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金子兜太選海程秀句鑑賞 438号(2007年12月号)

作者名のあいうえお順になっています。

1

鑑賞日 2008/6/3
白鷺と厳父座礁の水田かな
有村王志 大分

 「座礁」という表現の面白さ。座礁しているのが白鷺と厳父であるというのも好対照で面白い。きっちりと描かれた風景画のようである。


2

鑑賞日 2008/6/3
ひまはりや友のおなかに王子さま
伊佐利子 福岡

 「ひまわり」が明るい雰囲気を作っている。童話の中に紛れ込んだような雰囲気もある。妊娠した友のことであろうか。性別が分かったのであろうか。


3

鑑賞日 2008/6/4
自分になれる喧噪の汗のサイゴン
石上邦子 愛知

 人々が汗を流して動き回っている喧噪のサイゴン。どこか雑多であるが、生のエネルギーに満ちている。そういう場所に身を置いている自分が自分自身を取り戻してような気持ちになっているというのである。解る。多分人々の表情も違うのではないか。現代日本のどこかよそよそしい人間の表情にはない、人懐こさのようなものがあるのではないか。人々は冷や汗でない気持ちの良い汗を流している。


4

鑑賞日 2008/6/4
血気さかんな童女に蹤きぬ一遍忌
石田順久 神奈川

 血気さかんな童女のあとをついていったということが、一遍そのものについていったというような雰囲気。踊り念仏をしながら行脚した一遍。この童女が一遍そのものの雰囲気を持っている。あの時代、一遍のあとをついていった人の気持ちがこの句に出ているようである。


5

鑑賞日 2008/6/5
父の日の父早世の影法師
伊東友子 埼玉

 父の日に早世した父を偲んでいる句である。多分そういう内容の句はたくさんあるだろう。この句の優れているのは「父早世の影法師」と言ったことである。作者の父への思いが凝縮した時間がある。


6

鑑賞日 2008/6/5
一捕虜の父の奏でるバラライカ
糸山由紀子 長崎

 過酷な捕虜の生活は想像さにできないが、そういう生活の中でもこのような一時があったのかと思うと、やはり人間性の本質というものに思いが到り、涙が湧いてくる。寒々しいシベリヤの大地、そこに響くバラライカの音色、美しさ極まる。


7

鑑賞日 2008/6/6
島の海女耕人となり母となり
稲葉千尋 三重

 島には今でもこのように大地に密着した自然の精といえるような女性が居るのだろう。つつましやかで浮ついたところがなくしかも頼もしい、涼やかな眼をした彼女の横顔が見えるようだ。


8

鑑賞日 2008/6/6
崖下に婚礼の家蜘蛛は巣に
今福和子 鹿児島

 どこかしら、家族制度の柵だとか社会の因習の柵だとか、そんなものを感じるのである。現代における当人同士の軽い結婚ではなくて、古い時代を引摺っている結婚というものを感じる。「蜘蛛は巣に」という言葉からそういう連想が働くのであるが、また「崖下に」というのも何か暗いイメージを伴う。作者の批判の眼があるような気がする。


9

鑑賞日 2008/6/7
青磁のような馬と眠りし白夜かな
榎本愛子 山梨

 夢のような一つの情景。夢のような一つの体験。夢のようなひとときの時間。青磁のような肌触りの青磁のような光を帯びた時間であり、馬も自分も何もかもがその時間の中に居る。


10

鑑賞日 2008/6/7
アルバムに静止の君にざんざ降り
榎本祐子 兵庫

 受け取り方が微妙に難しい。「アルバムの」だとすればアルバムの中にざんざ降りの時に撮った写真があり、そこに君が写っているというものである。「アルバムに静止の君に」と並列して書かれているから少し難しいのである。この場合、アルバムは過去の記憶の残像の象徴とも取れる。「静止の君」も作者の中の「君」が作者の中では止まってしまったような存在であるということを表現しているとも取れる。ユーミンの「卒業写真」の世界である。そういう自分の過去の記憶やその記憶の中で静止している「君」に、ざんざと雨が降っているというのである。この「ざんざ降り」が現在の作者の心境に何かが起ったということを暗示させる。ユーミンの「卒業写真」の物語の新しい展開である。


