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小林一茶を読む51〜60
文化句帖
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かつしかや月さす家は下水端
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文化2年
1805 |
43歳 |
鑑賞日
2005 5/3 |
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水原秋桜子の有名な句に「葛飾や桃の籬(まがき)も水田べり」というのがある。それを思い出した。この秋桜子の句も一茶の句も、ともに葛飾という地の雰囲気がでていて良い句である。秋桜子の句が葛飾を風景として純粋に捉えているのに対して、一茶の句はそこに庶民感覚がある、庶民のおどけがある。秋桜子は医者の家柄という恵まれた育ち、一茶は農民の出という違いからくるものかもしれない。 |
文化句帖
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又ことし娑婆塞ぎぞよ艸の家
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文化3年
1806 |
44歳 |
鑑賞日
2005 5/4 |
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〈娑婆塞ぎ〉は[しゃばふさぎ]、〈艸〉は[くさ]と読む 〈遊民\/とかしこき人に叱られても、今更せんすべなく〉と前書 この居直りが良い。かしこき人には言わせておけばいい。だいたい自分が立派だ、有用だ、かしこいなどと思っている人ほど鼻持ちならないものはない。彼らこそ実は娑婆塞ぎなのである。いずれにしろ人間は娑婆塞ぎ、それを自覚していることこそ尊い。 |
文化句帖
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落柿舎の奈良茶日つゞく木芽哉
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文化3年
1806 |
44歳 |
鑑賞日
2005 5/5 |
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〈落柿舎〉は京都嵯峨にあった去来の別荘。〈奈良茶〉は奈良茶漬で、葉茶の汁で炊いた飯に大豆・小豆・栗・くわいなどを加え、塩で味付けしたもの。芭蕉が説くに好んだ食事。(丸山一彦校注『一茶俳句集』より)
いかにも美味しそうなので。また、木の芽との配合がいい。 |
文化句帖
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人寄せぬ桜咲きけり城の山
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文化3年
1806 |
44歳 |
鑑賞日
2005 5/6 |
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皮肉まじりの一茶の物言いが可笑しい。 |
文化句帖
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うら門のひとりでに明く日永哉
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文化4年
1807 |
45歳 |
鑑賞日
2005 5/9 |
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「明く」は「開く」ではないか。そう取った。 春の日永ののんびりとした感じがよく出ていると思った。「うら門がひとりでに開く」というのがいい。時間とか空間のある種の不思議さがある。 |
文化句帖
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春風に箸を掴んで寝る子哉
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文化4年
1807 |
45歳 |
鑑賞日
2005 5/10 |
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一茶の〈子どもへの眼差し〉が感じられる。 |
文化句帖
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いざゝらば死ゲイコせん花の陰
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文化5年
1808 |
46歳 |
鑑賞日
2005 5/12 |
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西行の「願はくは花の下にて春死なむその如月のもちづきのころ」を踏まえていることはあきらかである。 この句は西行の歌に比べると軽いが、死のことが頭の片隅にあることは確かである。死のことを常に念頭において生きるのは良いことだ。後年一茶には「花の影寝まじ未来が恐ろしき」という迫真の句がある。 |
文化句帖
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ちる花にはにかみとけぬ娘哉
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文化5年
1808 |
46歳 |
鑑賞日
2005 5/13 |
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何とも明るく、また爽やかなエロチシズムがある。 |
文化句帖
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白魚のどつと生るゝおぼろ哉
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文化5年
1808 |
46歳 |
鑑賞日
2005 5/14 |
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いのちの躍動感を感覚的に言いきった秀作である。 |
草津道の記
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貌ぬらすひた\/水や青芒
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文化5年
1808 |
46歳 |
鑑賞日
2005 5/15 |
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〈貌〉は[かほ]と読む
一茶といえば一般的には「痩蛙負けるな一茶是にあり」だとか「雀の子そこのけそこのけお馬がとほる」だとかで知られるように、ある一定のイメージで見られるが、この句や前の句のように感覚の冴えた句も作ったんだなあという感想である。 |
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