表紙へ 前のページ 次のページ

金子兜太全句集鑑賞1241〜1250( 句集後 673〜682)

1241/kushuugo 673

句集後
「海程」512号/東国抄289

 沖縄にて
蒼暗の海面われを埋むるかに
「海程」の発行
平成27年5月
(2015)96歳
鑑賞日
2015年
5/19

 海面(うなづら)、埋(う)とルビ

 『金子兜太句集』の〈トラック島回想 十一句〉と前書きのある句の中に

珊瑚の海へ餓死者を埋むぞくぞく埋む  

という句がある。


1242/kushuugo 674

句集後
「海程」512号/東国抄289

 沖縄にて
洋上に硫黄島見ゆ骨の音も
「海程」の発行
平成27年5月
(2015)96歳
鑑賞日
2015年
5/22

 硫黄島(いおうとう)は、小笠原諸島の南端近くに所在する、東西8 km、南北4 kmの島である。行政区分上は東京都小笠原村に属し、東京都区部からは、南方におよそ1,200 kmに位置する。島内の最高峰は、摺鉢山(標高169 m)であり、硫黄島は周囲の島々と合わせて火山列島(硫黄列島)と呼ばれる列島を形成している。活火山の火山島であり、地熱が高く、島の至る所で噴気が有り、噴出する火山ガス(二酸化硫黄等)により、特有の臭いが立ち込めている。
 現在は海上自衛隊と航空自衛隊の基地が置かれており、基地関係者以外の民間人の全島への立ち入りが制限されている。しかし、太平洋戦争(大東亜戦争/第二次世界大戦)の激戦地(硫黄島の戦い)として知られ、旧島民らの慰霊などのための上陸は例外として許される。このため小笠原諸島に属しているが小笠原国立公園からは除外されている。 Wikipediaより

 硫黄島が沖縄から現実に見える筈はないから、作者の心の目で見たということだろう。


1243/kushuugo 675

句集後
「海程」512号/東国抄289

 沖縄にて
歳を重ねて戦火まざまざ桜咲く
「海程」の発行
平成27年5月
(2015)96歳
鑑賞日
2015年
5/24

 結局そういうキナ臭い時代が再び巡ってきたということかもしれない。戦争をやりたがっている輩が現在の政権の中枢を担っているということである。感受性のある人、それが戦争体験者なら尚更、戦火がまざまざと甦ってきてしまうのだろう。愚鈍な人達が政権を担っているということ、その政権を選んでしまった日本人もだんだんと愚鈍になって来ているということかもしれない。


1244/kushuugo 676

句集後
「海程」512号/東国抄289

 沖縄にて
沖縄を見殺しにするな春怒濤
「海程」の発行
平成27年5月
(2015)96歳
鑑賞日
2015年
5/25

 「今だけ此処だけ自分だけ 良ければいい」というのが今の政権の心の中味である。その象徴が福島であり沖縄である。福島は見殺しにするのにほぼ成功しつつあるように見える。だから沖縄は象徴的に言えば最後の砦である。この沖縄が見殺しにされるようでは日本の良心も終わりに近い。日本の民衆は春怒濤のように今の政権にノーと言うべきだ。


1245/kushuugo 677

句集後
「海程」513号/東国抄290

茸狩る山を越えれば風の国
「海程」の発行
平成27年6月
(2015)96歳
鑑賞日
2015年
6/5

 金子兜太らしくない句の感じである。何か甘いのである。何かふわふわっとしているのである。何か土臭くないのである。私が書きそうな句であるともいえる。


1246/kushuugo 678

句集後
「海程」513号/東国抄290

冬紅葉君満面の笑い顔
「海程」の発行
平成27年6月
(2015)96歳
鑑賞日
2015年
6/6

 何の作為もなく全的に笑える大人は少ない。全的に泣ける大人もおそらく殆どいない。全的に怒れる人も少ない。つまり全的であるということがとても難しい世なのだ。それに引き換え、幼児や動物や植物はまだ全的に生きているようにみえる。この句における「君」の満面の笑い顔が全的なものであるなら、それはとても美しいに違いない。冬紅葉のように。


