表紙へ 前のページ 次のページ

金子兜太全句集鑑賞261〜272 (『暗緑地誌』27〜38)

261/anryokuchishi-27

句集『暗緑地誌
地誌

眼細め見よ神将に野に衆の暗み
昭和42〜47
1967〜1972
48歳〜53歳
鑑賞日
2005年
1/11

 〈武蔵野円空仏・七句〉と前書のある句の三句目

 円空仏が好きだと書いたが、私の場合、それはただその快く潔く美しい彫りの線だとかが漠然と好きであったに過ぎない。そして今思えば、それは円空を興味本位で眺めて言っているに過ぎなかったと反省している。この句などを読むと、そう反省せざるを得ない。
 円空は遊行の僧で、現代の美術家がするように自己実現あるいは自己誇示のために彫ったのでもなかったし、貴族などのお抱え仏師が仕事としてするように彫ったのでもない。仏に仕え、また仏の具現である民衆の平安のために彫ったに違いないのである。結果的には自己実現と言えるかもしれないが、決して自己誇示ではなかったと言える。
 民衆の間を行脚しながら、その民衆の苦しみ悲しみに心を痛めることも多かっただろう。そしてそれらのことをおのれ自身の問題として仏に祈りながら、たたきつけるように鉈一丁で彫り上げたこの仏達には確かに民衆の暗さが感じられるし、この不条理な世界を怒り祈っている円空の気迫さえ伝わってくる。
 だから「眼細め見よ神将に野に衆の暗み」という円空仏の見方は、単なる美術品として見る見方より深いのである。
 ところで、円空(1632?〜1695)の生きた時代は芭蕉(1644〜1694)の生きた時代と重なる。私には円空の方が芭蕉よりも、より野に近い人、より民衆に近い人という感じ方をこの句などからも新たにした。


262/anryokuchishi-28

句集『暗緑地誌
地誌

風音の矢か神将の平行衣文
昭和42〜47
1967〜1972
48歳〜53歳
鑑賞日
2005年
1/12

 〈武蔵野円空仏・七句〉と前書のある句の四句目

 この前書のある一句目二句目「汚れて小柄な円空仏に風の衆」「鼻くそも石となる空ら風円空仏」にしても、この句にしても兜太は円空仏に風を感じたに違いない。そこが、私が円空仏に感じていて言葉にならなかった部分でもある。とても重たくて厄介な素材である木などに風を表現することなど、とても私には難しく思える。それが出来たのは、鉈削りという技法で素早く風の如くに彫ったからに違いないし、本質的には円空自体の存在が風のようだったといえるのだと思う。

十二神将 大宮 正法院

(部分)


263/anryokuchishi-29

句集『暗緑地誌
地誌

木は仏に円空自体はついに見えず
昭和42〜47
1967〜1972
48歳〜53歳
鑑賞日
2005年
1/13

 〈武蔵野円空仏・七句〉と前書のある句の六句目

 円空というと、この薬王寺にある十二神将に代表されるような潔い彫りの彫刻が浮かんでくる。まろやかな線の彫刻もあるが、そういうのは他の人も作っているので特に円空仏としては思い浮かばない。そしてこの十二神将などは、まさに木が風の力によって仏になったような印象を受ける。煩悩を備えた人間としての円空自体は見えてこないのである。まさに風か忍者かのように仏を彫ると野に去って行ってしまうのである。
 遊行円空神将笑う忍者面(五句目)
 疱瘡神の尖り顎残し野の円空(七句目)

 この十二神将に代表されるような円空の境地を思うときに、立派だなあ、潔いなあと思う反面、人間存在がこんなにも立派に潔くなり得るということに恐ろしさをも感じ、私にはなれないなあという思いがある。であるから、十二神将などは間違いなく円空の代表作であると私は思うが、岐阜の神明神社にある次の自刻像などを見るとき、ある意味で私はほっとするものがある。

 このいかにも人間的な祈りの自刻像を彫る円空、そして十二神将を彫る円空、この幅で円空という人間を考えると、円空がとても大きくまた親しみを持てる存在として、私は円空がよく理解できるのである。


