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与謝蕪村を読む 61〜70

61

蕪村句集 

秋の部
巻之下
甲斐がねや穂蓼の上を塩車
天明2
1782
67歳
鑑賞日
2005
2/9
 〈甲斐がね〉は今の山梨県の高山。〈塩車〉は甲州へ塩を運ぶ車  

 小さな部分だけを描いて全体を想像させ得る描写力である。甲斐がねの地を知らない私にも、その風土や人々の暮しぶりが親しみを持っていろいろ想像できる。「部分は全体を含む」とはよく言ったものである。


62

蕪村句集 

秋の部
巻之下
鳥羽殿へ五六騎いそぐ野分哉
明和5
1768
53歳
鑑賞日
2005
2/10
 〈鳥羽殿〉は京都の南郊、白河・鳥羽両院の離宮 

 映画の一場面を見るような臨場感がある。これがどのような歴史的意味を持つのか、あるいはそのような意味はないのか私は全く知らないが、とにかく「鳥羽殿」へ急ぐ五六騎というのは何か政治的な意味合いを感じる。人間社会の一つの出来事が自然の中の映像として捉えられていて、ここにはその映像美がある。


63

蕪村句集 

秋の部
巻之下
菊作り汝は菊の奴かな
安永3
1774
59歳
鑑賞日
2005
2/11
 奴(やっこ)は下僕とか家来とかいう意味であるから、「菊作りに一生懸命に励んでいるお方よ、あなたはまるで菊の家来のようですな」というような意味になる。軽い滑稽味を含んだ言い回しの中に、菊を作る人の様子がよく表現されている。

64

蕪村句集 

冬の部
巻之下
楠の根を靜にぬらす時雨哉
明和5
1768
53歳
鑑賞日
2005
2/12
 俳句ではよく言葉が動く動かないということをいう。それ以外の言葉ではその句が成立しないときその言葉は動かないという。この句では「楠」がそれである。他の木の名前ではこの情趣は出ないだろう。多分蕪村は楠の木の根元を濡らす時雨を見たのだろうから、作為はないのかもしれない。だから良い句というのは偶然にできるものだとも言えるし、たくさんある偶然のなかから詩的真実を掬いだす力量が優れた俳人にはあるのだ、と言えるのかもしれない。
 また面白いのは、私が楠の木を知らない、ということである。楠の木を知らなくても、この句の情趣が分かる、というのが面白い。逆に言えば、この句により、楠の木を知ったと言うこともできる。これは多分、図鑑などで、あるいは実際に楠の木を見て、楠の木を知るというよりもある意味では深い知識であるとさえ言える。

65

蕪村句集 

冬の部
巻之下
磯ちどり足をぬらして遊びけり
明和5
1768
53歳
鑑賞日
2005
2/13
 童心のような気持ちを感じる。ひねらないでものを見るということを知らされるような句で、心が洗われる。時々はこういう句を作りたいものである。


しろちどり
http://members.at.infoseek.co.jp/amiko465/foto/galerio2/galerio2.htmより転載


66

蕪村句集 

冬の部
巻之下
巨燵出て早あしもとの野河哉
明和3〜
4
1766〜
1767
51〜
52歳
鑑賞日
2005
2/14
 〈巨燵〉は[こたつ]と読む

 やはり、時間というものの不思議さを感じる。今までこの足の下には炬燵の火があったのに、今はもう足の下には野川が流れている、という感覚である。つまり、自分の足を中心に見ると、その足の下の景色が刻々と変わってゆくわけである。ものの動きを相対的に見ていることが、不思議な時間感覚を感じさせる原因である。


67

蕪村句集 

冬の部
巻之下
飛弾山の質屋とざしぬ夜半の冬
安永9
1780
65歳
鑑賞日
2005
2/15
 〈飛弾〉は[飛騨]のこと。〈夜半の冬〉は冬の深夜のこと

 上手いと思う。飛騨の山の中の冬の夜の寒々とした感じが伝わってくる。「質屋」が上手いのだ。この言葉を見つけだすにはそれなりの何らかの事実が創作の背後に隠されているのだろうが、出来上がった句を見れば、そんなことは一切感じさせないで、ただ質屋が閉まっていたという事実だけが提示されていて、上手いなあと思うのである。


68

蕪村句集 

冬の部
巻之下
狐火の燃へつくばかり枯尾花
安永3
1774
59歳
鑑賞日
2005
2/16
 夢幻的な枯野の風景である。蕪村のこのような現実と夢の境にあるような句は他にもあったが、これはたとえば虚子などにも現れる系譜である。たとえば虚子の

 怒濤岩を噛む我を神かと朧の夜
 藤の根に猫蛇相搏つ妖々と
 凍蝶の己が魂追うて飛ぶ
 榾木焚き呉る丶女はかはりをり
 爛々と昼の星見え菌生え

などは同じような雰囲気を持っている。


69

蕪村句集 

冬の部
巻之下
息杖に石の火を見る枯野哉
安永7
1778
63歳
鑑賞日
2005
2/17
 〈息杖〉は[いきづゑ]と読み、駕籠などの重荷をかつぐ人の持つ杖 

 駕籠かき人足などの持つ杖が野原の石に当って火花が散るということであろう。細かいことに注意を向けて上手く表現しているな、と感心しているうちに、その情景が目に見えてくるようで、またまたその手腕に感心してしまう。しまいには駕籠かきの息づかいまでが聞こえてくる。


70

蕪村句集 

冬の部
巻之下
我も死して碑に辺せむ枯尾花
安永6
1777
62歳
鑑賞日
2005
2/18
 〈金福寺芭蕉翁墓〉と前書。〈辺〉は[ほとり]と読む 

 芭蕉への思慕がほのぼのと伝わってきて好感が持てたので頂いた。やはり全ての俳人にとって芭蕉は心の古里である。自分の生涯(命と言ってもいい)を俳諧の道に賭けた人、芭蕉。俳諧を職業にした専門家はたくさんいるが、芭蕉の場合は単に職業だったというよりも、自分の命の火をそこで燃やしたという印象が特に強いのである。そしてだからこそ、あのような類いまれな句が生れたのであり、全ての俳句をやっている人の始祖であることは間違いない。

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