「コットンハウス・フレンズ」学習会3
地域で共に生きるには
ー豊かな人と人との関係を心の病に学ぶー
シンポジスト
西 多喜男 【高井戸クリニック】ピア・カウンセラー
粕谷 嘉子 【さくら会】
富沢 淳一 小金井【スペース楽】所長
吉沢 順 吉沢メンタルクリニック
司会
大久保 節子 【コットンハウス・フレンズ】運営委員
日時
99年6月27日
会場
府中市女性センター会議室
主催
「コットンハウス・フレンズ】 TEL 042ー368−255
大久保
今日は、『コットンハウス、フレンズ』の第3回学習会ということで、多くの皆様に参加していただきました。テ一マは、"地域で共に生きるには"ですが、これには、"豊かな人と人との関係を心の病に学ぶ"というサブタイトルがついています。こめサブタイトルは、"豊かである"ということ、"人と人との関係"そして"心の病''の3つに分解して考えられると思いますが、これらの言葉をもとに、ご出席のシンポジストの皆様が日頃からどんなふうに活動されどのように考えられているか、また今日はどういうことをお伝えしたいと思っていらっしゃるか、話していただきたいと思います。
西
わたしは、分裂病で3級の障害者認定を受けています。20年間病気と付き合っていますがなかなか冶りません。この間まで躁状態で3ヶ月過ごしました。困っていますが、それでも病気を楽しみたいと、思っています。
一昨日ですが夫婦瞳嘩をしました。直情型の性格なんですね。この病気になると本音でしかものを言えなくなります。今目も妻にぶつけるように皆様にお話するようになるかもしれません。これが病気の特徴だと思っています。
じゃあ今目は何をぶつけたいかといますと、病気の人には、「胸を張れ」ということ、そして、健常者には、「なめるんじゃないよ」ということを言いたいと思います。
わたしは、「自分は精神病だからjというのと、「病識」というのとは違うと思っています。自分の性向として人とはどういう点が違っているか、例えば、物事に執着しすぎるとか人に比べて昂ぶりすぎるとか、そういうことを自分で客観的に分析できるということが、それが病識だと思います。それは、単に自分を精神病だということとは違います。
どうして病気の人に自信をもってもらいたいかといいますと、まずはなぜ病気になったか考えてほしいと思います。親と折り合いがうまくいかないとか、世闇に迷惑をかけたとか欠点はあるとは思いますが、しかし、この病気の原因はわかっていないんですね。しょうがないことなのです。自分が悪くて病気になったのではない。犯罪を犯したから病気になったんじゃない。じゃあ、病気の、障害といってもいいですが、それのどこが悪い、と言いたいです。人からダメだと言われて、自分もダメだと思ってしまう。わたしからいえぱ腹立たしいことです。精神病院で診断されて、薬を飲まされて、閉じ込められて、無理やり認めさせられて・…。
精神病イコールだめ人間だと言われる。わたしは、体制そのものが、病院が、分裂病・精神障害者を作っていると思います。
病院に入っていない精神障害者というのは、寅さんみたいに皆から賞賛されます。どうして寅さんはもてはやされて自分たちは蔑視されるのでしょうか?それは、寅さんが薬を飲んでいないからなのではないかと思います。
もっと本質的なことを考えると果たして精神障害者は本当に劣っていると言えるのでしょうか?捉えなおしていただきたいと思います。精神障害者というのは大体が優れた人です。物事を突き詰めて考える人は分裂病にかかりやすいですし、仕事熱心で責任感の強い人はそううつ病になりやすいです。言ってみれば、いいかげんな人が健常者をやっているわけですね。精神障害者に恥ずべきことはありません。大事なのは、健常者は精神障害者に学ばなけれぱならないということです。自分からわざわざ病気になる必要はないですが、どうして病気になるのだろうとか、どうして病気の人はそんなふうに考えるのだろうとか学ぶことは大事なことだと思います。常に病者にたずねる姿勢を持っていただきたいと思います。たとえどんなにとっぴな考えでもそこに何かの真理があるかもしれません。そうしないと逆に精神障害者のほうから、健常者は普通ということにしがみついているだけだ、と言われかねません。
今の社会は競争原理の社会だといわれます。子供のときから序列を付けられて大きくなっています。しかし、大人になってまで競争することは無いんじゃないかと思います。 たとえば、かけっこが速くて何だと言いたいです。それは個性ではないのでしょうか?優劣ではなく多様性ではないのでしょうか?記憶力がいいといっても何なんでしょう。コンピューターのほうが優れていますし、勘違いがあるほうが人間らしいと思います。多様性として人間を捉えればいいと思います。こういう捉え方をすることが、これからの社会の課題だと思います。
普通といったって挨をかぶった色あせたものです。狂気の最中にいる人は、瞬間瞬間驚きの中にいます。逆に目常性の中に埋没しているのが健常者ではないでしょうか?極論ですが、日常性の打破をしている人、いつも変革の担い手になる人は精禅障害者と言えるのではないでしょうか?
