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与謝蕪村を読む 71〜80

71

蕪村句集 

冬の部
巻之下
蕭条として石に日の入枯野かな
鑑賞日
2005
2/19
 蕭条〉は[せうでう]、〈入〉は[いる]と読む

 蕭条(しょうじょう)は広辞苑でひくと、ものさびしいさま・しめやかなさま、と出ている。この「蕭条」と「石に日の入枯野」が響きあって美しい。このように漢語を使いこなせるということが羨ましくも思える。また「石に日が入る」とした表現も意表をついて新鮮である。
 風格もあり、美しくもある。傑作である。 


72

蕪村句集 

冬の部
巻之下
待人の足音遠き落葉哉
安永6
1777
62歳
鑑賞日
2005
2/20
 「待ち人の足音遠き」と言っているが、私には実際には聞こえていない雰囲気がある。ただ、心の中でかすかに聞こえているのだ。目の前にはときどき落葉のかさかさという音がたまに聞こえるだけである。静かな空間と時間の中で、作者の期待感の心音が聞こえてくるようだ。

73

蕪村句集 

冬の部
巻之下
凩に鰓吹るゝや鉤の魚
安永4
1775
60歳
鑑賞日
2005
2/21
 〈鰓〉は[あぎと]と読む。えらのこと。〈吹〉は[ふか]

 かぎ状のものに引っかけられた魚のえらが木枯しに吹かれている、というのである。誰もいない漁村の海辺の寒々とした風景が目に見えてくる。
 「鉤の魚」ということで、そこは漁村の海辺であり、またことさら「鉤の魚」に目がいくということで、そこには他に誰もいないということが暗示されている。また鉤に引っかかってぱっくり開いた魚の鰓を木枯しが吹きさらしているというのはやはり寒々とした感じを受ける。
 小さなものに焦点をしぼって書いて、その辺りの大きな風景を描き得ている。

 この句の前書には〈大魯が兵庫の隠栖を几董ととゝもに訪ひて、人々と海辺を吟行しけるに〉とあるから、実際には「誰もいない」という私が受けた感じとは違った環境で作られたのだが、私の受けた感じは上のようであったのである。


74

蕪村句集 

冬の部
巻之下
鰒汁の宿赤\/と燈しけり
明和5
1768
53歳
鑑賞日
2005
2/22
 〈鰒汁〉は[ふくじる]と読む。ふぐ汁のこと

 ご存知のとおり鰒は毒を持っているから、下手をするとそれに当ることもある。しかし鰒はとても旨い。逆に言えば、毒があると知っているから、かえって旨いと感じることもある。危険なものにはまた違った意味で味が増すのだ。「宿赤\/と燈しけり」がその辺の感覚を捉えている。


75

蕪村句集 

冬の部
巻之下
雪折やよし野の夢のさめる時
安永7
1778
63歳
鑑賞日
2005
2/23
 雪折とは雪の重さで竹や雪が折れることを言う。大きな竹の雪折れ時には豪快な音をたてて、雪が四方に飛び散る。
 この雪折という事実と、よし野の夢という言葉からくる印象とが鮮やかな対比を作って、瞬時の覚醒感を演出している。

76

蕪村句集 

冬の部
巻之下
宿かさぬ火影や雪の家つゞき
明和5
1768
53歳
鑑賞日
2005
2/24
 蕪村が旅をしていた時の句であろうか。冬、雪の夜、宿を探している蕪村。一晩の宿をお願いするが、軒並み断られる、その断られた家の火影が並んでいるというようなことであろうか。暖かそうな火影であるが、そこに住む人の心はそれほど暖かいものではないということを客観的に書いているようだ。恨み言を言っている感じではなく、あくまで事実を客観的に眺めている。これも蕪村の優れた性格だろう。

77

蕪村句集 

冬の部
巻之下
葱買て枯木の中を帰りけり
安永6
1777
62歳
鑑賞日
2005
2/25
 〈葱買て〉は[ねぶかかうて]と読む

 初冬の澄んだ、しかし寒い空気を感じる。葱も枯木もともに冬の季語であるが、その相乗効果もあり、身を細めて歩いてゆく作者の姿が印象深く感じられる。


78

蕪村句集 

冬の部
巻之下
靜なるかしの木はらや冬の月
明和5
1768
52歳
鑑賞日
2005
2/26
 これも冬の詩情あふれる絵画のようである。
 一般的に蕪村の句に関しては私はコメントが短いと思うが、コメントが短いからといって、感心度が少ないというわけではない。このような句はじっと見入って、その映像や雰囲気を味わっているだけで言葉を発する必要がないのである。実は私自身も、平明で何の説明の必要もなくじっと見入っていたいような句を作るのが理想なのである。

79

蕪村句集 

冬の部
巻之下
二村に質屋一軒冬こだち
明和年間
1764
〜72
49歳
〜57
鑑賞日
2005
2/27
 前の句「靜なるかしの木はらや冬の月」と同じようにしんとした冬の景色である。前の句が見上げたような感じを持っているのに対して、この句は高いところから俯瞰したような景色である。また前の句は自然だけの描写であるが、この句は自然の中の人間の営みが描かれている。

80

蕪村句集 

冬の部
巻之下
斧入て香におどろくや冬こだち
安永2
1773
58歳
鑑賞日
2005
2/28
 冬は色彩的にもモノクロームの世界であるが、匂いという側面からみても無味無臭という感はある。植物にしろ動物にしろあらゆるものが閉じてじっとして匂いさえも発しない。しかし、閉じているだけであって、その内部ではやはり生命活動が脈々と続いているのである。だから木立に斧を入れて幹を切り裂くと忽ちその生命現象の表明である匂いがしてくるのである。
 この句は冬というものをバックにしているからこそ、木の“いのち”というものを強く感じる。
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