264/anryokuchishi-30

句集『暗緑地誌
列島史

鷹影すぎ棺の岳父に冬の花
昭和42〜47
1967〜1972
48歳〜53歳
鑑賞日
2005年
1/14

 〈山峡(岳父の死)・十二句〉と前書のある七句目。〈棺〉は[ひつぎ]、〈岳父〉は[ちち]とルビ

 岳父の死、すなわち妻の父親の死に際しての十二句の中の一句である。十二句の中でもこの句は岳父の人格を偲ばせるに十分な品格があり、押さえた悲しみが出ているように感じた。〈山峡〉とあるように、この岳父は山国での暮しだったのであろう。その飾らない高潔な人柄と、押さえた心根の優しさのようなものが「鷹影」「冬の花」という言葉から私は感じられる。男の死に際して涙は無用であろう。ましてや、押さえた優しさを持つ男性的な人なら「照れ臭いから止めてくれ」と言うだろう。しかし、どうしてか私は涙が溢れてきてしまうのである。


265/anryokuchishi-31

句集『暗緑地誌
幼な木

睡くて睡くて菜の花ばかりで見えぬ敵
昭和42〜47
1967〜1972
48歳〜53歳
鑑賞日
2005年
1/15

 〈睡〉は[ねむ]とルビ

 この句の内容は、兜太の生きる態度を知る上でも、また私自身の生きる態度を確認する上でも、また一般的に出家者でない者の生きる態度はこうあるべきだということを論じる上でも貴重な句だと思ったのでいただいた。
 普通、私達は「菜の花ばかりで敵が見えない」状態は良い状態だと考えがちである。しかしこの状態は家住者(出家者でないもの)にとっては落とし穴となる可能性をはらんでいる。家住者はこの相対的な世界に住んで、家族や隣人や善なるものや美なるものや義なるものを守っていかなければならない立場にある。だからそこには必然的に常に敵がいるはずなのである。したがって「菜の花ばかりで敵が見えない」状態は、敵に取り込まれてしまう危険性をはらんだ危ない状態なのである。この句で兜太はその危ない状態に自ら警鐘を鳴らしているのだと私は思う。この事を理解できる人は少ないが、兜太はその数少ない人の一人であると私は思っている。
 さて、出家者の場合はどうか。出家者の場合は敵を作る必要がない。世界を絶対的な目で眺めればよいのである。つまりこの世における自分の立場を無にしたのが本質的な出家者だと私は考えているのである。同じ俳諧人でも芭蕉などは限りなくこの出家者に近い立場をとっていた、と私は思うのである。兜太は家住者の立場に近く、芭蕉は出家者の立場に近いのである。そして私が強調したいのは、このどちらの立場にも優劣はなく、同じように立派な道であると思うのである。とにかく、この俳諧詩という分野で、違う立場の二人がそれぞれ素晴らしい作品を残してくれたということは、我々俳諧人にとっての恩寵であると私は思っている。私達がこの二人の作品を同時に味わうことは、私達の人生を奥深く幅広く豊かに変容させてくれるような気がするのである。
 もう一度はっきり言うが、芭蕉と兜太、あるいは兜太と芭蕉、この二人が俳諧詩における二大巨人であることには間違いない。


266/anryokuchishi-32

句集『暗緑地誌
幼な木

弓もつ少女が急ぐ陸橋星夜のテロ
昭和42〜47
1967〜1972
48歳〜53歳
鑑賞日
2005年
1/16

 ジャンヌ・ダルクのことを思い出した。彼女は片田舎でごく普通の素朴な生活をしていたが、いわば神の啓示によって数奇な運命をたどり、悲劇の英雄になったというのである。この句集『暗緑地誌』に次のような二句があった

 少女の髪の雲脂は地中海のかもめ
 川まがることにも笑い落日少女

この素朴で純真な少女が、今テロに際して弓を持ち星夜の陸橋を急いでいるという連想が私には働いた。そしてこれはまさにジャンヌ・ダルクではないかと思ったわけである。いつの時代でも、その時代の危機を救うのは純真で素朴な心の持ち主である。この「幼な木」という章の冒頭の句「終りの桜青年は酔えぬ鳥であり」のように、もし男性達があまりにも現実生活にその心が干からびてしまって力が出てこないとしたら、この時代を救うのは、この句達に表現されているような女性かもしれないなどという夢想が出てくる。


