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金子兜太全句集鑑賞1221〜1230( 句集後 683〜692)
句集後 |
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火祭の胡瓜食むわれ童らと
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「海程」の発行
平成27年1月 (2015)96歳 |
鑑賞日
2015年 1/6 |
以下の写真はhttp://festivals.travelaround.jp/tohoku/sukagawa.htmより転載させてもらいました。須賀川の松明あかしという火祭についてはこのサイトに詳しい。 |
句集後 |
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枯原の土手確とあり被曝せり
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「海程」の発行
平成27年1月 (2015)96歳 |
鑑賞日
2015年 1/7 |
愚者と賢者の違いは一つ。賢者は同じ過ちを犯さないが愚者は何度でも同じ過ちを犯す。フクシマの経験がありながらこの国の為政者は再び原発政策を押し進めようとしている。つまり彼等は愚者なのである。そして彼等を選んだ国民の大多数も愚者であるということになる。「塀の中の懲りない面々」という小説の題名を思いだした。被曝のことを忘れないのは賢者の証拠であろう。 確かな岸壁落葉のときは落葉のなか 『少年』 |
句集後 |
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雪雲り海鳴りつづく村かな
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「海程」の発行
平成27年1月 (2015)96歳 |
鑑賞日
2015年 1/8 |
村は離村だろう。 |
句集後 |
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産土の落葉ここだくお正月
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「海程」の発行
平成27年2月 (2015)96歳 |
鑑賞日
2015年 2/12 |
時々愛国心ということを考える。愛国という場合、その愛国の国とは何かが問題であろう。国土を愛するという意味では私は愛国者であるが、私は国家体制を愛しているわけではないので、その意味では愛国者ではない。そして私は真の愛国とは権力欲によって形成されるその時々の国家体制を愛するということではなく、国土を愛するということなのだと思う。そういう意味において安倍さんは愛国者ではない。何故なら彼は国土の喪失や汚染を招く怖れのある原発を推進する立場を取るからである。国土とは即ち郷土であり、即ち産土ということである。即ち日本の自然ということである。そして産土の概念をもっと拡張すれば産土とは即ち地球ということである。 |
句集後 |
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人の暮しに星屑散らす枯野かな
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「海程」の発行
平成27年2月 (2015)96歳 |
鑑賞日
2015年 2/13 |
金子兜太の枯野の句。 土間口に夕枯野見ゆ桃色に 『少年』 |
句集後 |
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小正月猫を労る星ありて
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「海程」の発行
平成27年2月 (2015)96歳 |
鑑賞日
2015年 2/14 |
人間が死んだら空の星になるという神話がある。すこし変えて、世界に一つの命が生れたら空にも一つの星が生れる、そしてその星はその命を常に労ってくれている、という神話がある。この世のあらゆる事象には関連性があるのだから、これは神話の話ではなく、将来科学的な事実として証明される可能性が無いとは言えない。 |
句集後 |
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甲武を分かつ雁坂峠鹿越える
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「海程」の発行
平成27年2月 (2015)96歳 |
鑑賞日
2015年 2/15 |
鹿は日本でどんどん増えているそうだ。そして山の草木を食い尽くすらしい。そのために山の食べ物が無くなって熊や猿や猪が里に下りて来て人間の領域を荒らすのだそうだ。外国からニホンオオカミと同種の狼を導入して野に放つという解決策を提言する学者もいる。大変魅力ある解決策である。この方法は現にアメリカのイエローストーン国立公園その他では成功しているらしい。 |
句集後 |
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人ら老い柿黙黙と熟れて落つ
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「海程」の発行
平成27年2月 (2015)96歳 |
鑑賞日
2015年 2/16 |
私の住んでいる地域にも柿の木のある家がたくさんあるが、殆ど利用されないでただ熟れるままに放置されている柿の木が多い。渋柿なども取ってきて少量の焼酎とともに密閉して十日もすれば甘く美味しくなるのだから、そうすればいいのにと何時も思う。一事が万事というが、日本の老人たちも無駄に生きて無駄に死んでゆくという印象が無いでもない。柿だって人間だって熟せばそれは価値あることの筈であるが、実際は厄介者として扱われる風潮がある。 |
句集後 |
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菅原文太気骨素朴に花八ツ手
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「海程」の発行
平成27年2月 (2015)96歳 |
鑑賞日
2015年 2/17 |
2014年11月1日沖縄での菅原文太氏の発言から。 「政治の役割はふたつあります。 菅原文太は俳優を引退後有機農業をしていた。 |
句集後 |
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困民史につづく被爆史年明ける
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「海程」の発行
平成27年2月 (2015)96歳 |
鑑賞日
2015年 2/19 |
事実を前にしてただただ眺めているだけしかできないし、どうにでもなれと投げやりな気持ちにもなりそうだし、それでも年は明けてゆくし、しかしその内に年も明けない時がやってくるかもしれないとも思うし、それは年が明けたという認識がなされない時であろうし、それは人間がいなくなってしまった状態かもしれない。 |
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