昔、地球に一匹のトカゲがいて、空を飛べるはずだと思っていた。彼はしかし崖から墜落して死にました。それから3代あとに、神様がかわいそうだと思ってか、始組鳥が生まれました。トカゲのみんながみんな、自分たちはトカゲなんだから空は飛べないと思っていたら、今鳥はいません。世の中を動かしていくのはとっぴな考えです。精神障害者は自信を持っていいと思います。想像力が豊かなんだと恩っていい。障害を持っている人は胸を張っていいんです。
立川のピンサロに入ったときのこと、そこのマダムにのっけから議論をふっかけられました。あなたは天才に会ったことがあるかといわれたのです。マダムは、天才は子供の頃から言葉が違うんだというんです。言葉にならない言葉とか、文字にならい細胞に記憶されている言葉とかを扱うことが出来ると言うんです。そして、天才は、学校を出るとどこへ行くかというと、精神病院に入ると言うんですね。自分は8回入ったが天才か、と訊くと、出てくるようじゃ天才じゃないと言われました。自分も凡人なんだとつくづく感じました。
ちょっと一休み 1
粕谷
娘が分裂病で、わたしは今、家族会で活動しています。
わたしは話すのが一番苦手なのです。でもここにこうして座っています。どうしてなのかしら、と思うのですが・・・。
わたしは、rさくら会』という家族会では、SST=杜会技能訓練という教室を4〜5年もっています。そこでは、断るときは感じよく断るのが大事と学んでいるのに、土屋さんからここで話をしてもらえないかと頼まれたとき、うまく断れませんでした。
わたしはこれまで何とかやって来れたわけですけど、その中でわたしは、一番好きな言葉「出会いこそ回復の道」という言葉をモットーにやってきました。
ですから、土屋さん夫妻といろんなところでお会いすることがあって、先目も松沢病院のご近所フォーラムでお会いし、その後今日のシンポジストにと頼まれて、断れなくてここにいるわけです。
娘がまだ急性期で具合が悪かったとき、医学書を見ると、「荒廃していく」と書いてあり、益々落ち込んでしまいました。それで娘の状態がいいとき少しでもいい思い出を作っておこうと北海道を家族で旅行したことがありました。そのとき新聞で、『べてるの家の本』の紹介が出ていたのですが、その中に、「最近わたしは、精神障害という病は人と出会うことそのものが回復の始まりであるように思います」と書かれてあったのです。回復なんてないと思っていましたからなんて素晴らしい言葉だと思いました。それを心にしまっておいたのですがそのままになって・・・。
それから2年くらい後、保健の雑誌で、『べてるの家の本』のことが書いてあって、やっとその本を読むことが出来、ものすごく感動したのです。わたしは、感動すると他の人に勧めるのですが、たくさん購入してクリニックの先生にもお見せしたら、先生も感動されて、クリニックのある藤沢の家族会に配られたんです。
わたしは、そのように「出会いは回復の始まり」をモットーに歩んできました。わたしが住んでいるのは世田谷区の経堂ですが、世田谷区というのは人口が70万人です。よく心の病の人というのは、100人に1人といいますね。そうすると、世田谷には7干人精神障害者の方がいらっしゃることになります。ところが、精神保健福祉法32条の通院費補助をもらっている.人は3,800人だそうです。そのうち、わたしたちの30年の歴史がある家族会に入っている方は、300人です。つまり15分の1しか入っていないことになります。7千人の人たちはそれぞれいろんな所に所属していらっしゃるかとは思いますが、わたしは、孤立している家族の方たちも多いのではないかと思っています。わたしは運良くこうして多くの方に出会い、いろんなことを学んできていますが、孤立している家族の方たちには、何とかお仲間に入ってもらいたいとか、また会で出しているニュースをお届けしたいとか思っています。
わたしは、このほぽ10年間ほんとうにいろんな大変なことが多くありました。この病気は本人ももちろんですが、家族もほんとうに辛い病気です。
しかし、辛いことばかりではなく、いいこともありました。それは、それは当事者の方から本当に多くのことを学ぱせていただいたこと、それから、何しろ仲間に出会えたことそして人間を信頼できるようになったことなどいいことも多くありました。
娘は今27才です。中学の3年で不登校になりました。娘は病院には行かなかったので、わたしは、梅丘病院へ行ってお母さんたちの話し合いの場に参加し、先生にも色々相談していました。でも、不登校が病気になるとは思いませんでした。また外に出て行けるエネルギーが出てくるように願って、昼夜逆転もじっとそのままにして待っていたのですが、ちょっとしたことがきっかけで3年後に発病しました。
娘は閉じこもったままですから、クリニックの先生に、声が聞こえて苦しがっていることを伝えたら、先生は、「それは本当に苦しいことだ」とおっしゃり、それを今度は娘に伝えると、娘は、rそんなに分かってくれる先生なら」とクリニックに行きました。
私は先生に、「病気が悪くなるばかりだから入院させたい」と申しました。しかし先生は、「小さなときから閉じこもって生活していたから、精神病院での体験がかえって後で辛くなるといけないから入院はさせないほうがいい。薬を出しますからお母さんが看護婦さんとして娘さんをケアしてください」と言われました。そこで仕方なく寝たきりの母を病院に預け、わたしと娘は二人だけで別荘に行きすごしました。そこで薬を飲んで、大変だったのですが、良かったことは病気と向かい合うことが出来たことです。もし入院していたら分からないまま済んでしまっていたこともあったと恩います。
娘の病気が良くなるものやら悪くなるものやら見通しがきかない中、看病するのはほんとうに辛いものがありました。
とにかく急なことだったので本を読んだり勉強したりすることが出来なかったのです。それで、もし娘が良くなって時間が取れるようになったら、同じ病気で苦しんでいる人たちに、自分の体験が役に立つのなら絶対お手伝いしたいと心に決めました。
そのとき一番の支えになったのは、不登校のときに知り合ったお母さんたちの仲聞が駆けつけてくださって話し相手になってくださったり支えてくださいました。わたしたちは家族と仲間に支えられました。ほんとうに感謝しております。
それで何とか娘も急性期を過ぎまして、わたしたちは東京へ戻りました。クリニックには図書館みたいなものがありましたので、そこで本を借りて勉強しましたら、家族会というのがあることを知りました。娘の具合のいいとき見学に行くと、たまたまその日SSTの教室がありまして、それが終わったとき中牢の男性達やお母さんたち、若い人たちもいましたが、「良く来て下さった」と温かく迎えてくださり握手などもしてくださって、それで娘もここだと思ったのか、それから母親と一緒に通うようになりました。
娘は、家族だけの世界から少し杜会へ、信頼して出て行くようになりました。そこでほんとうに守られて守られて、そしてSST=生活技能訓練でいろいろ学びました。SSTは本音でバンバン話し合うところでした。それで娘も自然に学び回復していきました。
それからもう一つ娘を支えたことがあります。それは、娘がアイドルが好きだったことす。わたしは、娘が好きなことをやることが回復することにつながると信じていました。わたしは娘と、髪もお下げに編んで、イベントとかコンサートとかに出かけました。会場に親なんかわたし一人なんですけど・・・。
そして、ちょうawrコットンハウス』ができる頃、半年後に近くに新しく作業所ができるということがありまして、娘も新しいところなら通えるかもしれないということで、娘なりに半年間、朝起きるようにしたり目玉焼きやら作るようになりました。通いだした一週間くらいは、わたしから離れるということは今まではなかったことでしたから、SSTで知り合った仲間と一緒に連れていってもらったり.していました。でも1日行けぱ疲れて3日くらい休んだりもしていました。娘もそこではじめて仲間同士でゆつくりお茶を飲んだりカラオケをやったり、それまで生きていて味わえなかったこと楽しい時間を味わうことが出来るようになりました。生きていてほんとうに良かったと思います。
もちろん病気というのは、いろいろと、小さな再発を年がら年中繰り返しているのですが、それでもその楽しいことを励みに娘はもうなんとか3年もそこに通っています。
わたしの方は、『さくら会』で、今はグループホームの時代ということで、関心のある仲間たちと5年前にそれを作ろうということになり、委員になりました。アパートを借りることは大変でしたが、それぞれ苦労してきた仲間たちと共に不動産屋を説得したり、また理解してもらおうと頑張り、何とか4年前に借りることが出来ました。
