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小林一茶を読む191〜200

191

文政句帖
とがもない艸つみ切るや負け角力
文政七年
1824
62歳
鑑賞日
2005
10/3
 相撲に負けた人が側にある草をむしっているという景色。次の一句と合わせて面白い。

脇向て不二を見る也勝角力


192

文政句帖
来る人が道つける也門の雪
文政七年
1824
62歳
鑑賞日
2005
10/4
 雪国では雪が降ると歩けるように道を作るのが一仕事である。現在ではブルがきれいに雪を掻いてくれるが、昔は車もないので人が歩く道を踏み固めて作った。
 この句では、どうせ訪ねてくる人が雪を踏みながら道を付けてくれるだろう、というわけである。こののんびりしたような、任せたような態度は一茶という人物に常に通底して有ったのではないかと思える。この態度が一茶という人物から受ける全体の印象、リラックスした親しみ、というようなものを形作っているのではないか。「ともかくもあなた任せのとしの暮」というのもあった。
 この句は、信濃の生活圏の雪景色が見えてくる風景句でもある。

193

文政句帖
朝皃に涼しくくふやひとり飯
文政七年
1824
62歳
鑑賞日
2005
10/5
 丸山一彦さんの註によれば(岩波『一茶句集』)、この前年に妻と子を失い、この年再婚に失敗し、一茶はもとの一人住みとなった、とある。 
 このような一茶の状況は淋しいものに違いない。強がりともあきらめとも運命の受容の態度とも微妙にとれる。芭蕉の「あさがほに我は飯くふおとこ哉」を意識した作。

194

文政句帖
山寺は碁の秋里は麦の秋
文政八年
1825
63歳
鑑賞日
2005
10/6
 整った句姿の中に大景が見える句である。農民の出の一茶としては少し皮肉も交えているだろう。

195

文政句帖
御仏や生るゝまねに銭が降る
文政八年
1825
63歳
鑑賞日
2005
10/7
 「御仏や銭の中より御誕生」というのもある。
 まことに皮肉な句である。あからさまな皮肉である。しかし一茶の中には「みほとけ」の世界に憧れる気持ちも確かにある。この気持ちと世間への皮肉、この二つの気持ちを抱えながら世間に生きた一茶。そのように考えたい。

196

文政句帖
けし提げてケン嘩の中を通りけり
文政八年
1825
63歳
鑑賞日
2005
10/8
 K音の連続。張りのある若々しさのある句である。
 この句は金子兜太(私の師)が一茶の中で一番の句であると言っているので、私も注目している句である。印象としてはもっと若い頃の句かと思っていた。いかにもイナセなお兄さんの行動のようにも取れるからである。しかし、この晩年の一茶が書いたものであるとすると印象もまた違ってくる。
 俺の人生は芥子を提げて喧嘩の中を通るようなものだったなあ、という回顧であり、そこには自分の来し方への満足の気持ちもある。「けし提げて群衆の中を通りけり」というのもあり、句としての完成度はないが、こちらの方が回顧の句としては色合いが強い。
 なお蕪村の「葱買て枯木の中を通りけり」と比較してみると、それぞれの生の有り様が見えてきて面白い。

197

文政句帖
蚤焼て日和占う山家哉
文政八年
1825
63歳
鑑賞日
2005
10/9
 蚤を焼くというのがどのように焼くのかよく分らない。多分取った蚤を集めて藁か何かを燃やしている火にくべたのであろうか。そしてその焼け具合、煙の立ち具合などによってその日の日和を占ったのであろうか。はっきりしないが、この山家暮しの風情がいい。好きな句である。

198

文政句帖
団扇の柄なめるを乳のかはり哉
文政八年
1825
63歳
鑑賞日
2005
10/10
 〈母に遅れたる子の哀れさは〉と前書

 「母に先立たれた三男金三郎の追悼吟か」と丸山一彦(『一茶句集』)さんの註。
 切々としたものがある・・・・


199

文政句帖
淋しさに飯をくふなり秋の風
文政八年
1825
63歳
鑑賞日
2005
10/11
 193で取り上げた「朝皃に涼しくくふやひとり飯」よりもこの句のほうが心情が素直に出ていて胸を打つ。生きて在らねばならぬ事の淋しさがこの句の底流をしんしんと流れている。

200

文政句帖
うつくしや年暮きりし夜の空
文政八年
1825
63歳
鑑賞日
2005
10/12
 この感覚が私にはよく分る。年の暮、すべてのものごとが終ってしまった時間の持つ価値と言ったらいいだろうか。やれることはやれるままに全てやった。何かを思い残すこともない。何かを企てることもない。この“終り”の感覚が私はとても好きなのである。その時に見る夜空。美しい。
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