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小林一茶を読む201〜204

201

書簡
やけ土のほかり\/や蚤さはぐ
文政十年
1827
65歳
鑑賞日
2005
10/13
 文政十年閏六月一日柏原に大火事があり、一茶の家も類焼し、一茶はこの時土蔵に住んでいた。『句帖写』の次の句

焼けつりの一夜に直る青田哉

とともに生命への信頼感あるいは親しみが感じられる。この年の十一月に一茶は死ぬわけであるから、最後までこのような生き物への親愛感を失わなかったことになる。


202

おらが春
秋風やむしりたがりし赤い花
文政二年
1819
57歳
鑑賞日
2005
10/14
 〈さと女卅五日墓〉と前書

 少し前に戻っての鑑賞となってしまった。
 明日でこの一茶鑑賞も終る予定だが、私は自分の選句に自身がなくなった。少し急いだのかもしれない。何故なら、死んだ子供への思いがひしひしと伝わってくる掲出句のような秀句を見落としていたからである。これはこの鑑賞のテキストにさせてもらっている岩波文庫『一茶句集』の解説で丸山一彦さんがこの句を取り上げていたので気付いたのであるが、このような句を見逃しているとはいただけない。だから、他にも良い句を見逃した可能性は大である。一茶に申し訳ない感じも残る。
 しかし終ってしまった事は仕方がない。とにもかくにも明日取り上げる最後のそして私のもっとも好きな句でこの鑑賞を終ることができるのは幸いである。


203

八番日記
蝉なくやつく\〃/赤い風車
文政二年
1819
57歳
鑑賞日
2005
10/15
 今日が鑑賞の最後と昨日言ったが、一日延ばすことにした。この句を取り上げたかったからである。また前へ戻っての鑑賞となる。

 昨日取り上げた「秋風やむしりたがりし赤い花」のことを考えていて、この句のことも連想したのである。そして“いのちの赤”ということを思った。この“いのちの赤”という観点からこの句を眺めると、とても凄い句に思える。命を惜しむように鳴いている蝉の声を背景にして風車が回っている。それを「つくづく赤い」と一茶は感じているのであるが、彼はこの赤にいのちそのものを感じていたのではなかろうか。そしてそれはぐるぐると回っている。輪廻転生という言葉さえ思いつくくらいであり、また一茶の生涯のいのちを感じさせてもくれる。一茶の代表句と言い切ってもいいだろう。


204

句帖写
花の影寝まじ未来が恐ろしき
文政十年
1827
65歳
鑑賞日
2005
10/16
 西行の「願はくは花の下にて春死なむその如月のもちづきのころ」が下敷きになっていることを頭の片隅に置いておけば理解しやすいが、この西行の句を考えなくても鑑賞できるし、むしろその方が良いくらいに、この句は一句としてのインパクトがある。あえて私は一茶の最高傑作であるとしたい。それだけの衝撃力がある。
 芭蕉の最後の句「旅に病んで夢は枯野をかけめぐる」の魂の放浪感に勝るとも劣らない魂の戦きがある。切迫感をもって死ということに対峙している点では芭蕉の句を凌駕する。古今東西、これだけ死の戦きを表現しえた句は無いのではなかろうか。
 人間は死に戦いている。しかし誰もそれに気がつかない。鈍いのである。死に戦き、死に直面しなければ、死を越えることはできない。人間は死を越えたところの表現は持たない。表現しようがない。散文的には表現しうるが、真実その実感にせまった詩での表現はできない。だから、その一歩手前にある、死との直面の戦きを表現しえたこの一茶の句は人間が死を表現しえた最高のものであるとも言える。死の戦きに直面しえた者、その者は死を越えて行ける、と私は確信している。
 「寝まじ」、この言葉が一茶の覚醒を意味している。眠りこけてはいけない。死を前にしたときに眠りこけてはいけない。はっきりとした意識を持って死を見つめよう。死に際して何が起るのか、その事の全体を見つめていよう。そうすれば死を越えてゆける。
 死の顏を拝もう。観念ではなく、死の実体を見るのだ。そうすれば死は恥ずかしくて、すごすごと引き下がってゆくだろう。
 一茶の生涯はこの句に凝縮されている。この一句をもって一茶は私の友人となった。この一句があるから、私ははっきり言える。一茶は最高の詩人であった、と。
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