わたしたちは、入居ということだけではなく、地域のいいくつろぎの場でありまた居場所であってほしいという願いを込めて集会室も作りました、入居の都屋のほうは、面自いことに会員の方はあまり利用しないのです。病院に入院していて良くなったけど退院先がない方が入居されました。.集会室は、正月も開いていて、年間延べ3800人の人が利用しています。365日、1日にlO人が使っているのです。そういう場所に成長したのがほんとうに嬉しいです。
わたしはオープンな性格で、友人がたくさん家に遊びにきます。当事者の方ともたくさん友達ができました。当事者の方はあまり行く場がないので、よく家で会をしたりします。わたしがいないときなど、主人がみんなにカレーライスを作ってやっていたりしたこともありました、当事者の方とか家族の方とかということではない付き合いになっています。わたしは、当事者と付き合っていると心が和みます。
最後に、家族会というのは学ぶところだ、ということを'お伝えしたいと思います。娘が病気になった最初の頃わたしは、一人で、学ぶことが少なかったと思います。だから急ぎすぎてしまったこともありました。みなさんは、是非最先端の考え方を学んでいただきたいと思います。
時間ですがそれからもう一つ、家族会は行政に働きかけていくのもまた大切な役割だということを言っておきたいです。今、精神保健福祉サービスは市区町村に管轄が移ります。だから、この町ではいいサービスが受けられるのに、隣の町に移ったらそうじゃないこともあります。わたしは、家族会としてそのあたりの間題にこれからもつづけて関わっていきたいと思っています。
ちょっと一休み 2
富沢
小金丼で作業所『スペース楽』を5年間やってきました。今日は、それとは別に地域の活動で、その前からずっとですが、1O年間『つどいの会』というのをやってきましたから、それについてお話したいと思います。
作業所は職員とメンバーという立場がありますが、そうではない、誰でもが自由な立場で参加できる会が『っどいの会』です。月に1回、公民館を借りて開きますのでお金もかかりません。活動の内容はいい加減といっていいものですが、3つの原則を守っています。それは、1つには、心の病に関心のある人なら誰でも参加できるということ。2つには、お茶やコーヒーを飲みながら世間話をしようということ。なにも話さずにゴロゴロしていてもいいということです。3つには、無料でやろうということです。カンパができる人はカンパをしてくださいということです。最初に、もしお金が続かなかったら止めましょうということで始めたのですが、どういうわけか10年続きました。
そもそもこの会を始めたきっかけは、わたしはその前に精神病院で仕事をしていたんですが、病気が良くなっても退院後の受け血がないといった状況があったのですね。退院しても行き場がないからまたすぐ入院してきます。それでまず一般の人に関心を持ってもらうために始めました。
最初は、1990年の1月でしたが、「ストレス」をテーマに話をしようと始めました。ただ、堅苦しいことはよして集まりました。そのとき当事者が5人そうでない人が5人で、それが『つどいの会』になりました。
作業所というのは職員とメンバーの立場の差がありますが、『つどいの会』は全くそうではありません。
自分の出来ることはじぶんでやってくださいということで、カンパも出来る人がします。内容はともかく、月に1回、行き場所が出来たのでいい。そして、お金がなくても公民館だからただでいい。夕方の6時から8時までです。2ヶ月に1回は夕食会をやっています。これも、やってあげるとかやってもらうとかいうことではない形でやっています。対等の人間として認め合うのがいいのではないかと思います。お餅を食べるのでも自分で焼かなけれぱ食べれないから自分で焼いてね、ということになります。施設的なところだとほんとうの対等性がないんじゃないでしょうか?自分は作業所にいくとやっぱり職員として振舞いますが、作業所から『つどいの会』に行くとホッとします、
,地域で共に生きるということでは、やはりいろんな場が必要だと思います。作業所も必要ですしクラブハウスも必要です。そのなかでやっぱり一人の人間として認め合って付き合っていくことが大事だと思います。同じ人間だけど付き合い方を変えていくことが大事です。丁度、会杜の付き合いと同時にアフターファイブの付き合いも大事なように。なかなか作業所ではそういう付き合いは出来ないのですが、それはそれでいいと思います。
吉沢
医者というのは病気を治すのが仕事です。でもその逆も言えば、病気を治すことしか出来ないのです。精神科の場合、心というものを相手にしていますから、ただ客観的に分析して、この症状にはこの治療というようなことだけでは足りないものがあります。そこが精神科医の悩みでもあり、またやりがいです。
昔は、医者に薬の名前も聞けませんでした。今わたし自身は、医者というのはサービス業だと思っています。医学的知識を持っているアドバイザーです。たとえぱ、鬱の人に薬を出すとき、その人の希望を大事にします。薬は少ないほうがいいという人もいれぱ、今は苦しいからたとえ副作用があっても多量の薬がほしいという人もいます。患者さんが主体です。患者さんがどう治っていきたいのかを考えて治療していくのがプロの仕事だと思います。
患者さんによってはいろいろあります。1ヶ月ですぐに良くならない人もいます。そのきどう病気と付き合っていかなけれぱならないかなどいろいろ葛藤が起きます。
慰めることもありますが、これは間違いになることもあります。あなたはほんとうは病気ではない、というようなことも間違いかもしれません。
病気は、脳の神経の伝達物質の異常が原因で起きることが知られています。何ともないと言ってしまうことが、不幸な結果を引き起こすことがあります。脳の伝達物質の異常には薬が有効なことが研究でもわかっています。違いに気が付かないことは良くないと思います。
で、病気であることをしっかり認めることが大事なことになるのです。病気は恥ずかしいことでもなんでもありません。自分を責めたり、家族の方がご自分を責めたりすることはありません。病気であることとその人が価値があるかないかは関係のないことです。
このあいだ、長野でパラリンピックがありましたが、それを観ることは障害のない人のスポーツを見る以上の感動を与えてくれます。 今の世の中は、仕事をしなければダメと思われています。しかし、人間の価値は働いているからあるというものでもありません。
自分自身に対する偏見を少しでも捨てることが出来ればいいんじゃないかと思います。
医者というのも偏見を持っているのですね。10年前、精神医学の本には荒廃ということが書いてあったと先ほど粕谷さんが言われましたが。そういうことは、クレペリンという人が初めて行った研究から言われるようになったのですが、クレペリンは、それまで、今世紀の初めですが、精神病院というものがなくて地域で治療を受けていた患者さんたちを、精神病を研究しようということで大病院を作り患者さんを閉じ込めました。そして、治療しながら観察しました。しかし10年も20年も患者さんを閉じ込めていたのでは、荒廃するに決まっています。本来はそうではないのに医者が勝手に状況を作り、その中で起きてきた現象にあたかも病気そのものの性質みたいな言い方をしてきました。これは偏見だと思います。日本では、高度成長期に患者さんをやはり全部病院に入院させてしまえということで精神病院がたくさん出来ました。
が、今は違います。そういうことはおかしいんじゃないかと言われだし、大きい病院とは別に、総合病院の中に精神科の病棟が出来るようになりましたし、街の中にうちのようなメンタルクリニックがたくさんある時代になりました。
メンタルクリニックではビルの一室で診療しているわけですが、来ている人は決して特別の人ではありません。今までは特別のところに入っていたので、精神障害者は訳のわからない人といわれていましたが、最近はだんだん開かれていくことで偏見は少なくなってきています。
わたし自身の偏見を一つ紹介したいと思います。
若い分裂病の男性の患者さんなんですが、仕事を次々変えるんですね。短ければ1日、長くても2〜3週間で、続けられなくてやめてしまうのです。やめてどうするかというと、また次の仕事を探してきて、ところがまた長続きしません。わたしも、どうしても否定的に見てしまうのですね。仕事を続ける能力がないとか、そのことを自覚していないとか、そういうふうにしか捉えられないのです。だから、仕事をするというような無理はしないでデイケアにでも行ったらどうですかと勧めていました。また、彼が仕事にこだわるのは経済的な理由からではないかと思い、障害年金を受給することを勧め、彼は年金をもらうようになりました。しかし彼はやっぱり仕事を探してきては、またすぐやめてしまいます。、わたしは、これは病気の症状だと思いサジを投げるような気持ちになっていました。ところがある日会話の中で、彼が仕事にこだわるのは経済的理由からではないことを知りました。「男というのはちゃんと仕事をして少しでも杜会の役に立たなければならない」と考えていたのです。だから作業所ではなく仕事を見つけたいといつも考えていたのです。そのことが分かって、わたしは見方が変わりました。今までは同じことを繰り返して学習しないとか、仕方がないとか考えていましたが、そうじゃなくて、少しでもしっかり仕事をして杜会の役に立ちたいという気持ちの現れだと見えるようになって、とても懸命な努力だと思えて、そわで思わず、「立派ですね」と言いました。そしたら彼は、ほんとうにうれしそうな顔をしてニッコリ笑いました。
