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中村草田男を読む194〜200(『銀河依然』1〜7)

194/gingaizen 1

句集『銀河依然 
昭和二十二年
 

葡萄食ふ一語一語の如くにて
1947年
46歳
鑑賞日
2006/5/20

 この頃は種無し葡萄などは無かったろうから、種を口の中で選り出しながら食べたことであろう。一語一語を吟味しながら読んだり書いたり話したりという行為の譬えとして適切に決まっている。


195/gingaizen 2

句集『銀河依然 
昭和二十二年
 

南瓜の山そこへ女の香をのがる
1947年
46歳
鑑賞日
2006/5/21

 女の香、即ち虚飾に満ちたうわべだけの華やかさから、南瓜の山、すなわち飾らないありのままのものへ逃れたときのホッとした気分であろう。


196/gingaizen 3

句集『銀河依然 
昭和二十二年
 

宵月を螢袋の花で指す
1947年
46歳
鑑賞日
2006/5/22

 〈次女〉と前書

 これも谷内六郎の世界に通じる。つまり懐しい日本の童話の世界。竹久夢二の描く女性の子供の頃の出来事というような雰囲気とも言える。


197/gingaizen 4

句集『銀河依然 
昭和二十二年
 

遠足率て行く世の見るまじき見せまじと
1947年
46歳
鑑賞日
2006/5/23

 〈率〉は[ゐ]とルビ

 俳句としては良い句とは言えないが、草田男の二言論的なものがよく出ていると思ったので心に留めたいと思って取り上げた。世界を善と悪、美と醜、徳と不徳というように二つに分けて捉える考え方が二元論である。そして大方、二言論的な人は自分はその良いほうに与していると考えている。そこが草田男の良いところでもあるのであるが、〈青さ〉でもある。


198/gingaizen 5

句集『銀河依然 
昭和二十二年
 

號令の無き世柘榴のただ裂けて
1947年
46歳
鑑賞日
2006/5/24

 この句なども草田男の体質というか性質が出ていると思う。二元論的なモラルの中で安定するというような性質である気がする。アナーキーでダイナミックなものへ真向うというのは苦手だったのではないか。「柘榴のただ裂けて」という言葉にそんなことを感じる。


199/gingaizen 6

句集『銀河依然 
昭和二十二年
 

ラグビーや青雲一抹あれば足る
1947年
46歳
鑑賞日
2006/5/27

 「・・あれば足る」とまで何故言わなくてはならなかったのかを考えて見た。この句は小題『長夜自影』という一連の句の一つであるが、この題の句を幾つか拾ってみる

自明の結論汗の日々もてゆるめんとて
いつまでも若き林の愚かな秋
雲の一糸も無く白日や秋の聲
身を結び身を解き孤り穴惑ひ
思ひ出づ月光黄色(こんじき)なりし獅子夫婦(めおと)
長夜自影横顔支ふ手小さく

 迷っている自分、空虚なる自分、目標を失った自分というようなものを感じる。だから「・・あれば足る」と言ったような気がする。この頃の草田男の心境か。


200/gingaizen 7

句集『銀河依然 
昭和二十三年
 

行くほどに枯野の坂の身高まる
1948年
47歳
鑑賞日
2006/5/28

 言葉を象徴ととれば引っかかる句である。孤心、慢心への坂道という気がしないでもない。

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