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小林一茶を読む151〜160
七番日記
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闇夜のはつ雪らしやボンの凹
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文政元年
1818 |
56歳 |
鑑賞日
2005 8/21 |
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〈闇夜〉は[やみのよ]、〈凹〉は[くぼ]と読む
妙に冷や冷やっとした肉体感がある。ずっと読んでいると「闇の夜」が「闇の世」などとも思えて来て、一茶のこの世感のある一面を表わしているようにも思えてくる。 |
七番日記
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這へ笑へ二ツになるぞけさからは
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文政元年
1818 |
56歳 |
鑑賞日
2005 8/22 |
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〈二ツ子にいふ〉と前書
二つになった子供に向って「這え笑え」と言っているのであるが、一茶自身がいかにも嬉しくて笑っているようである。一茶自身が這って見せているかもしれない。好々爺ぶりである。 |
おらが春
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目出度さもちう位也おらが春
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文政二年
1819 |
57歳 |
鑑賞日
2005 8/23 |
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〈から風の吹けばとぶ屑屋はくづ屋のあるべきやうに、門松立てず煤はかず、雪の山路の曲り形りに、ことしの春もあなた任せになんむかへける〉と前書
新年を迎えられたのは目出度いが、それ程の目出度さでもない。かといって不幸かと言えば、そんなに不幸でもない。どっち付かずの中途半端であやふやな状態であるが、それがまあ私には似合っているような気もする、というような感じであろうか。ぼやきもあるが、それ以上に春のほのぼのとした温かさがある。 |
八番日記
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山の月花ぬす人をてらし給ぶ
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文政二年
1819 |
57歳 |
鑑賞日
2005 8/24 |
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美しい。月は誰でも、どんな境遇にある人でも平等に照らしている、という想念が美しい。 |
八番日記
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長閑さや浅間のけぶり昼の月
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文政二年
1819 |
57歳 |
鑑賞日
2005 8/25 |
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私は信州に住んでいるので浅間山を見ることがある。晴れた日にそのなだらかな山の姿とそこから立ち上る煙を見ていると実にのんびりした気分になる。「長閑さや」という言葉と「昼の月」を配したことによって、より大きな風景となった。 |
八番日記
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ざく\/と雪かき交ぜて田打哉
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文政二年
1819 |
57歳 |
鑑賞日
2005 8/26 |
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句の表現よりも、この頃の田仕事を想像していただいた。私も田を作ったことがある。信州は寒いので、雪が解けると直ぐにピニールのトンネルをして稻の籾を蒔かなければ間に合わない。要するに夏の期間が短いので、雪解けと同時に田仕事を始めるのである。雪解けが遅い年には、まだ残っている雪を重機で掻き混ぜて雪解けを早めるようにしたりもする。しかし「雪かき交ぜて田打」というところまでは行かない。雪のある田を耕すなどはとても大変な仕事である。 しかし句の表現自体からは、むしろ春になって田仕事ができる喜びのような弾んだ気持が感じられる。 |
八番日記
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出代の市にさらすや五十顔
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文政二年
1819 |
57歳 |
鑑賞日
2005 8/27 |
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〈出代〉は[でがわり]と読み、奉公人がその雇用期間を終えて交代すること、またその奉公人。
その当時の風俗が見えてきて面白いと思ったのでいただいた。五十歳にもなって奉公をしている。その奉公の期間も終って町の市場を、どちらかと言えば気の抜けたように歩いている、という感じである。奉公期間の気が張った時間を終ってほっとしていると同時に頼りない不安もある。そんな時間にいかにも年を取ったという五十顔が現れる。 |
八番日記
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雀の子そこのけ\/御馬が通る
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文政二年
1819 |
57歳 |
鑑賞日
2005 8/28 |
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有名な句である。かろやかな口調がぱかぱかと弾むように走る馬のリズムを感じる。作者自身が馬に乗っているような雰囲気である。小さな生き物に対する心配りとともに、むしろこの馬上の軽快感が強い。 |
八番日記
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戸口から青水な月の月夜哉
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文政二年
1819 |
57歳 |
鑑賞日
2005 8/29 |
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〈青水な月〉は[青水無月]、陰暦六月のこと
「青水無月の月夜」という言葉の配列が瑞々しい。それを戸口から眺めているという場面設定が「青水無月の月夜」に具体性日常性を与えて、私達にこの「青水無月の月夜」を見せてくれている。考えてみれば、私達はいつも、美しいものを戸口から眺めているようなものかもしれない。 |
八番日記
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手をすりて蚊屋の小すみを借りにけり
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文政二年
1819 |
57歳 |
鑑賞日
2005 8/30 |
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一見すれば卑屈な態度である。実際はそんなに卑屈でもなかったと思うが、後から顧みて「少し卑屈だったかなあ」と思ったのではなかろうか。「まあ世の中を生きて行くためにはしょうがないか」といった程度のものであったと思う。自分を客観視している一茶の目がある。 |
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