彼は今デイケアに行くようになりました。それは、わたしの見方が変わったことが関係していると思います。働く能力がないと思っていたうちは決して行こうとしなかったのですが、彼がほんとうにやりたいことを認め、私が立派だなと思えるようになったとき、彼自身の仕事へのこだわりがなくなり、まずデイケアから練習していくことになったと思います。それは、わたしが彼のことを認めたからなのです。それで彼が逆に変化したのです。
地域で共に生きていくには、偏見をなくしていくことが大事だと思います。社会の偏見、医者の偏見、あるいは患者さん自分自身の偏見、そういったものが少しでもなくなり豊かに暮らしていけるようになればいいと思っています。
ちょっと一休み 3
《討論》
A
レスポアールエ房という作業所に入って5年になります。
そこで勉強会があったのですが、1981年に国際障害者年というのがあって、そのときに輸入された言葉にノーマライゼーションとリハビリテーションというのがあります。
ノーマライゼーションという言葉は人によって様々に定義されるのですが、僕が思うに、ノーマライゼーションというのは、一つには健常者から障害者に対するノーマライゼーションと、もう一つは障害者から健常者に対するノーマライゼーションの二つがあるんじゃないかと思います。最初に言ったのは、障害をもっていようが持っていまいが同じように扱うということ、もう一つのほうは、ここまでは出来るがここから先は出来ないということを障害者が健常者に分かってもらうということです。
それから、リハビリテーションということは社会復帰ということだと思います。
では、これらは今回のテーマである『地域で共に生きるには』ということにおいての定義付けはどうなるのか?それにどう繋がるのか?それから、実際にはどうあるべきなのかということで、何かお考えをお持ちの方は説明していただきたいのですが。
大久保
地域で共に生きることとノーマライゼーションとの関係ということでしょうか?どなたかお答えいただけますでしょうか?
粕谷
わたしは、ノーマライゼーションという言葉を、"障害を持った人も持たない人も共に安心して住める町"ということで話したりするときに使います。例えぱわたしは、わたしの町で、年を取ったり障害を持ったりしてもほんとうに安心して住める町にするには自分自身何が出来るかということをいつも考えています。
わたしはかつて、寝たきりの母を何年も看護しましたからもし娘が病気になることがなかったら、老人の方とお話相手とかそういうことをしながらノーマライゼーションの町づくりにボランティア的に関わっていると思います。
たまたま娘が病気になり、精神保健のほうに随分いろいろ関わってきましたから、そのことを通してノーマライゼーションの理念のもとでの町づくりに、今一人のボランティアとして、あまり家族としてではなく参加しているところです。
西
先ほどの吉沢先生の話しにちょっと引っかかったのですが。これはわたしなりに引っかかっただけなのですが・・・。
脳内神経伝達物質の異常によって精神障害が起きているというごとでしたが、この中の異常という言葉は英語でいうとアブノーマルというのですね。そうすると、ノーマライゼーションというのは正常に生きるということを基本的な意味として持っているんじゃないかと思います。つまり、異常=アブノーマルな精神障害を、正常=ノーマルの圏内に取り込んでいくということだと恩います。だから、社会が豊かであるかどうかというのは、その社会が、いかにアブノーマルな部分をノーマルという形で取り込むことができているかということに表れていると思います。
わたしは、精神障害というのは、あくまで一部として捉えるのではなくノーマルの中のちょっと限界オーバーという程度のことで捉えるべきだと思います。また、社会的適応ということでは、ここまでは受け入れますという範囲を出来るだけ広くすること、それがノーマライゼーションということではないかと思います。アブノーマルということで否定してしまうのではなく、そうであってもノーマルの範囲に含めることじゃないかと思うのです。
精神障害といってもちょっとした程度の差ではないのでしょうか?決して異常ということで捉えるべきではありません。ちょっと毛色が違ってるとか、色がドギツイとか、ちょっと生き方に無理があるとか、これからはそういう捉え方が進められていくべきではないでしょうか。
今の精神医学は、いわゆる解剖学的に考えるのが主流ではないでしょうか?白黒をはっきりつける。これは心臓であって肺ではない。その境目をはっきりさせる。
しかしわたしはこのあいだ、新しい認識の方法を一つ手に入れました。『神との対話』という本に書かれてあったことなんですが、"神の二分法"というものです。二れは、「そうであって・・・そうであることは確かなんだけど、もしかするとそうではないかもしれない」いう考え方です。
こういう考え方からいくと病気か病気ではないかではないんです。たとえば光というのは粒子であって波動でもある、というものです。同じように精神障害も病気であって病気ではない、といえるものではないかと思います。そういう認識をしなければ新しい展開は出来ないのではないでしょうか。病気であるという認識は確かなんだけど、病気であるということだけで決めてしまったら、そこから先には進めません。病気と今までいっていたところを障害というところにまで進めないと、どこまでいっても医療という圏内でわれわれは動かされます。だから雇用センターであっても医者が関わってきます。病気ではあっても病気ではない、障害なんだ、という見方がこれからは必要です。それが、幅広い意味でノーマライゼーションだと思います。
吉沢
当事者の方も当事者としてその病気にかかわっていろいろ考えられているのと同じように、医者のほうも医者として取り組んでいるのですが、ノーマライゼーションということでは西さんの言われたようなことだと思います。
わたしの考えとしても、本当にこれはもう何か明確な病気があるとは考えてはいないのです。その辺はもうあいまいなものなんじゃないかって考えています。
患者さんに対しては、その人その人によっていろいろな言い方をするような形になります。
ですからたとえば、「自分は性格が悪いから・・・」というようなことを言われる患者さんには、「それは単なる病気なんですよ・・・」という言い方をすることもありますし、あるいは、病気であってそれがまた異常であるみたいなことを言って悩んでいる方には、病気と考えなくてもいいんですよといった言い方をします。
精神科医というのはたいてい密室で一対一で話し合いますので、大勢の前だと一人一人に違う話をするわけにいかないのであまりうまくはいきません。
で、ノーマライゼーションというのはほんとうに定義が難しいのですが、わたし自身はやっぱり単純に、障害のある人もない人もそのままでともに生きていくっていうことだと思っていますけど。
社会復帰という考えも悪くはないんですけど、ひとつ誤解されてきたのは、じゃ障害を持っている人を訓練しましょう、これをやってこれも出来るようになったら杜会で受け入れましょうみたいな形になってしまったことがあります。
ですけどそのままありのままで一緒に社会で生きていくにはどうすればいいか?たとえばヘルパーさんが週に2回行けぱ、その人は社会の中で暮らしていけるかもしれません。
ノーマライゼーションというのは、ありのままの状態で共に生きていくにはどうすればいいか、みたいなことだと言うふうに理解しています。
ちょっと一休み 4
B
精神障害者をみんなが嫌がったり怖がったりするのは、刑事事件があったり、少年オームのような人が何をするかわからないというのがあってす。それで、なかなか仕事が見つけられないとか病院に入れられてしまうとかがあると思いますが。
吉沢
精神障害の人と健康な人とでは健康な人のほうが犯罪率が高いということはよく知られていると思います。しかし、精神障害者の起こした事件というのは、動機が理解されにくかったりなどで目立ってしまいます。
また、理解できない行動をする人を精神障害者であると見なしてしまうようなところがあって、そうすると理解できないような事件を起こしてしまった人は全員異常だというふうになってしまいます。その緒果、心の病気を持った人はみんなアブナイとされてしまいます。
その偏見をなくすには、一つには精神障害者の人がどんどん発言して、またどんどん世の中に出て行くことが大事だと思います。そうすれぱ、心の病気があるからといって何をするか分からないということではないことが一般にもだんだん分かってくるのではないでしようか?