267/anryokuchishi-33

句集『暗緑地誌
幼な木

朝顔が降る遠国の無人の街
昭和42〜47
1967〜1972
48歳〜53歳
鑑賞日
2005年
1/17

 〈遠国〉は[おんごく]とルビ 

 不思議な感じのする句である。
 私は幼いころに母に読み聞かされた(これは読み聞かされたの、あるいは自分で読んだのかはっきり記憶がない)ある物語がある。それは奇妙な話である。・・・主人公の少年が、誰かから、何処だか分からない所へ行って何だか分からないものを持って帰ってこなければならない、という課題を与えられる。少年はある智恵者から教えられ、手元の糸巻きを投げる、その糸巻きはどんどんと解けて転がって行って、それをたどって主人公は目的を達して帰ってくる・・・というような話なのである。その何処だか分からない所が何処なのか、あるいはその何だか分からないものが何だったのか憶えていないのであるが、だからこれは私が夢を見たのではないだろうかなどと時々思ったりもする話なのである。しかし、この話が妙に印象に残っているのである。考えてみれば、私の人生は、もしくは全ての人の人生は、この話のように、今手元に持っている糸巻きを投げながら、何処だか分からないところに向って進んでいるのかもしれないのである。
 この話がこの句とどんな関係にあるかというと、この句にある不思議な感じのする遠国というのがまさに、この物語の何処だか分からない所である、というような印象を受けたのである。


268/anryokuchishi-34

句集『暗緑地誌
狼毛山河

火山一つわれの性器も底鳴りて
昭和42〜47
1967〜1972
48歳〜53歳
鑑賞日
2005年
1/18

 素粒子というようなレベルでも、銀河宇宙というようなレベルでも、また生物・人間というようなレベルでも、この世の全ての物事は男性原理女性原理で動いている。陰陽と言ってもいい。この陰陽がからまりあって次々と新しい展開をしてゆくのが創造だと言える。さしずめ火山などは男性原理の象徴のような存在である。底に落ち着かないもやもやとしたエネルギーを絶えず秘めていて、時にそのエネルギーを放出せずにはいられない。人間における性的エネルギーもこれと似たようなものである。つまりエネルギーは最初から一つであり、火山活動も地震も、新しい星雲が生れることも、人間の性器の底鳴りもすべて同じエネルギーの顕現に過ぎない。
 この句は、以上のようなことを感じさせてくれる。性の、あるいはエネルギーの大きな把握である。


269/anryokuchishi-35

句集『暗緑地誌
狼毛山河

樹といれば少女ざわざわ繁茂せり
昭和42〜47
1967〜1972
48歳〜53歳
鑑賞日
2005年
1/19

 私達は個別にこの世界に放りだされた存在ではない。全ての存在物にはつながりがある。動物も植物も人間もありとあらゆるものはつながっているのだ。だから人間は人間以外のものと深い意味ではコミュニケーションが可能である。だから繁茂する植物の側にいれば、自分も繁茂してくる感じになるのは当然である。そして、このようなコミュニケーションは無垢でまだ感受性の鈍っていない少女などではより容易く可能であるように思う。・・・以上のような事が事実であるということをこの句を読んで再認識させられた。そしてこの句の少女は「少女の髪の雲脂は地中海のかもめ」「川まがることにも笑い落日少女」の少女でありまた「弓もつ少女が急ぐ陸橋星夜のテロ」の少女である気がしてならない。
 最近、私はアリス・ウォーカーの『勇敢な娘達に』という本を読んだ。本の内容自体もとても良いものであるが、その中に挿入された一枚の写真が印象深かったのでここに転載させていただく。

インド人男性が木を抱擁しているこの写真を、私はタイプライターのスタンドに貼って何年も眺めてきた。これを見るとわたしは毎日、人は地球のどこにいても愛し方を知っているのだと思う。時が来たら、わたしたち一人ひとりが、抱きしめるだけの価値があるものがなにかわかるだろうという希望を与えてくれる写真である。

※アリス・ウォーカー著『勇敢な娘達に』(集英社刋ー柳沢由美子訳)より
※撮影ーロバート・A・ハッチンソン

 この句を読んで、この写真と写真に添えられたアリス・ウォーカーのコメントを思い出した次第である。


270/anryokuchishi-36

句集『暗緑地誌
狼毛山河

よく喋る老婆と子犬白三日月
昭和42〜47
1967〜1972
48歳〜53歳
鑑賞日
2005年
1/20

 『暗緑地誌』という句集は、様々な人物や様々な生のあり方に共感してゆく作者の受容性が発揮されている句集に思えてならない。「老婆」もそのうちの一つである。「燈下美貌」の章に次の連作があった

