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高浜虚子を読む141〜150(五百五十句 31〜40)

141/gohyakugojukku-31

五百五十句』

寒といふ字に金石の響あり
昭和15年
鑑賞日
2004年
9月14日
 こう言われてみればまさにそうであるし、またこのK音を響かせた言い方そのものに金石の響きがある。またこういう事実があるから、140で取り上げた「大寒の埃の如く人死ぬる」にある種の尊厳が備わってくるのだろう。

142/gohyakugojukku-32

五百五十句』

寒真中高々として産れし声
昭和15年
鑑賞日
2004年
9月15日
 「大寒の埃の如く人死ぬる」と一対になるような句である。一対として考えると、この句も人間の誕生そのものを祝うという感じではなく、それを物としての声という側面で即物的に捉えていると言える。死も誕生も自然界で起こる他の現象と同じであると理知的に理性的に見ようとしているようだ。物事を心情的に見ていくと、それに振り回されて生きづらくなってくるから、虚子のこの態度は良く解るのではあるが。
 この句集のこの句の一句前に「大寒といふといへどもすめらみくに」という句がある。「すめらみくに」は天皇の統治する国という意味であるから、どうしても虚子は天皇を敬愛していたと取れる。虚子は自分の心情的な部分を天皇というものを通して何か大きな存在に預けていたのかもしれない。この辺りはどうもはっきりしない。私は芭蕉、兜太、虚子の句の鑑賞を続けているが芭蕉、兜太は分かりやすく、一番中途半端で解りづらいのが虚子という人間である。句は解りやすいが、人間が分かりづらい。

143/gohyakugojukku-33

五百五十句』

まろびたる娘より転がる手毬かな
昭和15年
鑑賞日
2004年
9月16日
 〈まろぶ〉とは[転がる、ころぶ」という意味である。転んだ小さな女の子から手毬が一つ転がって出た、というのである。可愛らしい愛らしい一つの場面である。可愛らしいのと、まろぶ・転ぶという連なった動きがリズミカルで心地良いので頂いた。
 そういえば、いわさきちひろの絵にこういう図柄の絵があったような気がしたし、この句は彼女の描く少女像の雰囲気を思い出させる。彼女の絵を一枚


ポインセチアと少女


144/gohyakugojukku-34

五百五十句』

万才のうしろ姿も恵方道
昭和15年
鑑賞日
2004年
9月19日
 「恵方」を大辞林で引くと《陰陽道(おんようどう)で、その年の干支(えと)に基づいてめでたいと定められた方角。その年の歳徳神(としとくじん)のいる方角。明きの方。きっぽう。》とある。
 私は「恵方道」を単に〈祝福された道〉というくらいに取って感受した。万才師二人が歩いてゆく、そのうしろ姿に祝福されたものを感じるというのである。
 人生同行二人、会話しながら・笑いながら・時には突っ込み突込まれ歩いて行く。そんなふうに二人が歩いて行く道、それはすなわち恵方道だと思った。浄土感のある明るい句である。

145/gohyakugojukku-35

五百五十句』

日についでめぐれる月や水仙花
昭和15年
鑑賞日
2004年
9月20日
 きれいな句である。「水仙花」というのがぴったりである。水に映った自分の姿に見惚れてしまって時を忘れついに水仙になってしまったというギリシャ神話の美少年ナルシスの話がどうしても思い出される。日や月が巡るあいだずっとナルシス(水仙)は水辺で美しく咲いている。

146/gohyakugojukku-36

五百五十句』

鎌倉に實朝忌あり美しき
昭和15年
鑑賞日
2004年
9月21日
 源実朝は頼朝の子で政治的には不遇で二十七歳の時に暗殺されるという生涯を送った歌人である。

 大海の磯もとどろによする波われてくだけて裂けて散るかも
 塔をくみ堂をつくるも人のなげき懺悔にまさる功徳やはある    実朝

 句はこの実朝への思いを簡潔に美しく表現した。


147/gohyakugojukku-37

五百五十句』

榾木焚き呉る丶女はかはりをり
昭和15年
鑑賞日
2004年
9月22日
 〈夢中の句〉と前書がある

 囲炉裏か何かで榾木を焚いて呉れた女が変わって行った、というのである。この女が実は狐だったのか妖怪変化だったのかは分からないがとにかく変化したのである。女の本性を現したということかも知れない。とにかく妖しげな雰囲気をもった物語のような句である。
 虚子には時々このような伝奇風というか妖しげなという雰囲気の句がある。