わたし自身、医学部へ入る前までは、心の病気の人と接する機会は、精神科医になりたいと思っていたのに、ありませんでした。ましてや一般の人は、触れ合ってほんとうに理解し合うという機会は未だにないんじゃないかと思います。
西
わたしも結論から言いますと、精神障害者が世の中に出て行くしかない、と思います。怖くないんだということを実際見てもらうしかないと思います。
精神障害者がなぜ世の中から怖がられるかというと、それは、何かをするからではなく、自分と違う考え方をするからだと思います。自分と違う価値観を持っているから、自分の考えが揺さぶられるのです。そうするとその人は、常識から外れているということで切ってしまわなけれぱ身が持たないのです。
ではどうすればいいかと言いますと、精神緯害者の心構えとしては、常識に勝とうとしないことです。
わたしはかつては、常識よりも自分の考えのほうが優れていると思っていました。しかしそう言っているうちは、世間はわたしを認めてくれませんでした。そこでわたしは、常識というものに降参しました。すると世の中がわたしを認めてくれるようになったのです。負けることが勝つことだということを学ぴました。
一般杜会側から言えば障害者というのは、もともと杜会通念に対して何かを突き付けているものなのです。"あなたはどちらの側に立つのか"ということです。
ある高級レストランに入っていたときのこと。そこに重度の身俸障害者が入ってきました。そしたら、近くにいた蝶ネクタイのかっぶくのいい紳士がボーイを呼びつけて文句を言いました。そうしたら、カウンターにいた女性がその紳士を睨み付けました。"こんな人をこのレストランに入れるとは何事だとは何事だ"というわけです。
これは、あなたは紳士の側に立ちますか、女性の側に立ちますか、という間題を突きつけています。自分が選択すると同時に白分も選択されているということを一般の杜会に暮らす人も気をつけてほしいと思います。
C
これまでの話しは、日本の考え方の枠で考えたものだと思います。本質的に障害者の間題を考えたとき、じゃあ欧米などではそういった考え方は果たして本質的なものか? と言いますのは、障害者の間題というのは世界的な間題ですし、障害者の概念もここのところ随分変わってきています。その多くは欧米の考え方を受けて変わってきているものです。
日本の世間というのは、いじめの間題もそうでしょうが、日本共同体というか他人と同じ考えでなくてはいけない、というものです。人と人とは一人一人違うということ、いわば個性を出しにくい社会です。
家内も、自信がないままに自分が働きにいって、外見的には分かりませんが、薬を飲んでいますから、手が振るえたりとか、動作が鈍かったりして、結局もともとその原因があるわけで、そういうことは言わないで仕事をしていましたから、クビになってしまいます。
今の目本の杜会では、合わせていかないとしょうがないというか、現実的にそうしていかないと逃げざるを得ない。そういうことも国際的な障害者の問題では一方で考えていかないとならないと思います。
たまたま学芸大の先生が、学生を海外に連れて行きました。そうしたところ学生は自己主張がないというか、授業でなかなかしゃべらないのです。そうすると向こうの人は、「学生さんは障害者の方ですか?」と言ったそうです。言語障害の方かと。向こうでは、自分の意見というのは、どんな違いでも当たり前のこととして考えられています。そして自分の意見を述べられない人はやっていけない。
意見の違いを認める欧米の祉会と、そうじゃない日本の社会の環境ということも、障害者の間題では加味して考えてもいいんじゃないかと体験の中で思いました。
大久保
障害と健常の垣根というのははっきりとはあるわけじゃないと思います。健常者もいつ障害を持っかもしれません。障害者もいつ良くなって健常者になるかもしれません。そこには垣根はないと思います。
今の、意見が違う違わないの話しですが、人は一人一人病気のあるなしに関わらず、全部意見は違います。ここにいらっしゃる人で一人として同じ顔をした人はありません。こういうふうに頭の中もみんな違います。意見が違うのが当たり前です。この基本的な考え方がこれからどんどん出てくると思います。
同じ教育、同じカリキュラムでど一んと来て、どこどこがいい学校だと順番をつけてやって来た杜会が今まさに壊れていっています。ちょっと変だぞと考え直す時期に来ているのだと思います。いじめやいろんな事件も噴出すように起きてきて、これじゃいけないんだと誰もが考えていると思います。
普段わたし達が生活していくとき、最小単位というものがあります。家族もそうだと思いますが、地域もそうだと思います。地域で生きるとき、人と人とが摩擦をより少なくして、顔も意見も違う人同士がどうやったら幸せに暮らせるんだろうかと、今日みなさんと考えられるいい一日だと思います。
お互い違うのを受け入れ合うというのは先ほどシンポジストのみなさんからもお話が出ましたけれど、人を人として認める、他人を尊重するということ、そこからスタートするんじゃないかとわたしは感じますが・・・
ちょっと一休み 5
D
コットンハウスに関っているというか参加しています。わたし自身は2度入院したんですが、そのとき、そういう治療的な場所があるのはいいけれど、"入院している人はここでこういう形で生活を送り続けなければいけない人ばかりではない"ということを感じました。
わたしが、「入院したのよ」といったとき、わたしには信頼関係がある立場とか行き場がありました。その点でわたしは支えられて、その中でよくよく考えてみたことは、家族だけしか支える人がいない若い人とかいて・・・友達とか地域杜会とか自分を確立できる場所がある人は、自分を自分として生かしてあげることができるということです。
わたしは、友人や家族に支えられましたが、社会の偏見とかそういう人間の与えられる環境というものに疑間を持ちました。
表に出さないと分かってもらえない。表に出せぱ偏見を受けます。出さなければ自分が苦しくなります。そういう矛盾があります。これはドンキホーテみたいなものです。で、次に何をするかというと自滅状態に入るということです。
作業所では、職員とかメンバーとかいってルールがあるらしいです。先日も、物の貸し借りは職員としてやってはいけないというのがありました。何だろうって思いました。普通に豊かな人と人との関係を結んではいけないんだろうかって。
わたしには、一人の人間としての立場しかございませんので、例えば、"わたしがあなたを友達と思う"というとき、金銭の貸し借りはしないということ、これは、わたしは、健常者であろうが障害者であろうが、友人として人間として豊かな暮らしをしたいと思っていますから、そういう考え方の中でわたしは自分を確立していますから、そういうことを言われたときにわたしはその立場にいないし、立場ってよく分かりません。