 新婚をけらけら笑う老婆の旅
 樹下に躍らす旅の老婆の赤掌
 酔うほどにもちろん淫ら谿間の婆
 ごそごそ泊る老婆らの旅雪の宿

 いかにもありそうな老婆の群像である。そして老人の孤独などが問題になっている現代においてはこのように健康で快活な老婆達にはほっとするものがある。このような老婆は一人でいるときも別に淋しくはない。掲出句のように、犬とでも三日月とでも交感できるのである。この句「白三日月」に童話的とでもいえるような雰囲気があって、老婆と子犬をふんわりと包んでいる感じがある。


271/anryokuchishi-37

句集『暗緑地誌
狼毛山河

死火山に煙なく不思議なき入浴
昭和42〜47
1967〜1972
48歳〜53歳
鑑賞日
2005年
1/21

 「死火山に煙なく不思議なき入浴」と当り前のことを言っているのだが、何か不思議感がありそして何か日常の意識とは違う感覚を持つ。
 この句の一句前に「死火山一つ古靴に似る晩秋」というのがある。この句は特に非日常的な不思議感はないが、この句もあわせてゴッホの古靴の絵を思い出した。

「靴」ゴッホ
1886年作
38cmx46cm
ゴッホ財団(アムステルダム市立美術館)蔵

 日常のありふれた事物である古靴をただ描いているだけなのだが、この靴には使用物としての靴を越えた何かがあり、この靴を通して私達は日常の意識を越えた何か違う意識に触れることができる。この意識についてああだこうだと説明はできないが、言えるのは、私達が日常暮していく中で現れる意識というのは私達の全意識の中の氷山の一角に過ぎないということである。
 兜太のこの句にしても非日常的な意識の一つをを垣間見させてくれている。


272/anryokuchishi-38

句集『暗緑地誌
狼毛山河

両手挙げて人間美し野の投降
昭和42〜47
1967〜1972
48歳〜53歳
鑑賞日
2005年
1/22〜23

 投降とは敵軍に降参すること、と広辞苑にはあるが、わたしは単に降参することと意味を取りたい。そのほうが句の意味の幅がぐっと広がるからである。しかし、降参という言葉を直に使わないほうが良い。投降とは降参した瞬間のことである。
 私達の人生において、物事が真に美しいと感じるのは降参した時なのである。自分の努力を捨て去った時なのである。自分を捨て去った時なのである。大いなる自然のあるいは神の意に身を任せた時なのである。「やることはすべてやりました。さあ、あなたの意のままに」と言える時なのである。・・・そんな事をあらためて感じさせてくれる一句である。
 ところで「両手」は[もろて]と読みたい。そのほうが、作者の人間讃歌の感じが加わってくるからである。

 さて、この句で句集『暗緑地誌』の鑑賞を終るが、次に『暗緑地誌』全体を振り返って感想を述べてみたい。

1月23日

 『蜿蜿』は旅の書である印象が強いと『蜿蜿』の鑑賞の最後に書いた。旅とは一人の個人が様々な風土や状況を経験しながら時を過して行くことである。旅という言葉のニュアンスから言えば、彼が経験する風土や状況は彼にとって過ぎ去って行くものであり、彼はその風土や状況では常に異邦人なのである。
 『暗緑地誌』でも作者は様々な場面や状況に遭遇するわけであるが、『蜿蜿』における旅のニュアンスとは少し違う印象がある。遭遇する場面や状況を作者は受容しよう、自分の血肉に同化しようとしている雰囲気がある。つまり、異邦人であるという感じが薄れているのである。このような感じは『蜿蜿』の末尾の句「人体冷えて東北白い花盛り」あたりから作者に芽生えた、物事への接近のしかたではないかという感じが私にはする。
 さて、『暗緑地誌』には優れた一句がたくさんあった。そして連作として印象深いものがあった。「古代胯間抄」「赤い犀」「円空仏」の連作などは私には印象深い。
 また、無垢で神話的な少女の句が散見したのも印象深い。この事は作者の物事への受容性が高まったということと無関係ではない気が私にはする。受容性ということに関しては大御所である老子が、ものごとの本質を〈神秘なる女性〉と表現した如しである。
 最後に「暗緑地誌」という言葉そのものに私は最初から魅かれていた。私は暗緑という色が好きなのだ。好きというより落ち着くと言ったほうが適切かもしれない。だから、私は絵を描くとき、緑のキャンバスに描くことが多い。
 ちなみに私の次の絵の題名を『暗緑地誌』と名付けさせてもらった。

表紙へ 前のページ 次のページ
inserted by FC2 system