11

鑑賞日 2008/6/8
トマト頬張るあの夢逃がせない
奥貫恵巳 富山

 トマト頬張るあの夢、と読むか。トマト頬張る/あの夢逃せない、と切って読むかであるが、結果的にはその意味するところは同じである。自分の全身全霊で生きているような夢。生きるということから汁が滴るような夢。生のジュースを満喫しているような夢である。


12

鑑賞日 2008/6/8
ででむしや伊勢に木遣と木を曳く衆
大西健司 三重

 神木を山から伐りだして曳いてゆくような祭の場面であろうか。それをででむしに喩えているのであるが、大きなものとまことに小さなものとの対比、そしてのろのろとした共通性。結局、この人間の営みとででむしの営みは同じようなことですよ、ということである。


13

鑑賞日 2008/6/9
蟻じぐざぐ人間じぐざぐ眠るまで
川崎千鶴子 広島

 まあ人間も蟻も似たようなものだという悟りであるが、それをじぐざくじぐざくと表現をしたのが面白い。こういう諧謔的な悟りを常に持っていたいものである。


14

鑑賞日 2008/6/9
赤児にしゃっくり移して飛べる法師蝉
上林 裕 東京

 鳴いていた法師蝉が飛んだ。赤児がしゃっくりを始めた。そういうことなのであるが、それをこのように受け止めたというのが面白い。どこかしらに生命と生命の見えない繋がりというものを感じる。


15

鑑賞日 2008/6/10
夏の森忽然と人奥にゆく
黒岡洋子 東京

 やはり夏の森が相応しいだろう。鬱蒼としてエネルギーの輝きの絡まりに満ちていて、奥に入っていけば命の源の秘密に突き当れそうな気がする。「忽然と人奥にゆく」ということに物語性がある。その物語の一つのクライマックスとでも言うべき場面である。


16

鑑賞日 2008/6/10
遠花火八月二日天まで焼けた
小池弘子 富山

 「八月二日天まで焼けた遠花火」とすると語調はいいが詰まらなくなってしまう。説明になってしまうからである。「遠花火八月二日天まで焼けた」であるから、「天まで焼けた」ということが作者の心理的なものであるというニュアンスが加わって、それを「遠花火」が支えているという解が出てくる。「八月二日」と日が特定されているのもいい。要するに〈「この味がいいね」と君が言ったから七月六日はサラダ記念日〉という短歌の構造に近い。


17

鑑賞日 2008/6/11
鰻さばいて誰そがれも彼はたれもなき
小池弘子 富山

 〈誰〉は[た]、〈彼〉は[か]とルビ

 夕暮れを意味する「誰そがれ(誰そ彼)」や夕暮れや明け方を意味する「彼はたれ(彼は誰)」という語を上手く使って面白い効果を出している、と同時に意味も深くなっている。まず滑稽味がある。ぬるぬるぬめぬめとして掴み所のない、掴んだと思ったら逃げる、また掴んだと思ったらまた逃げる、そんな鰻をやっとこささばいた、黄昏時だかかわたれ時だか、そんな情緒はこちとらもうありゃしません、というわけである。また「たそがれ」や「かはたれ」の本来の意味も加わって、もうあいつが誰であろうとこいつが誰であろうと、こちとらそんなことに係っている閑はありゃしない、というようなこともある。つまり、生きるってこたあ、そんななよなよっとした情趣ってことじゃありませんぜ、というような意味が加わる。庶民的な感覚である。