その人にとっていいことというのは、ほんとうに一人一人の顔が違うようにみんな違います。心の病気といったって、健常者でも心が病んでいる人はいっぱいいます。変な話、夜眠れないとかとっても不安になるとかそれだけには障害はあるけれど、実際に一緒に食事なんか作ってみるときれいに刻んでくださる方とか色に関することが長けている方とかくそこには障害なんか一つもありません。
メンバーになりたかった人がいたんですけどならずに、地域で自分で頑張らなくてはいけないからとかで出たんですけど、たまたま町内が同じなものですから、結局は地域で生きるということは町で会うわけですね。そうするとわたしは、その方を、人としても魅力のある方ですから、楽しい話をしお付き合いをし、彼女が一人暮しでしたから、例えぱ風邪を引いて寝込んだら、電車に乗っていくんじゃないから、わたしに電話をくれて、彼女だっていつ来てくれるかって。わたしがどんなことができるかというと、十把ひとからげではないけれど、やっぱり出来ないことは多いと思います。ということは、わたしとその方との関係性の中で、健常者であろうが障害者であろうが、健常者で心が病んでいる人だろうが、地域で共に生きていくときに、今がそういう生き方をしているんですけど、実際のところ一人が一人として尊敬を持って扱われるということが、ややもすると、"この人たちは決めるカもない"と勝手に健常者とかが決めたほうがいいとかになります。そういう話を聞いたときに、決められたことには、障害はないのに、何故そこにいちゃダメなのかと思いました。
そのひとは、いられないのだから、出たほうがいいのだから、と。
そこはやっぱり十把ひとからげで扱わないということが基本かなと思うのですが・・・。
これはわたしの意見ですから。
E
わたしは緒婚しているのですが、ハローワークに行っても仕事がありません。それで家内の家族から、怠けていると思われて、偏見を持たれています。どうやって家内の家族の偏見を取り除けるでしょうか?また、仕事に対しての相手に理解してもらうにはどうしたらいいのでしょうか?
西
病気を隠して仕事につけぱ給料は高いが大変なストレスがかかってしまいます。しかし逆に分裂病と明かせば給料は安くなるし、今の景気なら仕事はないかもしれません。それは選択の間題だと思いますが…・
富沢
作業所からも、パートですが仕事に行っている人がいます。だいたいは病気を隠していますね。それもハローワークの人と相談の上選択します。
病気を明らかにすると収入の面で不利になり、また仕事自体がありません。仕事がある程度出来るのであれば、病気のことは隠してチャレンジしてみるのも手ではないでしょうか。ご両親の方には、自分は怠けて仕事をしていないこと、むしろ仕事はしたいのだけど病気のせいでなかなかうまく行かないことを理解していただく。そして、病気自体についても多少なりとも分かってもらうことも必要だと思います。
F
精神障害ということと病院に通っていてただ病気の人との違いを教えてほしいんですが・・・
富沢
大変難しい質問です。
障害という考え方と病気という考え方の中には、固まっているというような部分と、ずれているというような部分があるのかもしれません。
病気というのは、例えば脳の中の物質の量が変わったとかでいろんな症状が出てきます。それをくすりでなおして、という部分があります。そしてそのことで社会の中で生きにくいことがあったりすることが障害ということで分けられていると恩います。ただ精神病というのは、外科とか内科とかの身体の病気と違って、その二つが分けにくいところもあります。似ているところもあるし違うところもあります。
病気ということでは医療の対象になります、また障害ということでは社会から見た見方になります。
西
病気とされるのは、アンバランスからくる回りとの不調和によるわけです。家族とのトラブルとか地域社会とのトラブルとかそう行ったことから入院させられます。運命を招くのではないでしょうか。ところがもし調和的な関係を保つことが出来ているなら、不眠とかそう状態とかであっても入院しなくてすみます。関係性に対する適応能力がアンバランスなりにバランスがとれている。言ってみれぱ、身体の体重の半分しかかかっていないけどそれなりにバランスがとれている。そのときには、障害といった状態に移行していると思います。
例えば、不眠とか気質的な障害は持っているけど健全な社会人としてやっていけるというのを障害の段階に入っているというのではないでしょうか。これは全く私見ですが、わたしはそう考えています。
わたしも障害を持っています。このまえハイだったことは先ほど言ったとおりです。でも障害は持っていますが、病んでいますかと聞われれぱ、はっきり、病んでいませんと言えます。
ちょっと一休み 6
G
精神病院に勤めている看護土です。その視点から意見を話したいと思います。障害といっても病気といっても、そこにはやっぱり差別があります。今問題にしなけれぱいけないことの一つに差別ということがあると思います。
みんなここにこうして一緒にやっている訳だから差別なんかない、とおっしゃるかもしれませんが、実際今障害を持って仕事をしている人はほとんどいません。それから病院に入院したことのある人なら分かると思いますが、病院や施設に入所した場合、そこには差別があります。支配という言葉で表せるような状況があります。世の中にある偏見というようなことの更にレベルの高い、人聞に対する支配があります。そこには、普通にある自由というものがありません。何から何まで定められ支配されて生きなければなりません。
じゃあ地域には差別や支配はないのかというと、そうではなく、やっぱりあると思います。
例えば、障害を持つと仕事がありません、、わたしには仕事はありますが、障害を持ってしまうと仕事は出来なくなります。そういったことは何故なのかよく考えてみても、結局差別ということでしか言い表せないんじゃないかと考えてしまいます。
家族の中でなら、自分の子供が病気になれば献身的に看護をしますし、障害を特てぱ献身的に介護をすると思います。ところが社会ということになると、システムとしてまだまだ大きな差別があります。
個人的な問題も大事なことだけど、この差別も何とかしていかなければならないと思います。現実にある差別をありのままに見てなんとかしていく、これも大事ではないでしようか。
一番最初にノーマライセ'一ションという言葉が出ましたが、たしかにこういう言葉は大事だと思います。やっぱり社会を変えていくには、こういう言葉の道具が必要だと思います。でもこの言葉はなんかあやふやで、わたしにはだまし言葉ように聞えることもあります。現実を覆い隠してしまうような甘い言葉というか・・・。
今考えなけれぱならないのは、現実にある差別をありのままに見てなんとかしていくこと。このことが問われていると思います。
かつて日本が高度成長期に人るとき、施設主義が言われて、どんどん精神病院が出来ていきました。それから老人病院もどんどん出来ていきます。福祉のほうでも施設主義で、どんどん老人福祉施設が出来ていきました。