 怒濤岩を噛む我を神かと朧の夜
 藤の根に猫蛇相搏つ妖々と
 狐火の出ている宿の女かな

等々である。これは後年の「爛々と昼の星見え菌生え」に繋がっていく感覚だろう。


148/gohyakugojukku-38

五百五十句』

牡丹花の雨なやましく晴れんとす
昭和15年
鑑賞日
2004年
9月23日
 「白牡丹といふといへども紅ほのか」という秀句があるが、この掲出句も牡丹の花の色香がなやましく表現されている。牡丹の花を女性と見立てたような句である。ためしに「牡丹」を取り上げた虚子の句にどのようなものがあるか検索してみた。
http://www.jfast1.net/~takazawa/

 その一部

牡丹の一弁落ちぬ俳諧史 〈松本たかし死す〉
寺維持の尼の願ひや牡丹の芽
鎌倉の古き土より牡丹の芽
ほむらとも我心とも牡丹の芽
人の世の今日は高野の牡丹見る
牡丹のみ偏愛するといふ勿れ
我庭の牡丹の花の盛衰記
この牡丹卑しけれども杖を立て
諸事は措き牡丹に心うつしけり
牡丹の日々の衰へ見つゝあり
牡丹に所思あり稿を起さんと
鎌倉や牡丹の根に蟹遊ぶ
一弁を仕舞ひ忘れて夕牡丹
霜除をとりし牡丹のうひ/\し
牡丹花見廻り客を待ちにけり
牡丹を風雨に任せつゝ嘆く
咋日今日客あり今日は牡丹剪る
そのあたりほのとぬくしや寒牡丹
惨として驕らざるこの寒牡丹
牡丹散る盃を銜みて悼まばや
苞割れば笑みこぼれたり寒牡丹
牡丹花の面影のこし崩れけり
牡丹花の雨なやましく晴れんとす
人形の前に崩れぬ寒牡丹
雨風に任せて悼む牡丹かな
白牡丹といふといへども紅ほのか
船にのせて湖をわたしたる牡丹かな

 これだけの句があった。牡丹に対する思い入れの句がこれだけあるということである。虚子は牡丹好きであると言える。


149/gohyakugojukku-39

五百五十句』

涼しさは下品下生の仏かな
昭和15年
鑑賞日
2004年
9月24日
 〈下品下生〉は[げぼんげしょう]と読む。下品とは極楽浄土を上・中・下に三分した最下位のもの、それをさらに上生・中生・下生に分かつ(広辞苑)。つまり下品下生は極楽浄土を九階級に分けた一番下のもの、ということになる。「この涼しさを味わっていると、まあ極楽浄土の上の位とは言えないまでも極楽浄土の最下位の仏くらいの良い気持ちである。その気楽さが楽しくもあり、また却って肩肘張らずに過せて良いものだ」というような感じであろうか。
 小林一茶に「下々も下々下々の下国の涼しさよ」という句がある。一茶の句は一茶自身の境涯感から出てきた真実味が強い句である。それに比べると虚子のこの句は軽いが、〈涼しさ〉という季節感を表現したものと取ればそれなりの味はある。

150/gohyakugojukku-40

五百五十句』

浜砂に儚き春の小草かな
昭和15年
鑑賞日
2004年
9月25日
 浜の砂の上の小さな草のいのちに対する慈しみの目が快い。
 ところで私なら、この小草に対してこのように「儚い」という感じは抱かないだろう。すぐにでも波に洗われて消えて行ってしまうかもしれない小草も、大きな自然の身体の一部であるという感じ方を持っているからである。〈無常観〉というのは個々の存在物をばらばらな個別の存在と見ることから生じる観念である。個別の存在と見えるものも、絶対的一者の一部であるというのが私の根本的な把握である。
 しかしそうは言っても、この小さきものに対する共感は快いものがある。「浜・・儚き・・春の・・」というH音の連続も快い。
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