1247/kushuugo 679

句集後
「海程」513号/東国抄290

われ生きて猪の親子と出会うこと
「海程」の発行
平成27年6月
(2015)96歳
鑑賞日
2015年
6/7

 私の住んでいる地域ではここ数年は猪の被害が獣の害の中では一番目立つ。年毎に近くにやって来るようになった。去年は家の庭にまで進入して土を掘り返していった。私はその姿を見なかったが近所の人の話では、親子づれの猪がこの辺りをうろついていたそうである。実は私はまだ一度もこの辺りで猪に出会ったことがない。猿にはちょくちょく出会うが熊や猪にはまだだ。彼等は昼間はあまり行動しないということだろうか。そのうち出会うかもしれない。


1248/kushuugo 680

句集後
「海程」513号/東国抄290

片栗にとぐろを巻きし真蛇かな
「海程」の発行
平成27年6月
(2015)96歳
鑑賞日
2015年
6/8

 次はWikipediaからの記述 

 真蛇(しんじゃ)とは能面の一種。
「般若(はんにゃ)」と呼ばれる女の鬼の面の中でも、もっとも罪業深く、ほとんど蛇になってしまった面を真蛇(しんじゃ)と呼ぶ。嫉妬のあまり、顔がほとんど蛇と化し、耳は取れ、口は耳まで裂け、舌が覗き、牙も長く、髪もほとんどなくなるとされている。なお、角の生えているものはすべて女性の鬼で、男性には生えない。

 * 女が角を持った蛇と化す怪異話は、『吾妻鏡』にも記述されており、文応元年(1260年)10月15日条には、「北条政村の女が邪気を病んだが、これは比企能員の女である讃岐局(さぬきのつぼね)の霊が祟りをなしたゆえであった。局は大蛇となり、頂(いただ)きに大きな角がある。女は火炎の如く、常に苦を受ける。当時、比企谷(ひきがやつ)の土中にいて、言を発した。これを聞いた人は身の毛もよだつと言った」。11月27日条に至り、「夜に供養の儀があり、説法の最中、件の姫君、悩乱し、舌を出し、唇をなめ、身を動かし、足を伸ばした。ひとえに蛇身が出現した時と似ている。加持が行われた後、言をやめ、眠るが如く、復本したという」。この事からも、真蛇に類した話は、少なくとも13世紀中頃末には確認できる。

 ただしこの句における真蛇(まへびと読むのかもしれない)は先ず蛇そのものであると受けとるべきだろう。その上でのWikipediaにおけるような連想である。


1249/kushuugo 681

句集後
「海程」513号/東国抄290

母さんの涼しい横顔黒潮来
「海程」の発行
平成27年6月
(2015)96歳
鑑賞日
2015年
6/9

 黒潮(くろしお、Kuroshio Current)は、東シナ海を北上してトカラ海峡から太平洋に入り、日本列島の南岸に沿って流れ、房総半島沖を東に流れる海流である。(Wikipedia)
 黒潮といえばちょっとスリルのある経験をしたことがある。私はトカラ列島の島の一つの火山島である諏訪之瀬島に仲間と一緒に住んでいたことがある。仲間四五人で小さなアウトリガーつきのボートで沖に漕ぎだしたことがあった。海は凪でまことに気持ちのいい日和であり、かなり沖まで漕いでいった。ふと気が付くと島影が凄いスピードで遠ざかって行く。もしかしたらこれは黒潮に乗ってしまったのではないか、そうだとしたらこのままどんどん流されていってしまう可能性がある。慌ててみんなで思いっきりボートを漕いでやっとその流れから脱した。そういう経験である。


1250/kushuugo 682

句集後
「海程」513号/東国抄290

葭切が団扇祭りの酔い囃す
「海程」の発行
平成27年6月
(2015)96歳
鑑賞日
2015年
6/10

 自然と人事の共感あるいは協奏である。自然によって囃されるくらいの人事が丁度いいのかもしれない。自然によって囃され得ない、あるいは自然と協奏でき得ない人事というものはやり過ぎなのかもしれない。身近な例は沢山あるが、最も過激な例として上げれば戦時における爆撃は自然が囃し得るだろうか。最大の過激な例としては原爆の爆発はどうだろう。これを自然が囃すとすれば巨大な大地震や火山の大噴火などがあるかもしれない。つまり人間の営みを破壊する程のことが相応しいかもしれない。


表紙へ 前のページ 次のページ
inserted by FC2 system