今は施設主義という視点が変わって地域.主義になっていっていると言われるかもしれませんが、残念ながら今はもう競争主義という新たな差別時代になってきています。人間が温かく交流していこうといった地域主義はなくなり、正に人間が人間を無視する時になりつつあるように思います。
もう一度、個人と個人が向き合わなければならない、みんなで向き合わなくてはならないと思います。このとき、わたしは、自分たちが差別を受けたという人が、また偏見を受け支配を受けたという人が声をあげてほしいと思います。
ノ一マライゼーションという甘い言葉にだまされて、いつまでたっても同じように仕会から疎外されて生きなけれぱならないようなそんな21世紀になるんじゃないかと心配しています。
きつい言葉も使いましたが、そういった視点・レベルで考えることも必要だと思います。
大久保
目の前が真っ暗になるような話でしたが、偏見ではなく更に強い差別ということで話がありましたが・・・
H
自分自身が障害者で手足が全く動かないんですが、何とか一人暮しをしています。今日いろんな話を聞いて、様々なことを感じました。
まず第一に、分裂病という病を知らない者の立場から言えることは、心の病を持った人がある意味で、今の社会のおかしい点を直してくれる人たちであり、宝的な存在であるということです。そういう方たちがありのままに生きられる社会システムを作っていくことが、今の健常者といわれる人たちすべてが幸せになれる一番の秘訣ではないかということです。
そう言うことの根拠といいいますのは、今起きているいじめや登校拒否など様々な社会間題の根っこに何があるのか考えますと、やはりみんなそれぞれが自分のことぱかり考えるのがとても強くて、周りの人のことを考えるということが欠如しているからではないかと思います。そして健常者といわれる人たちが、心の病を持った人と関係を作りながら生活していく上での一番の肝要な点は、やはりタイトルに書かれてある"共に"という関係性であると思います。共に、ということで意味付けられるのは、やってあげるとか支配するとかされるとかということではなくすでに同等な関係、双方とも相手の主体は損じないし、なおかつ相手の主体を認められる関係性作りを続けながら生活すること。それが、共に、という意味だと思うのです。
そういう関係性を作っていくうえで何が必要かといいますと、漠然とした言'葉ですが、愛情というか、そういう言葉で表現されるものだと思うのですが。心の病を持った人と向き合っていくとき、また関係性を作っていくためには、愛と呼ぱれるようなものを自分自身が構築していかなければほんとうの付き合いは出来ないのではないか、途中で崩れるのではないかと思います。
ということで、われわれに愛というものを教えてくれる現在の世の中の存在は、心の病の人しかありえないのではないかと思います。
心の病を持った人というのは、感晴が敏感で、教えてあげるというような上から見下ろす態度も分かるし、本質的なものを見る直観力も持っています。だから昔からわれわれは、最も大切なものを学ぶチャンスを持っていたわけです。
心の病が増えているという今の状況は、ある意味で軌道修正を与えてくれているといえると思います。心の病の人がどんどん増えて地域に出てきて、一般の健常者と交流する。.軌道修正する力を持った人が街中に出てきて社会を良くしてくれる。これは宝物がだんだん生まれてきているのだな、と思います。
宝物を宝物として生み出すような力が、たまたま地域で出来ています作業所というような存在で、作業所はそういった役割を果たしているんだろうとわたしには思えます。(大きな拍手)
ちょっと一休み 7
大久保
光がさっと射してくるようなご意見でしたが・・・
I
先ほどの司会者の話の中で引っかかった言葉がありました。「地域の中で人と人とが摩擦をしないように・・・」ということが話されましたが、わたしは、「人と摩擦をして生きていっても大丈夫なんだ、いいんだよ」といえる社会、安心して摩擦し合って生きていける社会を持つことが、今一番大事だと思います。先ほどどなたかの話の中で、学生さんが外国で自己主張できなくて言語障害ではないかと言われた、ということがありましたが、ほんとうにみんなそういうふうに人と摩擦をしない生き方で生きていると思います。
ですが、人が障害を持つということは摩擦なしでは生きられないことだと思います。ですからある意味では、障害を持っている方はどうぞ摩擦を起こしてください、と言いたいと思います。でも摩擦を起こすということは、エネルギーがいることですから、そのエネルギーは地域の中で与えましょうよ。その人に、「あなたそのままでいいのよ」と言ってくれる仲間がいることと、その仲間が得れる場所があること、そういう場所を作っていくことなんだと思います。障害を持つということはエネルギー的に大変なことなんだと思います。精神障害の第一の障害はエネルギーの低下だとわたしは思っていますが、だから就労も長時間出来ないとか集中力が足りないのも、そこに根源があるんじゃないかと思います。
摩擦を起こしていいんだ、という生き方がいろんな教育の中でされて、その中で交換されていけばいいんじゃないかな、と思います。そしてそういうものを地域の中で守っていく拠点を作っていく。家族を超えたものとしての拠点を地域の中で作っていく。そして、障害者の方は是非どんどん違いを出していく。そうなふうに思います。(大きな拍手)
大久保
わたしも安易に摩擦という言葉を使ってしまい、ご指摘を受けありがとうございました。とかく、「これは失礼ではないか」と黙ってしまうのが日本の普通の考え方だと思いますので、こういうふうに真正面から言ってくださることに感激しました。確かに、人と人とは違うのだから違う考えがぶつかるのは当たり前だ、とわたし自身言っておきながら、摩擦を起こさないようにと考えていました。これは結果論であって、途中では摩擦は大いに安心して起こすようにと力強い意見を頂きましてみなさん心強く思われたんじゃないかと思います。
西
弁解がましくなりますが、摩擦を起こしている当事者としましてはたまらないですよ。
差別ねえ。誰が一番辛いところにいるのか、当事者はほんとうに辛いです。わたしとしては、当事者の役割としてやっぱり話しをしていかなければまずいということでやってきましたが、これはなってみなけれぱ分からないですよ、と言ってしまいたくなるものをいろいろ持っているのです。
わたしは入院していたとき、ほんとうに病院というのはこの世の地獄だと思っていたのですが、そういうふうに看護婦さんに言えば、「あんた達は三食昼寝付でいいわねえ」と言われました。何だったら代わってやろうかと思いましたが。やっぱり本人じゃなきゃ分からないというのはあります。
で、大事なことは、思いやりというか相手の身になって考えるということ。それが今求められているのではないでしようか。