18

鑑賞日 2008/6/11
子鹿群れて膝の痛みの目覚めかな
小原恵子 埼玉

 「子鹿群れて」と「膝の痛みの目覚め」がどのように響き合うのか、いわゆる随分と離れた表現である。子鹿が群れているような夢を見ていたが、膝の痛みを感じながら目覚めた、というようなことではないだろうか。子鹿が群れているというのは、どちらかというと浄土を連想させるような夢ではないだろうか。妙に透明に明るい幸せな感じがある。そういう意識の高まりの中で、膝の痛みを伴って目覚めたというのである。夢から現実へ戻るときの心理的な感覚を描いたのかもしれない。


19

鑑賞日 2008/6/12
渚の砂にめぐみと書いて夏は逝く
佐藤幸子 新潟

 「めぐみ」がいい。誰か自分が大切にしている人の名前とも取れるし、恵みということにも取れる。そこがいいのである。


20

鑑賞日 2008/6/12
ざわめきを言葉にもどす夜の噴水
柴田和江 愛知

 「ざわめきを言葉にもどす」という見方が面白い。これは俳人や詩人あるいは文学などに携わっている人にはよく理解できる感覚ではないだろうか。ざわめく物事やざわめく心を言葉で表現しようとする。表現できた時の感じは「戻って来た」という感じである。この「ざわめきを言葉にもどす」という行為の時間と、「夜の噴水」の在り様に共通性があって響くのである。


21

鑑賞日 2008/6/13
紀勢線西瓜を先に座らせる
瀬古多永 三重

 昔懐かしいローカル線の雰囲気である。西瓜というものが大ご馳走であった時代にタイムスリップしてみると楽しい。団扇の音、人々の世間話などがなどが聞えてくるようだ。


22

鑑賞日 2008/6/13
みみず掘る鷄もわれらも住み古りて
高井元一 埼玉

 かつてそういう時代があったなあ、という古いセピア色の写真を見るような懐かしさがある。日本ではこういう景色はあまり見られなくなった。ベトナムとか中国とかの映像でたまに見ることがある。しかもそれが鳥インフルエンザのニュースであったりするのだから、この句に描かれている世界とは大分違う印象である。


23

鑑賞日 2008/6/14
遺伝子に忘れる仕組み籠まくら
高木一恵 千葉

 「遺伝子に忘れる仕組み」というちょっとした面白い見方。これだけでは俳句にならないが「籠まくら」が効いて、人間の日常が詩として描かれている。


24

鑑賞日 2008/6/14
母に添え父にぶつかれ小鯵刺
たかはししずみ
 愛媛

 小鯵刺の次の写真を見たら、句の意味するところがたちどころに分かった。

http://egoen.exblog.jp/6951069/より

 「小鯵刺」と喩えることができるような者に対して「母に添え父にぶつかれ」と言っているのである。


25

鑑賞日 2008/6/17
あぢさゐは多情多弁な私です
武田美代 栃木

 紫陽花は多情多弁だと言われると、なるほどそうなんだと納得する。あの、これでもかこれでもかというほどの花弁の数。それだけでは気が済まないで色も変えて語りかけてくる。紫陽花というのはたっぷりとその情感を人に与えて余りある。


26

鑑賞日 2008/6/17
抱きとめてほどいて〈わたし〉水母浮く
田中亜美 神奈川

 わたしを抱きとめて。でも抱きとめた後はほどいてちょうだい。そしてまた時々は抱きとめて。そしてまたほどいて水母のように自由に浮遊させて。あなたは海、わたしは水母。あなたとわたしは一体。わたしはあなたのもの。でもわたしは自由に漂いたい。


27

鑑賞日 2008/6/18
一切を桐の家に置き忘れ候
田中昌子 京都

 〈家〉は[や]、〈候〉は[そろ]とルビ

 「桐の家(や)」という有名なトンカツ屋が横浜にあるそうである。その「桐の家」であろうか。それ以外には考えられない。「一切を・・・候」というこの大げさな口ぶりと戯けが楽しい句である。


