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金子兜太選海程秀句鑑賞 446号(2008年10月号)

作者名のあいうえお順になっています。

1

鑑賞日 2009/1/15
青葉闇無我とは山の巌かな
有村王志 大分

 石や巌に無我を感じるというのはよく解る。「青葉闇」を持ってくることによって自問自答している感じが出ているのではないだろうか。


2

鑑賞日 2009/1/16
熊野山中胸にゆっくり逃水
伊藤淳子 東京

 山中で逃水を見ることはないように思えるし、「胸にゆっくり逃水」であるから、外側の現象として逃水を見たというのではなくて、心理的に逃水のような感覚を胸のあたりに感じたというのであろうか。水のように光っていて、近づくと逃げていってしまうような性質のある感覚を、熊野山中で感じた、とすれば、それは一種の非日常的なあるいは宗教的な恍惚の感じということかもしれない。


3

鑑賞日 2009/1/17
鮮やかや耳朶掠む熊ん蜂
稲葉千尋 三重

 田舎暮らしをしていると、顔のすぐ近くを熊ん蜂その他の蜂が掠めてゆくことはよくある。そして何というか野生の鮮やかさというようなものを感じる。この句では、掠めたのが、いかにも無防備でやわらかそうな耳朶であるのが、より効果的であったような気がする。


4

鑑賞日 2009/1/17
祖へ帰る崩落の山も残雪も
植田郁一 東京

 「祖へ帰る」とは、様々な現象、様々な創造と破壊、あらゆる物事は結局その大元に還ってゆくしかないのだという感慨であろうか。「祖」を用意したところが、単なる無常観ではない安らぎの感じがある。


5

鑑賞日 2009/1/18
赤ん坊とたんぽぽ時間たんぽぽ語
宇川啓子 福島

 童心、もっといえば、いのちそのものの次元。赤ん坊もたんぽぽもわたしも、その差違が無い存在の相のところを上手く書いている。


6

鑑賞日 2009/1/18
地上にて飛行士のごと夏に会ふ
岡崎正宏 埼玉

 地上にて飛行士のごと/夏に会ふ、と切って読むと私には解りやすい。それにしても、地上で飛行士のごとくある自分、というのは自分の在り方の痛快な捉え方である。旅人というのも素敵であるがやはり使い古されている。飛行士というのはスピード感もあり男性的でもあり知的な感じもあり現代的である。そういう自分が「夏」そのものに出会ったというのである。


7

鑑賞日 2009/1/19
祭笛活断層の上にかな
岡崎万寿 東京

 そういう危ういものだということ。しかし、危ういものだからこそまた祭笛の美というものもある。


8

鑑賞日 2009/1/19
母の日や兵士の母は百五歳
緒方 輝 東京

 命を産み育てる母。命を殺し合う戦争。そういうことへの感慨が匂う。


9

鑑賞日 2009/1/20
やませ吹く日の散髪は怖ろしい
加川憲一 北海道

 庭に椅子を持ちだして散髪をしてもらっているが、こうやませが吹いたんでは髪の毛は吹かれるし、目にはごみが入るし、道具さえも吹き飛ぶし、もう散髪なんかやるんじゃなかった、まったくやませ吹く日の散髪は怖ろしい、というようなことだろうか。


10

鑑賞日 2009/1/21
世が世なら剣の使い手とうすみ蜻蛉
加地英子 愛媛

 とうすみ蜻蛉を眺めていて、剣の使い手という連想が働く何かを感じたのであろうか。雑念なく一心に集中してゆく剣の達人の在り方というようなものを想像すると、解る気がする。


11

鑑賞日 2009/1/21
春鴉五体投地の童顔
川口裕敏 東京

 「五体投地の童顔」というのは良く解る。五体投地というようなものは童心あるいは無垢な気持ちを取り戻すために行うものだからである。「春鴉」のどこかさっぱりしたような、きょとんとしたような趣やその眼、そして若々しい感じが、この童顔ということに通じる。


