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金子兜太選海程秀句鑑賞 434号(2007年7月号)
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(作者名のあいうえお順になっています。)
鑑賞日 2008/2/11 | |
意志的な靴音ひびくきさらぎや
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石上邦子 愛知
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「きさらぎ」という季節の感じやその言葉の響きから受ける感じと、「意志的な靴音ひびく」という事柄がよく響きあって相応しい。客観的にものごとを把握しているので、この靴音は他者のもののような気が私にはする。 |
鑑賞日 2008/2/11 | |
いつも寝不足桜しべ降る本をめくる
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伊藤淳子 東京
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「いつも寝不足」というのは日常的で現実的な事柄であり、「桜しべ降る本をめくる」というのは現実でありながらどこか詩的で夢の質を持っている。この現実と夢の間に居るような感じが面白い。多分この感じは人間の普遍的な状況ではないか。 |
鑑賞日 2008/2/12 | |
きぶし咲くヨガのポーズはライオン
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宇野律子 神奈川
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多分ハタヨガのポーズの中にライオンという型があるのであろう。どこかにきぶしの花と共通するような形なのであろうか。きぶしの花が咲いている。自分はヨガのポーズをしている。明るい雰囲気である。健康で意欲のある日常の明るさのようなもの。 |
鑑賞日 2008/2/12 | |
くもは網張る私は私の霞網
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戎 武子 岡山
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私という厄介なもの。その厄介な私の在り方を「私は私の霞網」と詩的に表現した。 くもは網張る と唄っているような雰囲気。マザーグースに出てきそうな雰囲気である。 |
鑑賞日 2008/2/13 | |
土筆摘む太平洋に棲みなれて
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菊川貞男 静岡
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「太平洋に棲みなれて」というのは太平洋の傍に棲みなれてということであろう。もう太平洋と自分が一体になっているような感じ、自分の中に太平洋が棲んでいる感じでもあり、太平洋と自分が切っても切れない関係にある感じである。そういう自分が土筆を摘んでいる。その土地への親和感、これは作者のものでもあるし土筆のものでもある。とても親しみのある景が見えてくる。 |
鑑賞日 2008/2/14 | |
論客の海馬のあたり桜貝
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岸本マチ子 沖縄
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「海馬」とは〈大脳の古皮質に属する部位で、欲求・本能・自律神経などのはたらきとその制御を行う。〉と大辞林にある。作者の意図するところは明らかで、それを言うのもまた野暮である。ただそのことを「海馬のあたり桜貝」と一つの景として新しく表現し得たということ。人間の脳内に一つの自然の広がりがあるという想像が楽しい。 |
鑑賞日 2008/2/14 | |
息災や野芹に絡む鶏の声
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北上正枝 埼玉
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「野芹に絡む鷄の声」ということから、自然の中で暮している人の感覚という感じがする。もっと踏み込んで、野芹を摘んだり、鶏を飼ったりするような生活をしている人というような感じもする。そういう事の全体を「息災」であると言っている気がするのである。とても良いそして懐かしい自然と人間の関係が有った時代にタイムスリップするような感覚さえ起る。 |
鑑賞日 2008/2/15 | |
御ほとけに厚きまなぶた小鳥引く
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北村美都子 新潟
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仏の慈悲であるとか慈愛であるとかを表すような「御ほとけに厚きまなぶた」ということと「小鳥引く」という言葉の配合から何を感じるかということであるが、私には来るものは拒まず去るものは追わず、公平にあるがままを眺めている仏というものの存在を描いているように思えるのであるが。少し理屈が勝っているように思えないでもない。いや、もしかしたら、存在への作者の〈たじろぎの気持ち〉かもしれない。 |
鑑賞日 2008/2/16 | |
清明や山のてっぺんまで畠
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小池弘子 富山
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何の抵抗もなくスッと入ってくる句である。水や空気のようにあまりに当たり前に入ってくるので、コメントのつけようがないくらいである。体は透明になり、頭は空っぽになる。 |
鑑賞日 2008/2/16 | |
窯守の梅より白いむすび食う
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小堀 葵 群馬
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春の気が流れている一つの豊かな情景である。 |
鑑賞日 2008/2/17 | |
ネイルアートに湿りを許す卒業歌
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阪本蒼郷 北海道
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一つの現代若者事情というような感じがする。最大の関心事がファッションであるような若者。一見ドライで真面目なことはクライとかダサイとか避けるような彼女らも、内面は実はセンチだというようなことか。 |
鑑賞日 2008/2/18 | |
顔面蒼白という捨身なり桜
