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山頭火『草木塔』を読む11〜20

11

鉢の子

笠にとんぼをとまらせてあるく
昭和2〜3年
(1927〜8)
45〜46歳
鑑賞日
2006年
1/11

 芭蕉の旅とも、一茶の漂鳥のようなそれとも、兜太の漂泊とも違う、流浪のような山頭火の旅である。しかし、このような楽しい気分になることもある。
 一茶のように小動物そのものへの感情移入ではなく、とんぼが自分のところへやって来てくれた事が嬉しいのである。逆にそれだけ孤独感が強かったとも言える。
 なにはともあれ、ひとときの楽しい時間ではある。


12

鉢の子

歩きつづける彼岸花咲きつづける
昭和2〜3年
(1927〜8)
45〜46歳
鑑賞日
2006年
1/12

 この句には極楽浄土を歩いているような雰囲気がある。
 歩きつづけて身体はとても疲れている。しかしそのような時に、人間は往々にこのような感じになる。自分は彼岸に居るのではないか、というような感じである。体自体は疲れているが、彼自身はその疲れを感じてはいない。それだけ精神が高揚している。多分マラソンの魅力などもこのあたりに有るのではないか。
 このような、歩くことの充実感を感じさせてくれる句を読むと、山頭火の放浪も少し納得できるような気がする。


13

鉢の子

まつすぐな道でさみしい
昭和2〜3年
(1927〜8)
45〜46歳
鑑賞日
2006年
1/13

 芭蕉の「この道や行く人なしに秋の暮」の落ち着いた、ある意味では自信に満ちた静かさとは違い、山頭火のこの句はもっともっと自己に執したさみしさである。心底自分がさみしいという感じである。「まっすぐな道」というのは実際にまっすぐな道を歩いていたのかもしれない。しかし、自分の置かれている道(仏道ということかもしれない)がまっすぐだ、と感じているにちがいないのである。家や妻子を捨てたどうにもならない自分にはもうこのまっすぐな道しかない、という感じがさみしいのである。
 私は仏道というのは、何かを捨て去ることではないと考えている。山頭火は何かを捨て去ることによって価値あるものが得られると勘違いしていたのではなかろうか。だからさみしいのである。実際はその捨て去ったものの中に自分を豐にしてくれるものがあったのである。このことは修行者と言われる人達の落とし穴である。

 「求道の道に向かう者にとっては何かの法が切断されるということはない」という金剛般若心経の言葉を噛みしめたい。


14

鉢の子

だまつて今日の草履穿く
昭和2〜3年
(1927〜8)
45〜46歳
鑑賞日
2006年
1/14

 ああ今日も歩かなければならない。そこには希望も見えない、楽しいこともない。しかし歩かなければならないから今日も草履を穿く。そんな重たい感じが「だまって」という言葉から感じられる。
 芭蕉の「あやめ草足に結ばん草鞋の緒」という出立のうきうきした楽しい気分の句とは対称的である。


15

鉢の子

ほろほろ酔うて木の葉ふる
昭和2〜3年
(1927〜8)
45〜46歳
鑑賞日
2006年
1/15

 8の「木の葉散る歩きつめる」の緊張感とは違い心のほぐれた状態である。酒の力であろう。しかし心の底には酒では癒されきれない虚ろがある。


16

鉢の子

しぐるるや死なないでゐる
昭和2〜3年
(1927〜8)
45〜46歳
鑑賞日
2006年
1/16

 時雨が降ってきている。自分は未だ死なないでいる。生きたいという強い願いがあるわけではない。ただ引きずるように生きている自分。そんな感じなのであろうか。負の境涯感の表出である。
 またその一方、そのような惨めな自分を客観的に眺めている覚めたところもある。
 また、人間というのは、惨めさを示すことに快感を覚えるということもあるから、そのあたりの心理もあるかもしれない。
 この短い言葉の中に山頭火の複雑な屈折した心理を垣間見ることができる。


17

鉢の子

張りかへた障子のなかの一人
昭和2〜3年
(1927〜8)
45〜46歳
鑑賞日
2006年
1/17

 「まっすぐな道でさみしい」よりもっと孤独を感じる一句である。家の中と自然の中という違いもあるだろう。「まっすぐな・・」は少なくも周りは自然である。それに引き換えこの句はいわば人工的な家の中である。しかも穴さえ開いてない張り替えたばかりの障子という密閉された空間である。この障子の白さが山頭火の虚無的な感じを象徴している。涙さえ出ない張りつめた孤独感。


18

鉢の子

水に影ある旅人である
昭和2〜3年
(1927〜8)
45〜46歳
鑑賞日
2006年
1/18

 奇麗な句である。湖か川の側を歩いている。どちらかというと川の方がいい。そこに自分の影が映っている。川は流れてゆく。旅人である自分も流れてゆく。川の在り方と自分の在り方が重なってきて、旅の本質のようなものを感じることができる。また孤独ではない。
 これが湖や沼のように動かない水であると、大分印象も変わってくる。自分のしている旅がしっくりとしていない心の状態を感じてしまう。心の中の暗い澱のようなものを感じてしまうのである。そして孤独感がある。

 短い自由律というのはこのように曖昧なところがある。まるっきり正反対の解釈が出来てしまうのである。山頭火がこのような詩形を選んだということは、つまり山頭火自身の中に実はまるっきり正反対の気持ちが同居していたということなのではないか、と私は思うのである。自分を肯定する気持ち、そして自分を否定する気持ちの両方である。そして、自分の生き方を決められない状態を生きた。それが山頭火だったのではないか。


19

鉢の子

生き残ったからだ掻いてゐる
昭和2〜3年
(1927〜8)
45〜46歳
鑑賞日
2006年
1/19

 からだは生き残った。しかし心は・・・。心は取り立てていうこともない。ただ、この生き残ったからだを掻いているという自覚があるだけである。ほとんど肉塊としてだけの自我の意識である。


20

鉢の子

わかれきてつくつくぼうし
昭和4年
(1929)
47歳
鑑賞日
2006年
1/20

 誰かと別れて来た、つくつくぼうしが鳴いている、というのである。別れにも法師蝉の鳴き声にもそんなに深い感慨があるというのではない。この句の良さは言葉の調子の良さである。
 この句の前に「昭和四年も五年もまた歩きつづけるより外なかった。あなたこなたと九州地方を流浪したことである。」という文章がある。長い流浪の旅の中では、この句のような場面は多々あったに違いない。その旅慣れしたリズムのようなものが出ている気がする。

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