12

鑑賞日 2009/1/22
逃散のごと蕨山越え行けり
川村三千夫 秋田

 ある人数の人達が競うように蕨を取りながら蕨山を越えてゆくそのスピード感というようなものを感じる。


13

鑑賞日 2009/1/23
大利根は雷の通い路歌とも
酒井郁郎 埼玉

 歌〉は[かがい]とルビ

 歌とは歌垣のこと。利根川の辺りで雷がゴロゴロバリバリ鳴っている。まるで雷の通い路のようである。そしてその華やぎはそこで歌垣が行われているような感じがする、というのであろう。歌垣というのは古代に行われた風習であるから、作者は大利根の雷を聞いているうちに、ふっと古代にタイムスリップした感じになったのかもしれない。


14

鑑賞日 2009/1/24
走り梅雨寝返り幾ど鯉の重さ
篠田悦子 埼玉

 焦りのようなもどかしいような心理的な状況が上手く描かれているような気がするのである。「鯉の重さ」という表現に実感があるし、季語も適切に嵌まっている。


15

鑑賞日 2009/1/24
海市潜水艦は夢うつつ
白井重之 富山

 〈海市〉は[かいやぐら]とルビ

 蜃気楼のたつ海に潜水艦が夢かうつつのように浮いているという、のどかにも見える風景であるが、戦争の無意味性を指摘しているように私は思う。


16

鑑賞日 2009/1/25
曼荼羅の緑雨薄明われは一粒
末岡 睦 北海道

 気持ちのよい緑雨。自然に宇宙に溶け込んでゆく感じだろうか。


17

鑑賞日 2009/1/25
ほととぎす消息通はよく食べる
高山紀子 秋田

 消息通が喋りながらむしゃむしゃとよく食べている姿が目に浮かぶ。そしてそういう姿やあり方が時鳥の鳴き方に通じるものがある。


18

鑑賞日 2009/1/26
母きつと睡蓮の花に一泊
田口満代子 千葉

 亡くなられた御母堂のことであろうか。一つの美しい物語である。そして物語には人を癒す力が存在することがある。


19

鑑賞日 2009/1/26
卯の花腐しぬるき火傷のやうな唇
田中亜美 神奈川

 外は卯の花腐しが降り続いている。私の唇はぬるき火傷のようだ。恋のもどかしさあるいは気だるさのようなものが書かれているのではないか。この肉体的心理感、あるいは心理的肉体感が卯の花腐しの感じと響きあう。


20

鑑賞日 2009/1/27
田水張るしーんと静かな誇りです
津谷ゆきえ 岐阜

 この実感がよく解る。「しーんと静かな誇り」、実際に田水を張った経験からの言葉であろう。自分も誇らしいし、張られた田水のほうも誇らしい感じである。自然と仕事と自己の一体感がある。好きな句である。


21

鑑賞日 2009/1/28
冬海鵜棟方志功のめがね
徳才子青良 青森

 「棟方志功のめがね」と「冬海鵜」の配合である。どのような発想でこのような配合が出てきたのかは解らないが、棟方志功が冬海鵜をじっと眺めているような映像が浮かんでくる。「棟方志功のめがね」ということで棟方志功が視覚的に捉えられている。


22

鑑賞日 2009/1/28
泰山木重機関銃朽ちて土
徳永義子 宮崎

 自然は残り、そして小賢しい人間の作ったものもまた自然に戻るということである。重厚な感じの絵柄である。


23

鑑賞日 2009/1/29
邂逅は高野閃光つばくらめ
永田タエ子 宮崎

 「高野閃光つばくらめ」といえるような邂逅があったのであろう。場所は高野山だったのか。閃光のように思いがけなくも印象的なものだったのか。つばくらめが空中ですれ違うように一瞬のことだったのか。とにかくこの「高野閃光つばくらめ」という言い方に切れ味がある。