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左孝石画 福井
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咲き満ちた桜の花のあの蒼白感というものを踏まえて、自分の心理的な状況を言ったのではないか。他者のことかもしれないなどとも思えるくらいにその状況を客観的に捉え得ている。 |
鑑賞日 2008/2/18 | |
日向ぼこ衰弱の骨透けるまで
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佐藤幸子 新潟
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美しいと思う。衰弱というものの溶け入るような美しさである。こういう句を読むと、病も衰弱もまた死さえも自然の中の美しい一つの相であるという想いに到る。 |
鑑賞日 2008/2/19 | |
割烹着の姑おおきな蕪であり
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猿渡道子 群馬
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割烹着の姑を見た印象をそのまま書いたのであろう。「蕪」という喩えが新鮮である。 |
鑑賞日 2008/2/20 | |
春の河相撲取るような月が出て
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篠田悦子 埼玉
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喩えの面白さである。面白い喩えということは、作為的に行えることではなく、その時の作者がある恵まれた状態にあるということである。だから面白い喩えの句を読む時に、読者はそのある恵まれた感覚を共有できて、気持ちがいいのであろう。 |
鑑賞日 2008/2/21 | |
初夢や手燭とどかぬ廊ありて
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鱸 久子 埼玉
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ふとかいま見る意識の奥の闇。忙しい日常のごたごたの中では通常目を向けることのない領域。そのような領域が初夢の中で暗示されたというような感じである。「手燭とどかぬ廊」というのがそのような領域を指し示している。心理的な事実を表現した句としてとても上手い。「戦争が廊下の奥に立つてゐた 渡辺白泉」という心理句と同様の趣がある。 |
鑑賞日 2008/2/22 | |
花に酔う人にうしろの馬笑う
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鈴木八駛朗
北海道 |
人は酔い、馬は笑う。春爛漫の目出度い感じ。 |
鑑賞日 2008/2/22 | |
春鹿の闇つらつらと小学校
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関田誓炎 埼玉
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自分の小学校時代を思いだしているのだろうか。あるいは現代の小学校の感じを言っているのだろうか。それが「春鹿の闇」というような状態であると言っている気がする。春愁というようなことにも通じる微妙な感受性であるような気がする。 |
鑑賞日 2008/2/23 | |
桜を離れる水から上るようにかな
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芹沢愛子 群馬
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こう言われてみると、そういうことがあるなあと思いだす。そしてさり気なく通り過ぎてしまっている瞬間を意識を持ってよく書けたなあと嬉しくなる。喩えが素敵で、人魚のようなあるいは妖精のような人物が想われてくる。 |
鑑賞日 2008/2/24 | |
耕人となり父となり光る彼ら
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十河宣洋 北海道
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健康的な感性である。現代においては、このような健康的で屈折していない感性がもっとも必要なことではないだろうか。 |
鑑賞日 2008/2/25 | |
堕天使の翼色して白菜は
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高桑婦美子 千葉
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観念を飛翔させておいて、「白菜は」と日常的なものに落す小気味よさ。楽しきかな観念。楽しきかな日常。 |
鑑賞日 2008/2/25 | |
自由とは包丁で切る心太
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高橋明江 埼玉
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自由という言葉の持つある側面を面白可笑しく書いている。何の抵抗もなく自在に切れるような気がするが、実は取り止めもなくぐちゃぐちゃとしてきてしまう。しっかりとした形ができない。まあ、そういう心太もそれなりに味があるかもしれないし、嫌だという人もいるだろう。どちらを選ぶのもそれこそ「自由」だ。 |
鑑賞日 2008/2/26 | |
旅の帆のよう折紙のよう春耕
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田口満代子 千葉
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それにしても洒脱な春耕である。印象としては春耕を眺めているのかあるいは家庭菜園で春耕を楽しんでいるということのような気がする。私も野菜を自給できる程に畑をやっているが、耕すときになかなかこのように洒落た気持ちになるのは難しい。しかし気持ちだけは旅の帆のように軽く、折り紙を折るように丁寧でありたいものである。 |
鑑賞日 2008/2/26 | |
雁帰る半端な数の二十九羽
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竪阿彌放心 秋田
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帰る雁の数を数えて、随分半端な数だなあ、と思っている、というだけのことなのであるが、雁のほうにしてみれば、そんなことは大きなお世話だということになるのであるが、そういう数を数えたり、半端な数だなあと思ったりする人間というものの可笑しさが出ている句である。 |
鑑賞日 2008/2/27 | |
ほどほどという侘しさ春の山
