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高浜虚子を読む1〜10(『五百句』1〜10)

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『五百句』

風が吹く佛来給ふけはひあり
明治時代
鑑賞日
2004年
4月6日
 日常の次元を越えたものと私たちは隣り合わせに暮らしている。それは例えば、死後の世界であったり、神の世界であったりするわけである。日本人はその異次元の世界を仏事などの時に感じることが多いのであるが、ことさらそれを仏教や宗教に結びつける必要はなく、人それぞれ日常の世界ではない何かとの交感が持つということが大事なのである。そして私は俳句というものが、この日常とあの非日常を結びつける小さな掛け橋になりうる事を信じている。この句、まさにそれである。

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『五百句』

怒濤岩を噛む我を神かと朧の夜
明治時代
鑑賞日
2004年
4月7日
 大した自我意識である。ただこの自我意識がエゴの感じを持たせないのは描かれた大自然のなせる技だろう。私は虚子は西洋の絵画史でいうとセザンヌにあたるのではないかと思っている。セザンヌは自然を愛し自然を描いた画家だが、何をかれが描こうが、そこには彼の持つ堅固な個性が顔を覗かせている。虚子もそうだ、彼がどんなに写実だ花鳥諷詠だと言っても、そこには誰も真似のできない虚子の個性が現れるのである。この初期の句にはそのまだ荒々しい自我意識がもろに見られる。

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『五百句』

海に入りて生まれかはろう朧月
明治時代
鑑賞日
2004年
4月8日
 俳句特有の微妙なものがある。「生まれかはろう」というのは作者自身の決意にも取れるし、朧月に呼びかけているとも取れる。この微妙なところが俳句の一つの良いところでもある。いずれにしろ若々しい句で、好きな一句である。

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『五百句』

先生が瓜盗人でおはせしか
明治時代
鑑賞日
2004年
4月9日
 先生への親しみ、と僅かに滑稽味もある。が、何か悲しい。人間の性を描いているのだが、虚子の人間を見る目は皮肉であり、多分それゆえに何か悲しいのだ。

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『五百句』

蚊帳越しに薬煮る母をかなしみつ
明治時代
鑑賞日
2004年
4月10日
 「かなしみつ」を平仮名書きにしたのは「愛しみつ」「哀しみつ」などのニュアンスを含ませたものと思う。
 この前、加藤楸邨が芭蕉について書いていたものを読んだが、芭蕉は母への思いを詠んだ句はあるが父へのそれは無いという。そして人間は母への思いが強い人と父への思いが強い人と居、自分は父への思いが強いというようなことを書いていた。果たして虚子はどうだろうか、その辺りにも注目しながらこの鑑賞を進めて行きたい。

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『五百句』

蛇穴を出て見れば周の天下なり
明治時代
鑑賞日
2004年
4月11日
 不思議な感覚に襲われる。嘗て私が蛇であって、穴を出てみたら周の天下だった、というのを実際に見たかの如き感覚である。この感覚がどうして起こるのかなど詮索しても始らないし、詮索しようがない。ただ、こういう人間の無意識の感覚を掘り起こす事のできるこの句は秀句であることは間違いない。

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『五百句』

亀鳴くや皆愚かなる村のもの
明治時代
鑑賞日
2004年
4月12日
 「皆愚かなる村のもの」という事実を「亀が鳴く」で暗喩させていて説得力がある。人間は愚かである。特に村の者は何も自分で考えず、自分が感じた事を信じもせず、お上から与えられたものをラクダが物を食むようにもぐもぐと食んでいる。この事実を「亀が鳴く」という言わば虚無的な季語(実際には亀は鳴かない)で言い切ったのは存在の本質を抉った洞察力があると言える。
 ただ、気になるのは、虚子自身はどうなのか、ということ。私には虚子が“高く構えている”のではという感じがしてしまうのだが。

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『五百句』

五月雨や魚とる人の流るべう
明治時代
鑑賞日
2004年
4月13日
 「べう」は「べき」と同じ、「・・だろう」「・・するのが当然だ」というような意味。
 直感的に虚子はセザンヌに似ていると思っていたが、この句などを見ると、やはりそうかなどと思う。セザンヌは人物でも石でも同じように描く。物事を情に捕われないで客観的に描く、ということだろう。この書き方が上手くゆく時には、素晴らしい造形性をもって読み手を魅了するが、この句の場合はやはり「人間てこんなもんじゃないよ」という感じは否めない。

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『五百句』

遠山に日の当りたる枯野かな
明治時代
鑑賞日
2004年
4月14日
 人間を描くときには、時に皮肉な眼差しを向けたり、冷たいのではと思うことがある虚子が、こんなに大きく、あたたかで、ふところの深い風景句を作るのだ。自然というものはこんなにも大きく人間を包み込んでくれるものなのだ。この句の世界に浸っていると、全てが充足していてもはや何も余分なものはいらない、という平和な気持ちになる。
 虚子の最高傑作の一つに間違いないし、俳句の歴史の中でも最高傑作の一つである。
 後年、虚子は「花鳥諷詠」という主張をしたそうである。その意味はあまりよく知らないが、「花鳥諷詠」ということを「外界の自然を主に詠む」ということに解すれば、それは外側の自然を詠むときに彼自身が非常に素直になれた、という虚子の経験から生まれたものではないか、とさえ思えるほどにこの句は素晴らしい。

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『五百句』

秋風や眼中のもの皆俳句
明治時代
鑑賞日
2004年
4月15日
 大した自信である。というか境地である。虚子の句集を読んでいると、このような境地で作っていったのか、というのが頷ける。このような疑いのない俳眼というのはどこから来るか。私の推測するところによると、それはこの自然への大いなる信頼から来る。彼の目には取り巻く全ての環境がいわば神の啓示のような感じに見えていたに違いない。幸せな時代の幸せな俳人だったと言えるかも知れない。
 現代、否応なく自然破壊が進み、コンクリート文明の中にいて、果たしてこのようなおめでたい態度が取れるかは大いに疑問があるが、とにかく虚子の仕合せには乾杯したい気持ちはある。
 この句、中七座五の境地についてコメントしたが、上五の「秋風」が中七座五をしっかり支えていることは間違いない。


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