多(あなばたつた)。無熱悩池。・・・とある。「じゅわっと阿耨達池」と戯けた。また大根おろしのあの旨そうな、そうじゅわっと清涼な、そして辛そうな感じが伝わってくる。じゅわっとあのくだっち、という語感もいい。


8

鑑賞日 2009/6/26
天上に雪蕾みをり開きをり
岡崎正宏 埼玉

 イマジネーションの飛躍。美しいイマジネーションである。お釈迦様の足下で開く蓮の花が実は地上の雪になる、というような物語。


9

鑑賞日 2009/6/26
花の名まちがえ百歳老女にしかられる
小木ひろ子 東京

 やはり心楽しい。百歳老女にならしかられたって殴られたっていいという感じはどこからやってくるのか。花の名まちがえ百歳老女にしかられる、この百歳老女が花そのもののようではないか。


10

鑑賞日 2009/6/27
突進の子の光の輪黄鶺鴒
小沢説子 神奈川

 何かに向って突進してゆく子を眺めて、その子にというか、その子の周りに光の輪を感じている。かわいらしくまた明るい黄鶺鴒の感じがその子にたとえられている気がする。


11

鑑賞日 2009/6/28
奥出羽やとくと寒がる妻ひとり
柏倉ただを 山形

 奥出羽の風土感と、「とくと寒がる」という語調の面白さであろう。


12

鑑賞日 2009/6/28
夜の焚火落下を耐える者たちの
片岡秀樹 千葉

 どうしても現在起っている失業問題や、それにともなう金無し宿無しの問題を思ってしまう。一方では飽食やグルメにうつつをぬかす人々、他方では明日の命をやしなう手立てを失った人々。この格差社会。勝ち組負け組という言葉。しんしんと身につまされる一句であるが、この夜の焚火の僅かながらの暖かさに希望を見たい。


13

鑑賞日 2009/7/1
今落ちる秋から冬への夕日かな
川崎益太郎 廣島

 丁寧に書き取っているこの書き方に魅力があり、既成の熟語に頼りがちな私には新鮮であり、また見習いたいとも思う。


14

鑑賞日 2009/7/2
自己愛か蓑虫宙にぶら下がる
草野明子 埼玉

 大地とは無関係に自分の殻に閉じこもり宙ぶらりんの状態であるような人物が確かにいる。昔風にいえば、地下室の男であり、今風にいえば引き籠もりとでもいうのだろうか。しかし、それだって蓑虫さんの状態のようなものだと取れば、そんなに否定するほどのことでもないのかも。


15

鑑賞日 2009/7/3
縄跳びや初日さっさっと輪切りにし
黒田幸江 埼玉

 見える情景は言うまでもない。気持ちのいい初日。そして軽快な縄跳び。


16

鑑賞日 2009/7/4
ヴェネツィアの毛布にくるむ眠りかな
小長井和子 
神奈川

 ヴェネツィア産の毛布にくるまって眠ったのか、あるいは、ヴェネツィアで毛布(もちろん当地のものだろう)にくるまって眠ったのか。後者の方が旅愁があっていい。「くるまる眠り」ではなく「くるむ眠り」としたのも、よりヴェネツィアの風土感が出てくる。この「くるむ」がこの句の上手さだろう。


17

鑑賞日 2009/7/6
冷まじや鏡に溶けし猫背なり
小原恵子 埼玉

 「溶けし」が眼目であろう。具体的には、見慣れてしまっていて違和感がない、というようなことであろうか。それをあらためて認識して愕然としているのかもしれない。しかしそういう散文的な具体性はともかくとして、全体に冷まじさが感覚的に伝わってくる。


18

鑑賞日 2009/7/7
木葉木菟散骨は見ないことにする
小堀 葵 群馬

 〈木葉木菟〉は[このはずく]とルビ

 木葉木菟は声の仏法僧と呼ばれる鳥で「ブッポウソウ」と鳴くらしい。「見ることにする」では付きすぎとなるので「見ないことにする」がいい。また仏教のさっぱり感も出てくる。


19

鑑賞日 2009/7/8
寒月光辿り着くまで影法師
佐藤紀生子 栃木

 冬の夜、月が煌々と照る道を歩いている。月光による自分の影法師が出来ている。その影法師を見ながら歩いている。具体的にはそのような情景であるが、メタファーとして暗示される世界はまた味わい深いものがある。


20

鑑賞日 2009/7/9
置き去りの人の巣があり北風が吹く
塩谷美津子 福井

 「置き去りの人の巣」というのは廃屋のようなものだろう。「人の巣」とみなしたところがみそ。これは人間以外の生きものの目線のようにも思え、そうみると、人間の生態を俯瞰している気分になる。これは一つの楽しい気分であり、北風さえもそれ程淋しいものではない。この句は人間の目線で見る見方と、今言った見方も出来る、二重性がある。


21

鑑賞日 2009/7/10
よく遊べば谷にきらきら鮎落ちる
篠田悦子 埼玉

 いいなあ。文句なしにそう思える世界である。私達は遊ぶために生まれてきた。いや、何もかもが遊びと捉えることだって出来るのだ。そういう認識を持てるときには何もかもがきらきらと見える。この鮎はその一つの姿であり、そういうことの象徴である。


