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与謝蕪村を読む 1〜10


1

蕪村句集 

春の部
巻之上
ほうらいの山まつりせむ老の春
安永4
1775
60歳
鑑賞日
2004
12/1
 今日から与謝蕪村の俳句を鑑賞することにした。今まで蕪村の句はほとんど読んだことがなかったのでどんな鑑賞になってゆくか見当もつかない。それだけにまた新鮮な気持ちもある。手許には先頃買ってきた岩波文庫の『蕪村俳句集』がある。この本にそって鑑賞を進めたいと思う。この本は尾形仂さんの校注である。

 蕪村は1716年に生れ1784年に68歳で没しているから、この句は60歳の時の句である。
 「ほうらい」は〈蓬莱〉で神仙が住むと言われる中国の伝説の山で、不老不死の地との伝説からこれを摸して正月の飾り物とする。
 この句を読むと、蕪村がその晩年において穏やかで心豊かであったことが偲ばれる。


2

蕪村句集 

春の部
巻之上
日の光今朝や鰯のかしらより
明和9
1772
57歳
鑑賞日
2004
12/2
 鰯の頭は節分に門口に挿し鬼よけとした。柊(ひいらぎ)も挿す。

 このままの情景を味わえばいいのである。何ということはないが、肌の光っている鰯の質感がよく感じられる。そうこうしているうちに、鰯の匂いさえ漂ってくる感じがする。
 卑近なもの(鰯の頭)をとおして、大きなもの(日の光)を表現する。これも俳諧性の一部であろう。

3

蕪村句集 

春の部
巻之上
鴬の声遠き日も暮にけり
明和6
1769
54歳
鑑賞日
2004
12/3
 蕪村の句をまだ三句読んだだけだが、非常に穏やかに生を送ったに違いないと思えてきた。単に穏やかというのではなく、そこには詩が流れているような時間を生きたに違いないと思えてきた。
 この句、現代の時間の流れの早さに比べたら、なんという濃密でまたゆったりした時間の流れであろうか。薄く、あわただしく、軽い時間の中で過している現代人は、物質的繁栄と引き換えに、大事な大事な〈今〉という時間を失ってしまった。

4

蕪村句集 

春の部
巻之上
公達に狐化たり宵の春
安永7〜
天明3
1778〜
1783
63〜
68歳
鑑賞日
2004
12/4
 公達とは要するに貴族の子息のこと。宵の春は春の宵ということである。
 宵の春の艶めいた感じが良く出ている。この公達、これから恋の駆け引きでも始めそうな雰囲気である。
 蕪村にはこのような空想的な部分もあるのかと思った。これが単なる物語的な空想か、あるいは人間の持つ狐性のようなものを描いたものかはまだ良く分からない。

5

蕪村句集 

春の部
巻之上
春水や四条五条の橋の下
安永7〜
天明3
1778〜
1783
63〜
68歳
鑑賞日
2004
12/5
 簡単な言葉を並べただけで、しかも謡曲『熊野』に「四条五条の橋の上・・」というのがあるらしいから、それのもじりでもある。しかし、私はその情景が見えてきて楽しめる一句である。橋桁のまわりの水の波紋なども見えてくるし、蕪村が春の水の流れを見ながら四条五条のあたりを逍遥している感じも出ている。
 簡単な言葉の組み合わせで、読者のイメージを喚起することができるのはやはり上手いのであろう。

6

蕪村句集 

春の部
巻之上
春雨や人住て煙壁を洩る
明和6
1769
54歳
鑑賞日
2004
12/6
 春雨のしっとりと降る感じが良く出ている。
 壁を洩る煙から、そこに人が住んでいる気配を感じた蕪村。
 煙が壁を洩るくらいだから、荒く塗り付けた土壁かもしれない。多分中に住む人も外に降る春雨の気配を感じていることだろう。昔の日本の家屋は木や土や紙でできていて、外側の自然と呼吸を合わせながら人々は暮らしていた。そのような、自然と融合した日本的情緒とでもいうべきか。

7

蕪村句集 

春の部
巻之上
春雨や小磯の小貝ぬるヽほど
明和6
1769
54歳
鑑賞日
2004
12/7
 小さな磯の小さな貝が濡れる程の春雨が降った。意味はそれだけのことだが、季節を慈しみ、自然の中の小さな事物を愛おしんでいる蕪村の目が感じられる。
 磯に落ちている奇麗な貝殻などを集めるのは楽しい。そんな遊び心が蕪村にもあっただろうか。多分あったはずである。そうでなければ、こんな詩心が生れるはずがない。

8

蕪村句集 

春の部
巻之上
春雨やもの書ぬ身のあはれなる
安永5or
安永6
1776or
1777
61歳
or
62歳
鑑賞日
2004
12/8
 〈夢中吟〉と前書。「書ぬ」は[かかぬ]と読む

 「あはれなる」を辞書引くと、趣深い・なつかしい・かわいそうだ・さびしい・尊い・立派だ、などという意味がある。
 かわいそうだ・さびしい、などと取るのは私には詰まらない。いかにも、ものを書くものの浅薄な思い込みが感じられるからである。
 私は、趣深い・尊い・立派だ、というような意味に取りたい。実際、ものを書かずにはいられない人よりは、ものを書かなくても大丈夫な人の方が奥ゆかしくて趣があって尊いという感触を私は持っている。ものを書くというのは自己浄化作業だし、自己顕示作業だから、このような事をしなくても居られるのは趣深いのである。
 蕪村がどちらを意図したかは分からないが、「春雨」という風情を考えると、後者のような気がするのだが。

9

蕪村句集 

春の部
巻之上
春雨やものがたりゆく蓑と笠
天明2
1782
67歳
鑑賞日
2004
12/9
 今となってみれば、古くさい紋切型の構図で、選ぶのが恥ずかしい気さえしたが、結局選んだ。やはりこの構図は人間のあるべき姿の一つの典型で、古くさいと決めつけてしまえない。
 “仲良きことは美しきかな”“春雨じゃ濡れてゆこう”、この二人をしっとりとした春雨が包んでいるようだ。この二人にとってはこの時間は永遠の時間であることであろう。

10

蕪村句集 

春の部
巻之上
静さに堪えて水澄たにしかな
安永5
1776
61歳
鑑賞日
2004
12/10
 「堪えて」という言葉がこの句の眼目である。静けさに耐えるということ。いかにも豊かで実質感のある静けさの感じがよく出ている。そしてその澄んだ水の中に生息する田螺。人間のあわただしい時間とは別の次元の静謐な時間の存在をこの句には感じる。
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