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小林一茶を読む31〜40

31

暦裏句稿
のべの梅かぢけ仏のまし\/ける
享和2年
1802
40歳
鑑賞日
2005
4/13
 〈かぢけ(かじけ)仏〉とは寒さにこごえた野仏《岩波・一茶句集注》

 名の有る仏師に彫られた仏よりも、野にあるこごえた風情の仏にむしろ心が動かされる。そういう一茶の気持ちに私も同感である。今はこごえているが、もっと暖かくなってくれば、日の光に燦々と照らされて、また暑い夏には夕立のシャワーなどにも当ることができる。野仏もそんな捨てた境遇ではない。一日中部屋の中に居て、線香にいぶされているよりはましかもしれないぞ。


32

暦裏句稿
八ツ過の家陰行く人春の蝶
享和2年
1802
40歳
鑑賞日
2005
4/14
 〈八ツ過〉とは午後二時過ぎのこと

 八ツ過ぎの家陰を行く人がいる。それは作者自身なのか、他者なのか、あるいは人だと思ったら蝶であったのか。その全部ともとれる。その微妙さが面白く非日常的な時間空間を演出している。最終的には一茶自身のその時の自我の投影であると取りたい。
 この句の前の句に「辻風の砂にまぶれし小蝶哉」というのもある。


33

享和句帖
秋の夜の独身長屋むつましき
享和3年
1803
41歳
鑑賞日
2005
4/15
 こういう句を見ると、現代の世相との違いを思う。貧しさという点から見れば、現代よりはずっとずっと貧しかったに違いないが、人間どうしの親身なる触れ合いが感じられる。長屋というあり方などは現代でも再考されるべき住居のあり方なのではないか。ましてや独身ならばなおさらそのような住居形態があっても良いのではないかと思う。一人一人が孤絶した密閉空間に住んでいる現代は、またそのような住居空間にしか住まざるを得ない現代人の心理にはやはり何かの病理があるに違いない。競争社会ということなのではないか。他者は敵であるという根深い心理的条件付けの所為ではないのか。

34

享和句帖
松陰におどらぬ人の白さ哉
享和3年
1803
41歳
鑑賞日
2005
4/16
 松陰に佇んで、踊らない人。相手が居なくて踊らない人。あるいはあえて踊らない人。その人の心理を「白さ哉」と表現したのは感覚がよく働いている。このような心理的な孤絶感を自分に引きつけて書いた句に芭蕉の「石山の石より白し秋の風」というのがあるが、この「白」という色はそのような心理的なニュアンスを帯びることがある。

35

享和句帖
春の風艸深くても故郷也
享和3年
1803
41歳
鑑賞日
2005
4/17
 艸(くさ)の香が春の風にはこばれて懐かしいような雰囲気を醸し出している。一茶の故郷に対する思いそのものが出ているのであろう。「也」という断定が一茶の、故郷への思いの強さを表わしている気がする。

36

享和句帖
信濃路の田植過ぎけり凧巾
享和3年
1803
41歳
鑑賞日
2005
4/18
 〈凧巾〉は[いかのぼり]と読む。「凧」の字は実際はかまえだけである(パソコンにない文字)

 農家にとっては田植は一年の仕事の中でもとくに大変でまた大事な仕事である。その田植が終れば農家はほっとする。そんなのんびりした気分の空の中に凧巾が昇っているのである。農民出の一茶ならではの気分の把握かもしれない。


37

享和句帖
掌に酒飯けぶる今朝の霜
享和3年
1803
41歳
鑑賞日
2005
4/19
 食べ物は人間にとって最も大事なものである。人間にとって、というよりも生物にとってと言ったほうがいい。つまり生物としての人間にとって必要不可欠のものである。性もそうなのであるが、性の場合は個体が生きていく上で必要不可欠というわけではない。社会的に必要不可欠なものである。
 この必要不可欠なことを喜びをもってやってゆけるというのが幸せの条件である。毎日の食事が喜びでありたい。
 この句、そんな生きていくという上での喜びが伝わってくる。

38

享和句帖
大根引一本づゝに雲を見る
享和3年
1803
41歳
鑑賞日
2005
4/20
 大根を一本抜いては雲を見る、また一本抜いては雲をみる。この感じは百姓仕事をしている私にはよく分る。こんな仕事ぶりをするのが百姓の本質かもしれない。がんがんとしゃかりきになって仕事をするわけではない、また仕事を止めてしまうわけでもない。一本抜いては雲を見る一本抜いては雲を見る、のである。実は私もこの性格に近い。

39

享和句帖
浅ましと鰒や見らん人の顔
享和3年
1803
41歳
鑑賞日
2005
4/21
 〈鰒〉は[ふぐ]、〈見らん〉は[みるらん]と読む

 「おれ様は美味である。しかしあんたらに喰われたくないので、毒もしこんでいる。それをあんたらはその毒を取って喰いやがる。舌の感覚を満たすためには何でもやるというわけだ。いかにもよだれを垂らしそうなあんたらの顔つきをみていると、人間とは浅ましいもんだなあと思うぜ」というわけである。


40

享和句帖
はいかいの地獄はそこか閑古鳥
享和3年
1803
41歳
鑑賞日
2005
4/22
 立山連峰での作らしい。地獄谷と呼ばれる旧火口がある。
 俳諧師の道を選んだ一茶にとって「はいかいの地獄」とはすなわち人生そのものの地獄である。自分自身を頼んで人生を歩んでいる人には必ず地獄がある。誰にも愚痴をこぼすことはできないし、不安を共有してくれる人もいない。なぜなら自分が選んだ道だからである。この孤独な地獄をあえて受け入れることができなければ芸術家としての開花はない。芸術家の開花とはユニーク性の開花であるから必然的にそこには孤独の影が伴う。そしてこの孤独ということを全面的に受け入れたときにユニークな花が開花するのである。そしてその時はもはや孤独ではなくなる。逆説的であるがそうなのである。
 一茶は芭蕉などと同じように俳諧の道に自分を賭けていった人である。だから、この句のような感慨に時々は襲われたに違いないのである。
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