28

鑑賞日 2008/6/18
点滴が血となり夜の雷去りぬ
新田富士子 愛媛

 病院に入院して点滴を受けた時の実感。「夜の雷」というのが不安な心理状態を表現しているように思う。


29

鑑賞日 2008/6/19
海紅豆火山灰わが窓を閉しをり
林 壮俊 東京

 〈火山灰〉は[よな]とルビ

 海紅豆という明るい感じの赤い花。それが窓の外には咲いているが、火山灰のためにそれが見えない。そういう心理でもある。


30

鑑賞日 2008/6/19
永眠のはじめに仮眠ハンモック
福原 實 神奈川

 軽い戯れのジョークであるが、緑陰に吊ったハンモックにこれから寝ようとする時の贅沢な気分がある。


31

鑑賞日 2008/6/20
ニートという君殻うすき蝸牛と
藤野 武 東京

 いわゆるニートといわれる人のある面が描かれている。彼らは殻が薄いのである。このがさつで粗野な人間社会で生きてゆくには殻が厚くなくてはならない面がある。殻すなわち顔の面が厚いということである。もっとも顔の面が厚いのは政治家と呼ばれる人であるが、ニートと呼ばれる人は薄いのである。蝸牛のように中が透き通るくらい薄いのである。そのニートが殻のうすい蝸牛を見つめながら部屋の中に座っているという図が見える。


32

鑑賞日 2008/6/20
人語って厄介ですよつばめ飛ぶ
藤本武男 山口

 人語(じんご)というのは厄介なものだというのである。言葉を持ったから人間の歴史は始まった。良い面も悪い面もひっくるめて始まってしまった。まさに複雑で厄介な人間の歴史が始まってしまった。あるいは動物にも何らかの言葉があるのかもしれない。しかし彼らの言葉はシンプルで嘘がなく潔い。人語って厄介だなあと思いながら作者はつばめが飛ぶ美しい軌跡を眺めている。


33

鑑賞日 2008/6/21
山繭を空にかざして少年老ゆ
松本勇二 愛媛

 自然の中の人間。やはりこれは詩である。


34

鑑賞日 2008/6/21
幼年やまぶたに落とす羽の翳
水野真由美 群馬

 「幼年」と言っているが、これは幼い子どもそのものかもしれないが、または幼年というそのものの持つ特質のようなものかもしれないし、自分の中の幼年ということかもしれない。とにかく幼年というものの柔らかく微妙な感受性というものを感じる。


35

鑑賞日 2008/6/22
夕顔や施錠もじゃんけんも一瞬
宮崎斗士 東京

 明るい儚さ。そういう雰囲気である。一瞬一瞬過ぎていってしまう物事を感覚的に把握していくという態度。感覚美の世界である。


36

鑑賞日 2008/6/22
鬼太鼓の不意の打ち止め夜の蝉
武藤鉦二 秋田

 鬼太鼓が不意に打ち止めになってしまった。響いていた太鼓の音がなくなり、今まで気づかなかった夜の蝉の声が聞える、というような時間であろう。結局、夜の蝉の時間の濃さのようなものを味わっているのではなかろうか。


37

鑑賞日 2008/6/23
青胡桃こめかみに乱読のなごり
茂里美絵 埼玉

 青胡桃が、さえざえとしたような凝ったようなこめかみの乱読のなごりを暗示しているし、また読書から得た何かしらの果実というものも暗示している。


38

鑑賞日 2008/6/23
夜更かしの帆の真みどりに夏の星
森尾ミモザ 長野

 夜更かしして黙想あるいは読書あるいは何らかの創作。とにかくそのような一つの心の旅を「夜更かしの帆」という言葉に感じる。昼間の日常から離れてのこの旅は真みどりをしている。ちょうど夏の星が瞬いている夜空に掲げられた帆のようである。





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