表紙へ 前のページ 次のページ

小林一茶を読む11〜20

11

寛政句帖
しづかさや湖水の底の雲の峰
寛政4年
1792
30歳
鑑賞日
2005
3/21
 確かに静かな句である。静かさを通り越して陰鬱な感じさえ起こる。「湖水の底の雲の峰」を眺めながら「静かだなあ」と思っているというのが、いかにも負のイメージがあるのである。
 芭蕉の「閑かさや岩にしみ入る蝉の声」は、存在全体を静かだと言っているのに対して、この一茶の句は存在の部分しかも負の部分を静かだと言っているから、陰鬱な感じがするのかもしれない。

12

寛政句帖
おり姫に推参したり夜這星
寛政4年
1792
30歳
鑑賞日
2005
3/22
 〈おり姫〉は織女星。〈夜這星〉は流星の異称

 織女星と牽牛星は一年に一度だけ会えるという。天の河を挟んでの天空のロマンである。そのロマンスに水をさすように夜這星が織女星に推参したというのである。これをオーソドックスなものや権威に対する一茶の反骨精神ととるか、ひねくれ者ととるかであるが、「世の中そんなきれい事ばかりじゃありません」という気持ちは確かにある。同時に煩悩具足の人間そのものに対する親しみもある。


13

寛政句帖
船頭よ小便無用浪の月
寛政4年
1792
30歳
鑑賞日
2005
3/23
 おどけた言い方が面白いし、句をながめていると、美しい月夜に舟に乗っている情が伝わってくる。おどけた言い方はきっかけであり、その余情が楽しめる。

14

寛政句帖
負角力其子の親も見て居るか
寛政4年
1792
30歳
鑑賞日
2005
3/24
 一般的に一茶は「痩蛙まけるな一茶是に有」や「雀の子そこのけ\/御馬が通る」にみられるように、弱いものに対する共感などによって親しまれている。そして確かにこの資質は一茶の持つ資質のなかでも優れて美しいものだと思う。それがこの初期の掲出句にすでに見られる。

15

寛政句帖
寒き夜や我身をわれが不寐番
寛政4年
1792
30歳
鑑賞日
2005
3/25
 〈不寐番〉は[ねずのばん]と読む

 そんなに面白みのある句ではないが、この覚醒感が良いと思ったので頂いた。自分の有り様を見つめているもう一人の自分がいる。一茶は多様でダイナミックな生を送った人物であると感じているが、そのような生はこの覚醒感があるからこそ有り得たのではないかと思うのである。一茶に限らず多様でダイナミックな人間には、自分を醒めて見ているもう一人の自分が自覚されているような気がする。そうでなければ、その人の人格はばらばらになってしまうからである。


16

寛政句帖
雲に鳥人間海にあそぶ日ぞ
寛政5年
1793
31歳
鑑賞日
2005
3/26
 風景とか時間の大きな把握である。大きな空間と時間の一部としてのこの場この時を切り取って「ぞ」と言っている。
 雲に鳥、は、鳥雲に入る、ということで、渡り鳥が春になり集団で北へ帰ってゆく時の光景である。
 時代性、個人性を越えた普遍的な宇宙感覚を感じる。

17

寛政句帖
君が世や茂りの下の耶蘇仏
寛政5年
1793
31歳
鑑賞日
2005
3/27
 〈耶蘇仏〉は[やそぼとけ]と読む。丸山一彦校注「一茶俳句集」(岩波文庫)には、隠れキリシタンが信仰したマリア像か、とある。

 「国を治める良い君主がいて、天下泰平、国は平和に治まっています。そのように見えます。そしてこの国の隆盛を表わすかのように木々や草々はおう盛に茂っています。しかし、よく見ると、その茂りの下には御法度であるキリシタンの信仰するマリア像が人目を避けて安置してあるようですな。心なしか、このマリア像は悲しみを帯びているようにも見えますが」といったところか。
 この句にも一茶の、はぐれ者に対する共感のようなものがある感じがする。弱いもの、虐げられた者、はぐれ者、負け組への共感はキリスト教の真髄だと思うが、一茶にもそのような資質があったに違いないと見ている。


18

寛政句帖
秋の夜や旅の男の針仕事
寛政5年
1793
31歳
鑑賞日
2005
3/28
 いかにも下層階級の男の一人旅という風情である。胡座をかいて、時々蚊を打ったり尻を掻いたりしながら針仕事をしている男の姿が目に浮かぶ。一茶自身のことかもしれない。わびしくもあるが、庶民的な情趣もあって好ましい。

19

寛政句帖
遠里や菜の花の上のはだか蔵
寛政6年
1794
32歳
鑑賞日
2005
3/29
 〈はだか蔵〉とは漆喰を塗っていない粗壁の土蔵

 いかにも田舎の懐かしい風景という感じがする。実際に遠くに見える風景を描いたのかもしれないが自分の古里の風景を重ね合わせているに違いないと思う。この句の何句が前に「初夢に古郷を見て涙哉」というのがあるから、余計にそう思うのである。
 「はだか蔵」という言葉がとても親しみを覚える言葉である。一茶もこの言葉を使ったときに、子どもの頃に裸であそんだ懐かしい思い出なども心を過ったかもしれない。


20

寛政句帖
朝霜に野鍛冶が散火走る哉
寛政6年
1794
32歳
鑑賞日
2005
3/30
 鍛冶屋が鉄を打つ時に散る火の粉が朝霜の上にはしった、という印象鮮明な写生句である。この句に前後して

 涼しさや半月うごく溜り水
 せゝなぎや氷を走る炊ぎ水

  〈せゝなぎ〉は下水のこと

のような句もある。一茶らしくないとも言えるし、一茶の幅広さとも言えるかもしれないし、初期の試みの一つと言えるのかもしれない。読み進んでみないとわからない。

表紙へ 前のページ 次のページ
inserted by FC2 system