表紙へ 前へ

与謝蕪村を読む 81〜89

81

蕪村句集 

冬の部
巻之下
御火焚や霜うつくしき京の町
明和年間
1764
〜72
49歳
〜57
鑑賞日
2005
3/1
 〈御火焚〉とは十一月、京都の諸社で庭火を焚く神事

 火というものは人間の心を清めてくれる力を持っている。ちろちろと紙や木が燃える炎を見ている時間は何かしら聖なるものがあるのである。最近では、生(なま)の火を見ることが少なくなった。私は山間部の村のようなところに住んでいるが、この辺りでさえも、ゴミなどを燃やすことは禁じられている。とにかくダイオキシンの汚染とかで禁止なのである。だから、なかなか生の火は見る機会が減ってしまった。残念なことである。
 真っ白い霜の上に焚かれる火はさぞかしのものがあるだろう。霜の降りた京の町の清々しい白さと赤い火の対比の中に、宗教的な清浄感高揚感が加味されて文句なく美しい。


82

蕪村句集 

冬の部
巻之下
宿かせと刀投出す雪吹哉
明和5
1768
53歳
鑑賞日
2005
3/2
 〈雪吹〉は[ふぶき]と読む

 旅のサムライが吹雪の中、宿を貸してくれと刀を投出したというのである。その刀を宿賃代わりにしてくれというのであろうか。浪人のような感じもする。この句の面白さは、何事にも動じるべきではないサムライが、吹雪のあまりの猛威に負けて恥も外聞もなく、せっぱ詰まったような人間的な味を出しているところにある。


83

蕪村句集 

冬の部
巻之下
古池に草履沈てみぞれ哉
〜明和8
〜1771

〜56歳
鑑賞日
2005
3/3
 「古池・・・」というと芭蕉の「古池や蛙とび込む水の音」がすぐ思い出される。蕪村も多分意識していただろう。芭蕉の句が聴覚から入って深い瞑想的境地を表わしているのに対して、この蕪村の句は視覚を働かせて美しい映像美を作っている。池に落ちた霙のわずかな波紋さえもが見えてくるような映像である。

84

蕪村句集 

冬の部
巻之下
寒月や衆徒の群議の過て後
不詳
不詳
鑑賞日
2005
3/4
 [かんげつやしゅとのぐんぎのすぎてのち]と読む。〈衆徒〉は多数の僧徒

 僧達が集まって議論をしている。やがてそれが終り、僧達が参会すると、そこにはただ寒月が煌々と照っている。皮肉めいてもいるし、多くの寓意も含んでいる。
 僧というのは本来仏に見習って真理を求める道を歩むものである。その者達が、何の議論か知らないがわいわいがやがやと議論している、そしてその議論が果ててその僧達がいなくなると、そこには本来の静かさが戻り、あたかも真理は常にそこにあったように寒月が煌々と輝いている、というのである。僧達に対する皮肉でもあるし、真理とはこのようなものであるという寓意も感じるのである。
 すべてのマインドのごたごたが去ったところに真理は常に輝いている・・・寒月が美しい。


85

蕪村句集 

冬の部
巻之下
しづ\/と五徳居えけり薬喰
明和年間
1764
〜72
49歳
〜57
鑑賞日
2005
3/5
 〈薬喰〉(くすりぐい)とは寒中の滋養のため獣肉を食うこと。〈五徳〉は炭火などの上に置く三本足や四本足の鉄製の道具

 昔の人は今ほど肉を食わなかっただろうが、それでも薬と称して肉を食ったのであろう。そしてこれは大変美味かったに違いないと想像する。何でも禁断のものはより美味く感じるのが人間の常である。禁断というほどでもないが、肉にはそれに近いような感じ方を持っていたに相違ない。「しづしづと五徳居えけり」といういかにもかしこまった仕草が、何となく恐れ多いが実は美味いものを食べ始めるという感じを出している。
 〈薬喰〉の句は他にも

 薬喰隣の亭主箸持参
 くすり喰人に語るな鹿ケ
 妻や子の寝皃(がほ)も見えつ薬喰
 客僧の狸寝入やくすり喰

などがある。


86

蕪村遺稿 

折もてるわらび凋れて暮遅し
安永9
1780
65歳
鑑賞日
2005
3/7
 〈凋〉は[しを]

 野山を散策して、その途中蕨などを見かけてそれを折り取って手に持ちながらなおも散策を続けるうちに、その蕨もだんだん萎びてきてしまう。それだけの長い時間を過しているのに日がいまだ暮れないでいる。やはりもう晩春の感じであるなあ、という感慨。蕨が手の中で温まってしおれている実感も伝わってくる。


87

蕪村遺稿 

流れ来て清水も春の水に入
安永7〜
天明3
1778〜
1783
63〜
68歳
鑑賞日
2005
3/8
 細い流れの冷たい清水が、ぬるまったい春の水に合流する。その水流の線の絡まり合いの動きが目に浮かんでくる。

88

蕪村遺稿 

昼舟に狂女のせたり春の水
安永7〜
天明3
1778〜
1783
63〜
68歳
鑑賞日
2005
3/9
 自然はのどかな季節である。ぬるんだ春の水がゆったりと流れてゆく。太陽の陽が川面や岸辺を暖かく照らしている。自然の中にあることの喜びが満ちるような季節である。しかし、その川面を進む舟の上には狂女が乗っているのである。人間の心の闇、人間の世の不条理とこのゆったりとした自然との対比が際立っている。・・・しかし、この狂女の在り方さえも美しい自然現象の一部なのだなあ、と感じられる境地もある。

89

蕪村遺稿 

田に落て田を落ゆくや秋の水
明和6
1769
54歳
鑑賞日
2005
3/10
 今日でこの蕪村鑑賞は終りになりますが、最後にこの一句を選べてよかったと思っています。蕪村という穏やかでバランスのとれた詩人に相応しい一句だと思えるからです。芭蕉のように万人を魅了する劇的な人生を歩んだわけでもなく、一茶のように執拗に生や句作に執着した痕跡もなく、ちょうどこの句のように水が田に落ちそしてまたその田から落ちてゆくようにひょうひょうとして澄んだ生を歩んだ詩人だという印象があるからです。

 田に落て田を落ゆくや秋の水

まさにこれが蕪村の生だったのではないでしょうか。

 蕪村に敬意を表してこの鑑賞を終ることにします。

西暦二千五年三月十日。田中空音

表紙へ 前へ

inserted by FC2 system