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玉乃井明 愛媛
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「ほどほどという侘しさ」というのはよく解る。そしてこの「春の山」というのは既に冬の山の厳しさはなく、まだまだエネルギーに満ちた状態でもない「春の山」なんだろうなあと思うのである。 |
鑑賞日 2008/2/28 | |
晩春に近づくわれに一番星
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董 振華 中国
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晩春に近づく/われに一番星、という普通の読みがあって、晩春に近づくわれに/一番星、という象徴的な読みが重なり面白い。 |
鑑賞日 2008/2/28 | |
大鷺を書き置きのようにかな
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中田里美 東京
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この美しい書き置きをしたのは誰、何の目的で、という問いかけが当然句の味として残る。 |
鑑賞日 2008/2/29 | |
蛇行なくばただの死の河雪解待つ
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中林栄子 神奈川
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言い方の妙。荒涼とした冬河が見えてくると同時にその河の孕む生命力のようなもの。 |
鑑賞日 2008/2/29 | |
紀の川を横一文字に茅花流し
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中村ヨシオ和歌山
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茅花が咲くころの湿気を含んだ南風を「茅花流し」と言うのだそうである。雄大で気持ちのいい抒情を含んだ句である。 |
鑑賞日 2008/3/1 | |
左足越えて右足耕せり
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中山蒼楓 富山
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鍬を持って耕すときの動作をよく観察して写生して面白く俳味がある。人間は手足でできている。 |
鑑賞日 2008/3/1 | |
蜃気楼ときどき飛沫になる礁
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成井惠子 茨城
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これも写生句。海岸から望む広い海の景色が見えてくる。 |
鑑賞日 2008/3/2 | |
まんさく咲きしか満面童子の老父かな
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長谷川順子 埼玉
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素直に入ってくる句。思いは簡単になる。 |
鑑賞日 2008/3/2 | |
シクラメン静かに根腐れジャーナリズム
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藤野 武 東京
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上手い人である。軽くなく、重くれてなく、洒脱である。現代性のある軽みといってもいい。 |
鑑賞日 2008/3/3 | |
桜散る一画違えば幸と辛
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丸木美津子 愛媛
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大学の入学試験の合格不合格通知に、「桜咲く」というのと「桜散る」というのがあったが、そういうような事実を連想させる句である。人生に於ける運命というものの事実を洒落て書いた。 |
鑑賞日 2008/3/4 | |
銃口やモンローウォークして狐
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丸山マサ江 群馬
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戦場で銃口の先を狐がモンローウォークして歩いているという風景が見えるのであるが、やはり戦争というものの虚偽性というものや、欲望の結果としての戦争ということもあるし、とにかく戦争だとか人間の行為だとかの愚かさを茶化している雰囲気がある。 |
鑑賞日 2008/3/4 | |
真夜、母に紅梅の風持たせやる
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水野真由美 群馬
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どのような具体的な事柄に結びつけて鑑賞したらいいか、そのあたりはとても難しい句であるが、私の気質によるものかどうか、母の臨終というような場面が思い浮かんでしまう。真夜、死に行く母に紅梅の風を持たせてやる。事実はどういう場面なのか定かではないが、エッセンスとしては、そういう幽玄な雰囲気がある。 |
鑑賞日 2008/3/5 | |
余白は燃えるかもしれない逃水
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三井絹枝 東京
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情念だとか、生理に近いような感情をそのまま言葉にしたような感じがする。だから見えてくる映像は抽象的なものである。冷たい抽象・熱い抽象という言い方があるが、これは熱い抽象である。 |
鑑賞日 2008/3/6 | |
会津はや腹召すように蝶生まる
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柳生正名 東京
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腹を召す、は腹を切るの尊敬語であるから、句意は「会津では早くも切腹をなさるように蝶が生まれる」というのである。これは会津における白虎隊の歴史などを踏まえていると考えられる。そういう人間の歴史的な事柄とは全く異質の「蝶生まる」という命そのものの表明のような言葉が思いがけなくも唐突に出てきてとても新鮮に感じる。 |
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