24

鑑賞日 2009/1/29
荒ぶること少しさすらう水の蛍
中村加津彦 長野

 ゲンジボタルだとかヘイケボタルという蛍の種類からの連想も手伝って、この句の蛍はさ迷える武士の魂のような印象がある。作家自身の境涯感の一部なのかもしれない。


25

鑑賞日 2009/1/30
齢来て妻の昼寝をいたわりぬ
中村孝史 宮城

 何年も齢を共に重ねてくると、妻というものは既に自分の分身のようなもの。妻をいたわるということは自分をいたわるということ。そういう雰囲気である。


26

鑑賞日 2009/1/30
万緑や馬の背中のアルルカン
新田幸子 滋賀

 アルルカンとは道化師のことであるらしい。菱形の模様のついた服を着て、ピカソの絵などによく登場するあれである。道化師というものはどこかしら郷愁というか哀愁というか、人間存在の哀しくも可笑しいところのものが有る。西洋の道化師というと、異国への憧れの郷愁というようなものもある。そういうアルルカンと万緑という盤石の自然観の対比が面白い。この二つを繋げる小道具としての馬も効いている。


27

鑑賞日 2009/1/31
蝶になるため強烈にひきこもる
野崎憲子 香川

 蝶は羽化するまえにサナギとしてひきこもる。このような現象はあらゆるものに適用できる一般性のある法則かもしれないと思った。花は花開く前に固い固い蕾としてひきこもる。動物も生れる前に子宮の中にひきこもる。社会現象としてのひきこもり、あるいは個人レベルでの心理的なひきこもりもこういう解釈をすれば何の問題もない。


28

鑑賞日 2009/1/31
瀕死の鷲抱き獣医たらんか苔の花
野間口千賀 
鹿児島

 獣医であろうとしている近しい人への眼差しを感じる。あるいは近しい人ではないかもしれないが、そういう地道で愛深い働きへの共感であろう。苔のむすまで、といわれるように、苔の花は長い持続的な働きの結実の象徴のような気がする。


29

鑑賞日 2009/2/2
青田抜け来て度忘れのような街
丹生千賀 秋田

 青田における天然の青の実体感のようなものと、人工物としての街の非実体感のようなもの。


30

鑑賞日 2009/2/2
苦味走ったひらたきものに蟇
平塚幸子 神奈川

 苦味走ったひらたきものに蟇というものがある、という文意。蟇は苦味走ってひらたい、という感覚が面白い。


31

鑑賞日 2009/2/3
夕暮れの屋根に男としやぼん玉
水野真由美 群馬

 映像が詩的である。


32

鑑賞日 2009/2/4
桐咲けり日常たまにロングシュート
宮崎斗士 東京

 ずいぶん坦々とした透明感のある日常だなあ。つぶやくように詩を書いている感じがする。


33

鑑賞日 2009/2/5
花冷えの君等ブラックチョコレート
室田洋子 群馬

 私にはどうもあの、ガングロの少女達が思い浮かぶのであるが、彼女らは現在もいるのだろうか。「花冷え」という古風な言葉と「ブラックチョコレート」に象徴される君等の姿の対比が新鮮。


34

鑑賞日 2009/2/6
ほうたるも蛇の眼も地震のなか
柳生正名 東京

 〈地震〉は[ない]とルビ

 地震という自然現象をじっと眼をこらして感じているという趣もあるし、美しいものも小賢しいものも釈迦の掌の上というような寓意もあるかもしれない。いずれにしろこの作者は知性派のような気がする。


35

鑑賞日 2009/2/7
空海さんいまだに生きて蝌蚪に足
矢野千佳子 
神奈川

 空海さんはまだ生きていますよ、蝌蚪に足も生えますよ。何か嬉しいいのちの感じ。


36

鑑賞日 2009/2/8
西瓜畑口鉄砲を二・三発
山口 伸 愛知

 「口鉄砲」というのは、手で銃の形を作って口で「バンバン」と言うことではないか。晴れた日ののどかな西瓜畑の情景が眼に浮かぶ。


37

鑑賞日 2009/2/9
永遠と一日を霧 青霧
柚木紀子 東京

 霧と過ごす一日。今。これを永遠と言わず何と言おう。美しい青霧だ。 一字開けたのが、今という永遠の時を感じさせて素晴らしい。


38

鑑賞日 2009/2/9
雨が来て声のふかぶか夏遍路
横地かをる 愛知

 私達の生は遍路のようなものであるが、この句において、そのすべての言葉の関連によって、そのことのさまざまな事実が深く暗示されている。



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