今健常者側から、もっと摩擦を起こせとか、社会的地位での差別がひどすぎるとかいう話がありましたけど、われわれは痛い痛いと悲鳴をあげているだけです。だけど、卵の殻の中の雛鳥が外に出ようと殻をつっついているとき親鳥が外からつついてくることをいうドウタクという言菓があります。障害を持っている側と健常者の世界は、やはりドウタクということが21世紀に向けて行われているのではないでしょうか。で、これはお互いがお互いを思いやることではないかと思います。
今までは家族という形で守ってきましたが、もう家族というものではフォローしきれなくなってきています。家族で守ってきたことをこれからは地域でお互いに支え合っていくという社会改革が求められているのかなということを、今日のシンポジュームの中で感じました。自分の子供じゃないからというのではなく子供は杜会の財産だという視点の変化が大事ではないでしようか。
N
『たすけあいワーカーズぽぽ』という白立援助グループ、ヘルパーみたいなことをやっている者です。わたし達は一応、自立を助けるための手伝いをして地域で共に生きることを目標にやっています。西さんが、やっぱり健常者に理解してほしいと言われましたが、健常者の側からするとどう理解すれぱいいか、すごく難しいところです。
精神障害者の自宅に家事援助に行ったとき、r金を払っているのだからお前達は普通にやって当たり前だろう」「おれの払ったお金がすごく無駄になった」というようなことを言われ、''お前"呼ぱわりされているヘルパーにとってどう接していったらいいのか分からなくなった経験があるが・・・。
精神病の人は自分のことをあまりおっしゃらないことが多いので、逆にヘルパーとして入るときにどういうふうに声掛けしたらいいのかなあとか・・・普通なんだというふうに思って入るんですが・・・。一つ一つ言ったことで傷つけちゃうんじゃないか、と考えるところがいけないんだということを今日学んできたんですが。また、やっぱり共に生きるということが大事とだんだんなってきたなあという感じはするんですが。
ただ、ヘルパーとして一対一になることや、ヘルパーということで精神障害者の人でもお金持ちしか頼めない。それから、自分の家を見てもらおうというわけですから、心が開いている人か病気でも軽い人じゃないかと思うのですが。
わたし達入る側としては、当事者には閉鎖的になっているとか、壁があるんじゃないかと感じてしまいます。これは偏見かもしれないんですが。
けど、やっぱり一人一人の背景を大事にしてやっていきたい仕事ですから、そこらへんのところで、共に生きるということではどういうことなのかな、とすごく不安になるんですね。
それから、若い人達はやっぱり結婚したいとか、家族のある人はいいですが、家族がいれぱ家族が社会と繋がってやってくれると思うのですけど一人住まいの方とか別れて一人になった人とか、社会との繋がりは結局保健婦さんとか杜会的地位みたいなものがある方が声をかけるということになります。そうすると、上下関係になるのかなあ、と思ってしまうのですが。
ヘルパーをやっていて常に考えるのは、どこらへんを大事にしたら自然体というか、当事者側と健常者側がどう繋がれば共に生きるということでいい関係になれるのか疑問に思っているのですが。何か教えていただけれぱ・・・。
ちょっと一休み 8
西
どう付き合えばいいかということですが、障害者ほど付き合いにくいものはいないと思います。それはわたし自身がそうなんですから。
一番基本的に考えなければならないこととして、前もってこういうもんだということで予測をしたって当たらないことを申し上げておきます。まったく違う価値観なんですから。
たとえばこの上のほうに北極星があるんですが、地球をずっと離れていったら上も下もないですよね。右も左もありません。北極星はただの一つの星でしかありません。地球では地軸があってただ方向が上だといっているだけです。
だからあくまで健常とか杜会通念とかそういう基準はその杜会の座標軸であって、そういったものはその杜会の中だけで通用するものです。
ですから、まずどういう考え方をしたらいいかではなくて、どういう考え方もせずに逆に教えてもらうといったような考え方が一番無難かと思います。
わたし今、ルーテル大学に行っていますが、その大学の先生が書いた文に、"精神科医になりたての頃、保護室に入っている患者の初診をしたが、患者が「先生、これわたしの食事です」と回虫の死骸を出したので、瞬間的にその患者は精神分裂病の最終的な段階に入っていると診断した。そしてそこをそのまま適りすぎようとしたら、他の患者に「先生そんなことをしたら可哀想だ」と言われどぎまぎしてしまった"というようなことが載っていました。これはもうおかしいです。普通の人間が回虫を食べるわけがない、そういう固定観念が間違っています。逆にその先生は、「あなたはなぜ回虫を食事にしているのですか?」と聞かなければいけません。するとその患考は、もしかしたら、「先生、これはたんぱく質でね。これでも十分栄養になるんですよ」と言うかもしれません。「わたしは生き物の生肉を食うほど偉い人間じゃないからね。寄生虫だったら自分の肉を食らうようなものだから、これくらいのことなら許されると思って食べています」と言うかもしれません。それは分かりませんが。
だから固定観念で見るんじゃなくて、あくまでこの人はいったいどんな考え方をしているんだろうかと、受け入れる受け入れないは別として、聞き出すと言う姿勢というのが関り合いの中では大事なことじゃないかと思います。今の精神科医の中では、患者から教えてもらうという言葉が最近ちょっと多い感じですけど。前もって固定観念で計るのではなくて、それぬきでどういう価値観をもとにどういう意見を持っているかということを逆にその人の世界を聞かせてもらうという姿勢です。
大久保
いいお答えをしていただきました。
今日はもうたくさんのいろいろなお話がありまして、みなさんも心に残ったことがいくつかおありになったのではないかと思います。
時間になってしまい中途で終わりますので、これじゃ21世紀が迎えられないなあという気分でわたしはおりまして心配なんですけど、まだ21世紀までは月日がございますので、その間、自分はどうやって生きていったらいいだろうか、みなさん心の中で考え、今日出た意見の中で偏見とか差別とかいろいろ間題点はございましたが、その中にあっても自分は何を考えてどうしたらいいか、まずは自分ができるところから変えていこうではありませんか。いかがでしょうか?(大きな拍手)
土屋
今日は雨の中また日曜日でしたが、多くの皆様に来ていただき、一緒に、"地域で共に生きるには''というテーマをもとに考えられたことは大変良かったと思っています。でもこれはここで終わるということではなく、みなさんお一人お一人の希望や理想に向かっていく旅路の一点ですので、あきらめずに、地域で共に生きていけるようこれからもお一人お一人の中で努力されていってほしいと思います。今日は長い時間ありがとうございました。