22

鑑賞日 2009/7/10
冬日だまり鉄に貼りつくかたつむり
杉崎ちから 愛知

 およそ似付かわしくないものがくっつきあっていることによって、その質感が強調されて感じられる。冬の日だまりであるから、かたつむりにとっては案外心地よい温かさなのかもしれないし、かたつむりとしては鉄の質感を確かめている風情もある。全体に、思いがけないものどうしがくっつくことによって生じる覚醒感のようなもの。


23

鑑賞日 2009/7/11
霾りて狭まる吾が瞳脅かす
高橋総子 埼玉

 「狭まる吾が瞳」というのは、何かの病気であろうか。歳をとってくるといろいろな眼の病気が起る。私なども最近は白内障でかなり鬱陶しくて、視野も狭まっているような感じがある。視野狭窄などの症状のある眼病なら尚更であろう。加齢につれて眼というものは大事にいたわりたいという気持ちが起る。そういう気持ちの時に霾ふれば、脅かされた感じがするのは当然であろう。


24

鑑賞日 2009/7/11
鶴わたる眠たさの我はうすずみ
田口満代子 千葉

 大きい把握の句である。大きいからこの「我」というのが大地そのものであるような気さえする。夜明け前のまだ大地も草木も浅い眠りの中にありうすずみ色である時、大空には鶴が渡ってゆく。そんな大景が見えるのである。


25

鑑賞日 2009/7/12
眼鏡はずして煤逃げの犬とゐる
武田美代 栃木

 日常の一コマ。その一つの状況の面白さであり、日常の厚みであり、日常って何だという問いにも繋がる。


26

鑑賞日 2009/7/12
父母の焚火は居眠りみたいです
峠谷清広 埼玉

 これも日常の一コマの描写であるが、一つの普遍的な老夫婦像が描かれている気がする。


27

鑑賞日 2009/7/13
少年来て「ん」のように眠る
中田里美 東京

 「ん」の形に眠る、としないで、「ん」のように眠る、としたのが細かいことだが、句の雰囲気を作っている。「ん」に心理的なものまで感じさせるからである。


28

鑑賞日 2009/7/13
冬銀河つばさ持つ魚届きけり
長谷川育子 新潟

 飛魚のことなのであろうか。そうだとしても、「つばさ持つ魚」といかにも初めて出会うもののように表現したのが、句を生き生きさせている。「冬銀河」も含めて、神話性さえ帯びている。


29

鑑賞日 2009/7/14
冬桜老いし馬の目水映す
日高 玲 東京

 一つの景として美しいし、また‘老い’あるいは老境ということの一つの美しい典型がある。


30

鑑賞日 2009/7/15
安曇野のこども病院白鳥来
平山圭子 岐阜

 連なる言葉の意味から、ひとつの祝福された感じを受ける。「安曇野」という地名もそれに一役かっている。


31

鑑賞日 2009/7/15
やはらかき叙情馬の背しぐれをる
福原 實 神奈川

 何もいうことがないほど雰囲気がある。


32

鑑賞日 2009/7/16
米を磨ぐ男は海に泳ぐかな
藤井清久 東京

 事実としても面白いし、米を磨いでいるときのイメージとしても面白い。


33

鑑賞日 2009/7/16
叔父二人いくさに奪らる冬の蝶
松本文子 栃木

 「冬の蝶」がいい。「叔父二人いくさに奪らる」という事実を思いながら、冬の蝶をじっと見ている感じ。冬の蝶が作者の自画像である気もしてくる。


34

鑑賞日 2009/7/17
風花の舞う長崎に婚約す
宮里 晄 沖縄

 「長崎に」の「に」が微妙に面白い。長崎で誰かと婚約したという事実が考えられるが、飛躍すれば、長崎に対して婚約を誓った、ということも考えられる。そういう連想が浮かぶのは、やはり長崎という地が原爆投下の地であるからである。風花の舞う長崎において、自分はあるいは自分達は、君のことを忘れない、という決意である。


35

鑑賞日 2009/7/18
落鮎に響きやすしよ小石たち
茂里美絵 埼玉

 清流の響きが聞えてくるような臨場感がある。そしてまた、‘生きている自然’ということを感じる。中七および「たち」の故だろう。アニミズム。


36

鑑賞日 2009/7/19
空の晩夏ガラスや虹の微音かな
山本 勲 北海道

 非常に美しい空の晩夏の造形である。こういう絵画を見ているようであり、その絵画からはまた微かに音楽が聞えてくる。


37

鑑賞日 2009/7/19
無月かな幕引きのよう義歯鳴らす
山本キミ子 富山

 名月を堪能しようと思って待っていたが、あいにく天気が悪くて月が出てこない。しばらく待ったが、今日は無月だとあきらめ、幕引きのように義歯を鳴らして終りにした。風雅と滑稽の絶妙のバランス。


38

鑑賞日 2009/7/20
冬の蝶集合写真の中にいる
横地かをる 愛知

 集団の中の孤独というものが底意としてあるだろう。


39

鑑賞日 2009/7/20
股引の二枚重ねや徘徊す
佳 夕能  富山

 まず滑稽である。そして後からどこか哀しい。



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